138.これが最後の分岐です
暗闇に灯したわずかな明かりの中、ゆっくりと髪に鋏を入れます。
サリサリサリ──
かすかな音を立てて銀髪が床に落ちました。
少しの間それを見つめてから、鋏を置いて荷物を背負います。
夜明け前に城を出ました。
外からは猫の子一匹通さぬシルバスティン城ですが、内側からは秘密の抜け道を通って出ることができます。万が一のときだけ、と約束した抜け道を使って申し訳ありませんが、堂々と出ていくわけにもいきません。
抜け道を出ると裏手の林に出ました。星の位置で方角を確認し、歩き出します。
夜が明ければミアに気づかれる。それまでに少しでも距離を稼がなければなりません。
ずっと前から決めていたことです。
血族会議で極刑を避けられなかった場合は、帝都へ行く。
反対されるのはわかりきっていましたので、こつこつと準備だけは進めてきました。
地図。フード付きマント。男物の服と靴。携行用ランプ。小型ナイフ。城の使用人たちに頼んで少しずつ手に入れたものたち。
出かける直前に切り落とした髪がチクチクと首に刺さります。
林を抜けて草原を歩きながら、一度だけ城を振り返りました。
「……ありがとう」
小さく呟き、また前を向きます。
山並にほんのりと夜明けの光が見えはじめたころ、一軒の民家と厩が見えてきました。
足を忍ばせて厩に近づき、中を覗き込みます。
小柄な馬が一頭。
私でも乗れるかもしれない。
霊獣探しのときエリシャにからかわれて以来、暇を見つけては乗馬の練習をしてきました。
「どう、どう」
厩に入り、やさしく呼びかけながら馬の首を撫でます。
近くで見るとかなり年老いた馬でした。帝都まで行けるでしょうか。気性はおとなしいようですが……。
柵を開けて馬を外に出そうとしたとき、
「おい、お前」
鋭い声に呼ばれて固まりました。
振り返ると、帽子をかぶった少年が入り口に立っていました。リオンと同い年くらいでしょうか。
とっさに何か言おうとする暇もなく、
「馬泥棒!」
少年がみるみる眉を吊り上げて叫びます。
「じいちゃん! 馬泥棒がおる‼」
「違います!」
とっさに叫び返しました。懐に手を入れ、革袋から金貨をつまみ出します。
「これで、この馬を譲ってくださいませんか?」
「はっ?」
「お願いします。どうしても馬が必要なんです」
「見せろ」
少年は私が差し出した金貨をひったくると、矯めつ眇めつ眺めました。
「んー? 本物かぁ?」
「本物です。何枚で譲っていただけますか?」
革袋を取り出して見せると、少年の目つきが変わりました。
「!」
乱暴に袋をつかまれます。取られまいと必死に押さえ、引っ張り合いになりました。袋の口からぽろぽろと金貨がこぼれます。
「離して!」
「お前が離せ!」
「おーい、どうしたぁ」
外から老人の声がしました。
まずい。ここに入ったのが間違いでした。
袋を手放して出口に走ります。が、横から少年に体当たりされました。壁にぶつかって息が詰まり、乱暴に肩と腕をつかまれます。
「何しとるんだぁ?」
「じいちゃん! こいつ、金貨たくさん持ってる!」
ランプを持った老人が姿を見せました。
少年がうわずった声を上げます。
「絶対怪しい! お城の兵士に突き出してやる!」
その瞬間──
私は少年の襟をつかみ、同時に足首を蹴りました。
ゼトに何度も習った体捌きです。
少年がぎょっとしてこちらを見ました。迷わず一気に引き倒します。
うつぶせに倒した体の上にまたがり、起き上がろうとする少年の顔にナイフを突きつけました。
「動かないで。おじいさんも」
肩で息をしながら、私は老人を睨みつけました。
「言うことを聞かなければ、あなたの孫を殺します」
手段は選ばない。
どんなことをしてでも帝都に行く。
正真正銘、これが最後の分岐なのですから。




