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<外伝>完璧な后と愛せない王様 10




 十一歳になると、ロギウスはすっかり私への興味を失った。

 公式行事に私を伴うことをやめ、兄上だけを引き連れるようになった。兄上の誕生パーティーが盛大に開催される一方、私の誕生パーティーは開かれなかった。

 人々は次期皇帝を確信し、私に近づこうとする者は誰もいなくなった。

 いずれ『出来損ないの皇子』と呼ばれることもなくなり、存在すら忘れ去られるのだろう。

 それでいいと思った。

 静寂と孤独のうちに安堵を味わいながら、自室に閉じこもって何もない日々を過ごした。


 そんな暮らしを続けていたある日。


 夜半に物音で目を覚ました。近くに人の気配を感じ、息を呑んで視線を動かした。

 夜灯がぼんやりと照らす闇の中──

 そこに一人の少年が立っていた。

 薄汚れた手。煤のついた顔。何かの間違いで召使が迷い込んだのかと思ったが、違う。

 暖炉の奥にある隠し通路だ。近衛兵の目をかいくぐってこの部屋に入るにはそれしかない。そして、通路の存在を知っているのは皇族だけ。



「………兄上?」



 恐る恐る呼びかけると、少年はにこりと笑った。



「やあ。我が弟」



 言いながら、手の甲でごしごしと顔を拭く。煤が広がって余計にひどい顔になる。

 ただ、その瞳は満月のように明るい。

 ユリアス。

 ユリアス=アストレア。三つ年上の兄皇子。



「ここで何を……?」


「うん。まあ、避難訓練というか」


「は……?」


「というのはもちろん嘘だ。テリオス、私はお前に会いに来たのだよ」



 私はとっさに身構えた。

 血のつながった兄。しかし話すどころか、ほとんど顔を合わせたこともない。ロギウスが兄弟同士の交流を嫌ったからだ。今になって突然現れたのはなぜだ?



「そんな恐い顔をするな。お前と話をしたいだけだ」


「私などと、何を話すというのです」


「『私などと』ね……。なるほど、ずいぶん卑屈になっているようだ。私はね、ずっとお前と話したいと思っていたのだよ。これまでチャンスがなかっただけだ。お前についていた父上の監視がようやくいなくなったから、こうして来られるようになった」


「!」



 やはり、父上は私に監視をつけていたのだ。



「率直に言おう、テリオス。──私と同盟を組まないか?」


「同盟……?」


「うむ。将来、私たちのどちらかがこの国を統べる。別にどちらでもよいが、来たるべき日のために信頼関係を築いておきたい。同じ帝国の未来を担う、仲間として」


「…………な」



 仲間?



「ん?」


「言っている意味が……わからない。父上は、誰も信じるなと」


「うん、それが父上の考え方だね。私は違う。多少のリスクを負ってでも、仲間がいるメリットのほうが大きいと思っている」



 さらりと言ってのける兄上に、我が耳を疑った。

 皇帝の言葉は神の声に等しい。生まれたときからそう教えられてきた。それを否定するなど考えたこともない。

 いや──

 私には、父上を否定する勇気がなかっただけだ。



「いいんだ。急がないから、じっくり考えてみてほしい」



 黙り込む私に向かって、兄上は目を細め、やわらかい声で言った。



「また会いにくるよ」







「素敵なお兄様ですね」



 アデルは胸に手を当て、なぜだかうれしそうな笑みを浮かべて言った。



「うむ。あの年齢にして学問にも政治にも明るい、よくできた人物だった」


「お会いしてみたかったですわ」


「そういえば、そなたに少し似ているな」


「……え?」


「何をやっても人並み外れて優れていた。完璧だと思わせるが、時にひどく幼い顔を──ん?」



 と、アデルが大きく目を見開いているのに気がつく。



「どうした?」


「いえ。あの、殿方に似ていると言われたのは、初めてで」


「ああ。そうだな、すまない。そなたが男勝りだという意味ではないぞ」


「ち、違いますっ。謝らないでください。わたくしは、うれしかったのですから」


「うれしい?」


「はい!」



 頬を紅潮させ、上機嫌な顔をするアデル。

 私は引き寄せられるように彼女のこめかみに触れ、細い白金の髪をゆっくりと指で梳いた。



「さあ、続きを聞かせてくださいませ。きっとお兄様と仲良くおなりになったんでしょう?」


「……ん」



 彼女の髪を一束、指先に持つ。



「そうだな。でも」



 明かりに照らされて儚く光るその束が、私をこの場所に留めておく命綱のような気がした。



「後悔している」







 誰とも関わりたくない。そう思ってもなお、手を伸ばさずにいられない。不思議な魅力が兄上にはあった。

 その顔つき、その手振り、その口調──

 どれも私とよく似ているはずなのに、私とは決定的に違う。どうしようもなく惹きつけられる。

 加えて、私と兄上には共通点があった。父上による『教育』だ。私たちの根底には深い共感があった。



「そうだな、私に子供が生まれたら」



 兄上は笑いながらよく言ったものだ。



「その子に白い子犬を与えよう。そしてその子犬が大きく育ち、やがて老い、天命を全うするときまで、ずっと世話をしろと命じるのだ」



 かと思えば物憂げな顔をして、



「自分を死神のように感じる気持ちはよくわかる」



 私に向かって静かに語りかけるときもあった。



「だが、それは己でかけた呪いだ。それを解くのもまた己でしかない」



 兄上は幾度となく私の部屋を訪れた。私たちは夜中にさまざまな話をした。

 少しずつ、心の中で固く強張っていたものがほぐれ始めた。恐慌状態は徐々に回復し、私は再び部屋を出られるようになった。

 すると、自室以外の場所でも兄上と会うようになった。ロギウスにばれぬよう、互いの専属騎士を連絡係にした。

 父上は相変わらず私を無視していた。晩餐会で同席しても私にだけは声をかけず、まるでいない者のように扱う。周囲の者もそれに従う。

 別に構わなかった。すでに、私の仕える皇帝はロギウスではなくなっていたから。


 ──兄上の元で働く。


 いつしか、そう考えるようになっていた。

 兄上は私を信頼してくれている。それに応えたいと思った。

 信じる者が、信じてくれる者がいるということが、こんなにも素晴らしいとは思わなかった。

 あるとき狩りに誘われ、兄上と森に出かけた。大きな鹿を仕留めるつもりだった。

 木に登って周囲を確かめていると、



「あ」



 足元で驚いたような声を上げ、兄上が地面に崩れた。

 何が起きたのかわからなかった。

 急いで木から降りると、兄上の胸に一本の矢が突き刺さっていた。自分の見ているものが信じられず、震えながら手を伸ばした。



「毒だ! 血に触れるなっ……」



 兄上の鋭い声が耳を打つ。

 途端、私は狂ったように叫んでいた。あらん限りの声で。

 騎士たちが駆けつけるまでの間、私は兄上の手を握っていた。その手がどんどん冷たくなり、顔が人形のように白くなっていくのをただ見ていることしかできなかった。



「テリオス」



 兄上は微笑んだ。少し困ったように眉を寄せて。



「お前が、王になれ」



 震えながら《黄金》の瞳を閉じる。



「………よき王に」




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