<外伝>ハッピーエンドの先でもう一度あなたを見つける 4
「難しい顔をなさっていますね」
紅茶のカップに口をつけながら、私は声がしたほうに目を上げました。
白色に近い木で作られた椅子とテーブル。白いレース編みのテーブルクロス。陶製の白いカップ。床を覆う純白の大理石。花瓶に生けられた大きな白百合。
そして、私の向かいに腰掛ける白い髪に白いマントの人物。
人の姿を借りた神鳥フォルセイン。
またの名を──
「私とのティータイムはお嫌いですか?」
「そんなことないわ、フィル」
さびしそうな顔をするフィルにあわてて言います。
「確かに、神様とお茶を飲むのが日課になるなんて思わなかったけど」
フォルセイン国王は毎日のティータイムを神鳥と過ごす──
それが古来からのしきたり、なのだそうです。
「私は神ではありませんよ。我が女王」
「神ではなく、少し特別な《霊獣》?」
「はい」
恭しく瞼を伏せるフィル。
正体を明かしてからも、フィルの私に対する態度は一切変わっていません。礼儀正しく従順な騎士のよう。
「フェリクスにも言われたわ。私、そんなにきつい顔をしているかしら」
自分の頬に触れてため息をつくと、フィルが涼やかな笑みを浮かべました。
「そんなことはありませんよ。我が女王は今日もお美しい」
前言撤回。
以前よりやや軽薄になりましたね。
「悩んでいることがあるならお聞きしますよ」
「………」
私はゆっくりとカップをソーサーに戻し、
「じゃあ、ひとつ質問していいかしら」
「ええ。おいくつでも」
膝のうえに手を重ねてフィルを見つめます。
「───もう一度私を転生させることはできる?」
フィルが目を見張りました。
「それ、は……」
水晶色の瞳をさまよわせ、
「……できません」
わずかにかぶりを振ります。
「なぜですか? あなたは、あなたが望んだ未来を手に入れたはず」
「ええ」
確かに手に入れました。これ以上ないほどの未来を。
「フィル。あなたは私とエリシャの魂を砕いて転生させてくれた。あなたがいなければ、運命を変えることはできなかった。言葉では伝えきれないほど感謝しています」
「では……」
「今すぐ転生したいとか、そんなことは思っていないわ。ただ──」
この幸せより望むものはない。
けれど、ここは『終わり』ではない。
「もしもこの先、お兄様の身に何かあったとき──」
ここは、
「同じことができたらと」
『ハッピーエンドの先』だから。
「でも、それは無理なのね」
「はい。私はあのとき数千年分の力を使ってしまいました。回復のために長い時間と祈りが必要です」
フィルは胸に手を当てて目を閉じました。
「それに、お二人の魂がこの世界に戻ってこられただけで奇跡なんです。また同じことをするなど、たとえ私の力が万全でも考えられません」
わかっていました。
おそらく、あれは一度きりの奇跡だったのだと。
「ごめんなさい。おかしなことを聞いて」
「いいえ、我が女王」
「心配しないで。私、とても幸せよ。ただ幸せすぎて……臆病になっているだけ」
いつ来るともしれない不幸に怯えるより、今ここにある幸せを大切にするほうがずっと賢明な生き方──わかっているのに。
エリシャならきっと、こんなふうに思い悩んだりしないでしょう。彼女の柔らかな抱擁がふと恋しくなります。
「………かつて、私もひどく臆病でした」
静かな声に顔を上げます。
フィルがやさしい目をして微笑んでいました。
「我が女王。少し昔話をしてもよろしいですか?」
「ええ。もちろん」
「ありがとうございます」
フィルは優美な仕草で紅茶を一口飲み、それから語りだします。
「前にもお話したとおり、私は《霊獣》の一種。ただし同族はいません。いえ、私以外にはもういないと言ったほうが正しいですね」
「かつてはいたのね?」
「はい。大きな群れで生活していました。しかし少しずつ数を減らしていき、最後にはみんないなくなってしまったのです」
「いなくなってしまった……」
種は絶滅した。ただひとつの個体を除いて。
突然変異だったのでしょうね、とフィルは呟きます。
「私だけが生き続けました」
群れを失ってからも、ただひたすら空を飛び続けた。
千年。二千年。もっと。
「もともとが群れをなす生き物です。私は孤独に耐えられなくなり、山の頂に降りました。そのとき出会ったのが初代国王、ラエルです」
美しい色の瞳をした青年。
巨大な鳥の姿を見ても逃げることなく、むしろ新たな出会いを喜び、彼の集落に温かく迎え入れてくれた。
「……涙が出ました」
すぐに人間の言葉を覚え、尽きることなく話をした。
鳥から人の姿に変わることを覚え、一緒に狩りをし、魚を釣った。
大勢で囲む食卓が何よりも幸福だった。
「私は彼らが好きでした。中でも、ラエルのことが一番好きでした」
だが、人間の寿命は短い。
「次第に彼を失うのが怖くなりました。再び群れを失うのも怖かった」
失う前に、空へ逃げようと思った。
「今思えば、私はとても臆病でした」
「逃げてしまったの?」
「そうしようとしたのですが、あいにくラエルに見つかってしまいました。彼はとても怒っていました。あんな彼を見たのは後にも先にもそのときだけです」
「それで、あなたはどうしたの?」
「求婚しました」
「………え?」
「私と結婚し、一緒にいてほしいとラエルに懇願しました。そのために永遠の命を授けるから、と」
「す、すごいことを言いますね」
「ふふ。でも断られました」
もう心に決めた人がいる、と。
永遠の命を耐えられるほど人間の心は強くない、とも。
「私は今度こそ彼を置いて飛び立とうとしました。しかし、彼の手を振り払うことがどうしてもできませんでした。私は迷い、混乱していました」
それでもどうにか飛び立とうとしたとき、彼は言った。
『君を一人にしない方法を思いついた』と。
「さて」
しみじみと手を擦り合わせ、フィルが小首をかしげました。
「この話に教訓があるとしたら、なんでしょう?」
「……? そうね。いきなり異種族間求婚はまずいんじゃないかしら」
「はい。それもありますが」
あっさりうなずきつつ、フィルが別の解答を促します。
「それと……最初からラエルと話し合えばよかったんじゃないかしら。一人で抱え込むから怖くなってしまったのよ、きっと」
…………あ。
私は思わず自分の口に手を当てました。
フィルが満足そうにうなずきます。
「そのとおりです。我が女王」
「フィル……」
「さあ、行ってください」
息を吸って立ち上がります。
すぐ戸口に向かおうとして、
「!」
その前に駆け寄ってフィルの手を取りました。
驚いた顔に向かって言います。
「私もあなたを一人にしないわ。絶対に」
ぎゅっと手を握り、
「また明日のティータイムに」
驚いた顔が柔らかい笑みに変わるのを見届けて、私は今度こそ扉に向かいました。




