<外伝>完璧な后と愛せない王様 エピローグ<後編>
しおりが挟まれていた最初のページを読み終え、私は赤面していた。
……あのときのアデルがそんなふうに考えていたとは。
国と国が決めた結婚だ。個人的な感情は切り捨てているとばかり。
それに、彼女が落ちこぼれだった? 信じられない。
二番目のしおりに手が伸びる。
知りたい。彼女のことを。もっと。
次の日付は、最初のページから二年ほど経過した頃だ。
『お父様もお母様も、お兄様もお姉様も、弟も妹も。
最近のわたくしを見て驚いてらっしゃるわ。
無理もありませんわね。自分で言うのもなんですけれど、別人のようになりましたもの。
二年前、まず取りかかったのは外見を磨くこと。
髪に毎晩丁寧に香油を塗り、肌も乾燥させぬよう、爪の先に至るまで気を遣ってまいりました。おかげで今はどちらも艶々として、生まれたてのように輝いています。
身に着けるものも、以前に比べて洗練されたと思いますわ。色の組み合わせ、流行、場面との調和。試行錯誤を重ねた今では自身のみならず、大事なパーティーの前にはお母様のドレスも選んでさしあげています。
さらに鏡で自分の顔をよく観察し、美しい微笑みを浮かべる練習を一日たりとも欠かしませんでした。
もちろん見た目だけではありませんわ。
ひたすら本を読み、字を書き、計算し、兄弟姉妹の成績を一気に抜いてしまいました。いつも私を叱っていた教師も絶句していましたわ。わたくし、勉強は苦手だと思っていたのですけれど、きっとやる気の問題だったのですね。
それから、もしものときはテリオス様をお守りしなくてはなりません。武術の鍛錬も積んでまいりました。先日の国内大会で優勝させていただきましたから、次は上の段位を目指すことになりますわね。
ひとまず、二年間の成果はこんなところ。
どうでしょう。少しは『完璧』に近づけたでしょうか?
──いいえ。まだまだ。
ぜんぜん足りません。
こんな程度では、テリオス様に振り向いてもらえません。
……わたくしを、好きになんて。
………。
大丈夫。まだ時間はあります。
さあ、明日からも頑張りますわよ!』
読み進めながら驚いた。
私はどこかで、アデルの完璧さは生まれ持った才能なのだと思い込んでいた。もちろん努力はしただろう。だが、元から優れた人間だったのであろうと。
一番驚いたのは、王位継承者として研鑽を積んでいたわけではなく、私に嫁ぐ日のために努力を重ねていたことだ。それを知って面映ゆく、それでいて申し訳ない気持ちになる。
私の発した一言が、彼女の人生を変えてしまったのだ。
しかし、日記の中のアデルが溌剌としているのはうれしかった。
私は三つ目のしおりのページを開いた。
さらに一年が経過している。
その中で彼女は悲しみ、憤っていた。
『今日、信じられない噂を耳にしてしまいました。
テリオス様が、テリオス様が……!
とある令嬢に恋をしているというのです!
ええ、ええ、そうですわね。わたくしたちは許嫁でも、お会いしたのはたったの一度きり。そもそもが政略結婚ですもの。
結婚前にひと時の恋をすることだって、きっと、きっと、あるでしょう。
わかっています。でも、それでも、だけど……!
お相手は帝国でも一番美しく、一番賢い令嬢なんだとか。きっと、わたくしなんかよりずっと素晴らしくて、ずっと完璧な方なのでしょうね。
ああ、だめ。書いていて涙が出てきました。泣いてなんかいないで、もっともっと努力しなければいけないのに……。
ああ、そうですわ。
お相手の令嬢はチェスが得意なんだとも聞きました。
となれば、明日からチェスの先生をお招きし、猛特訓を始めなくては……!
やはり泣いている暇なんてありませんわ!
この悔しさを糧に、もっともっと完璧にならなくては!』
悪いと思いつつ、フィオナに嫉妬する様子につい笑みがこぼれてしまう。
しかし、フォルセイン王国にまで噂が広まっていたとは思わなんだ。その噂が彼女を突き動かし、チェスの名手にしたのだと思うと不思議な心地がする。
しおりは次で最後だった。
日付は、結婚式当日。
その夜に書かれたと考えると──
この日記は、彼女が初夜を断ったあとに書いていることになる。
『今日、わたくしがずっと待ち望んでいた日を迎えました。
テリオス様との結婚式。
夢のように素晴らしい式でしたわ。
そしてわたくしは、最後の最後、自分でそれを台無しにしてしまいました。
……でも。
後悔はしていません。
テリオス様は、わたくしに『愛するつもりはない』とおっしゃいました。『そのような感情は必要ない。邪魔になるだけ』とも。
ええ。そうかもしれません。
私人としての感情を捨て、公人に徹する。それこそが帝国臣民に望まれる、王族のあるべき正しい姿なのかもしれません。
汝、王の器たれ。
……………ええ。そんなもの。
クソくらえですわ。
あらあら、まあ!
日記の中とは言え、なんてはしたない言葉なんでしょう。ふふっ。
けれどわたくし、決めたんですもの。テリオス様に初めてお会いしたあの日に。
わたくしは『完璧な后』になる。
ただし、それは偽りの『完璧』。
本当のわたくしは引っ込み思案で、不器用で、怠け癖があって、怖がりで、それからすごく嫉妬深い。『完璧』なんてほど遠いですわ。そう見せかけるのが精いっぱい。
だから。
もし──
こんなわたくしでも、あなたが愛してくださるのなら。
わたくしは、この、ずっとずっと、死ぬほど大嫌いだったわたくしのことを、ちゃんと愛してあげましょう、って。
……そう決めたんです。
ねえ、テリオス様。
あなたを見ていると、なぜだか鏡のように感じます。
自分のことが大嫌いな人が、他人のために必死に努力して、ほんの少しでも自分を好きになろうとしている。そんなふうに映ります。
でも。
努力なんてしなくても、ただそこにいるだけでいい。
笑ってくださると、もっとうれしい。
その気持ちを、わたくしは『愛』と呼びます。
あなたを愛し、そして、あなたに愛されたい。
そうして自分を愛し、あなたにも自分を愛してほしい。
ですから、ただ王族の義務としてあなたと契りを結びたくないのです。
……怒っていらっしゃるかしら。
でも、謝りませんわ。
わたくしたちの未来を簡単に手放すつもりはありませんの。
これでもけっこう、頑固なんですのよ。
おやすみなさい。テリオス様。
あなたのことを、心から愛しています』
「……………………………愛している」
気がつくと、そう呟いていた。
「そなたを愛している」
なぜだ。なぜ、今まで伝えなかったのだろう。なぜ──
そのとき、壁の向こうから赤ん坊の泣き声が響いた。
椅子を蹴って立ち上がる。
「アデル‼」
嗚咽のように震える声で、名を呼ぶ。
そうだ。言おう。今度こそ伝えよう。
何回でも、何十回でも、何百回でも、何千回でも──
彼女がもういいと言って笑うまで。
そう胸に誓って、私は愛する人の元へ走り出した。




