132.急襲されました
だからあのとき、笑っていたのですね。
いつも遠くばかり見ていたお母様。
ぼんやりとして、物憂げで。手を伸ばせば消えてしまいそうで怖かった。
でも、今はあなたの気持ちがわかります。
私も同じ。
お兄様がいなければ生きられない。
もしお兄様を誰かに殺され、その誰かに復讐を果たす日が来たら、私もきっと笑うでしょう。
じいはこの手紙を恐れていました。
ここに書かれているのは──フレイムローズ家の闇。
前当主アハトが犯した王子殺しと妻殺しの罪。
お母様がお兄様の手を借り、自分もろとも夫のアハトを葬った事実。
『私はお前の母を殺した。それだけだ』
お兄様は真実を明かそうとしなかった。
話せば、アハトから私を守るためにお母様が死んだと知ってしまうから。
当主の座を奪う目的で殺したのだと、自分ひとりを『悪役』にした。すべての罪と秘密を背負い込んで。
そうして──
ずっと私を守ってくださった。
「お嬢様」
ミアが心配そうに私を見ます。
「……大丈夫よ」
目元をぬぐい、私は便箋を畳んで封筒にしまいました。
馬車は峠道を下り始めていました。シルバスティンまでどれくらいでしょう。城に着いたら取り掛からなければならないことがあります。
はやる気持ちを抑え、ミアが用意してくれた軽食に手をつけようとしたときでした。
「敵襲ーーーーー‼」
外でシルバスティン兵が叫ぶと同時、馬車が大きく揺れながら止まります。
「なな、な……⁉」
真っ青な顔で口をぱくぱくさせるミア。私は彼女の肩を抱えて床に伏せました。
ヒュン、ヒュン、と風を裂く音。
シルバスティン兵が頭上に盾を掲げ、馬車の周囲を固めるのが見えました。その盾に矢が降り注ぎ、甲高い音を立てます。
「ひゃっ」
天井に矢が当たる音がして、ミアが肩を震わせます。
まさか本当に襲撃されるなんて……!
『一番危ないのは道中だな。貴様を殺したいと思っている連中は、シルバスティン城に入る前にケリをつけようとするはずだ』
出発前にゼトが指摘していたことです。
『選りすぐりの精鋭を連れてきました。フラウに手出しはさせません』
ティルトはそう言ってくれましたが──
「!」
再び馬車が大きく揺れました。馬の嘶きとともに上下にバウンドし、今度は左右に振れながらでたらめに動き出します。
「……っ! ……!」
ミアと一緒に馬車の中でもみくちゃになります。悲鳴を上げることすらできません。
ようやく揺れが収まると、馬車は斜めに傾いでいました。
「う……」
「お嬢様! も、燃えて……!」
焦げ臭さが鼻をつきます。
見上げると、馬車の天井がメラメラと赤く燃えていました。
油をしみこませた火矢を崖上から撃ち込まれたのでしょう。そのせいで馬が暴走したのです。
みるみる煙が立ち込め、二人とも咳込みながら馬車の外へ転げ出ました。
「ご無事ですか!」
すぐにシルバスティン兵が駆けつけてきます。
「お守りします! ここから動きませぬよう!」
鬨の声が響き渡りました。
鉈や斧を手にした男たちが次々と周囲の森から現れ、シルバスティン兵とぶつかって斬り合いを始めました。
襲撃者たちの装備はまちまちで、中には裸同然の者も混ざっています。一方、厚い鎧に身を包んだシルバスティン兵は大きな盾を巧みに使い、攻撃を弾いては反撃に転じています。
山賊?
兵隊を引き連れた私たちを狙うなんて──
「……ひ」
隣のミアが息を呑みました。
振り向くと、護衛のシルバスティン兵の頭がぐらりと揺れ、地面に崩れ落ちました。
その奥から男が現れます。
仕立てのいい服を着た、一見すると貴族風の優男。しかし、その手には血濡れの刃が握られています。
口の中で急速に広がる痺れ──そして苦み。
シルバスティンで襲われたときと同じ。
後ずさろうとした瞬間、足首に激痛が走ってその場に尻もちをつきました。
……だめ。足を挫いている。
逃げられない。
「ミア!」
とっさに叫びます。
「逃げて!」
男がゆらりと刃を構えました。
ミアが震えながら、私をかばうように前に出ます。
「ミア‼」
ふっ──
頭上に巨大な影が差しました。
斬りかかろうとした男が瞬時に刃を跳ね上げます。
鳴り響く金属音。
男は半ば吹き飛ばされるように後退し、私たちの前に影が降り立ちました。
低い、吐き捨てるような呟きとともに。
「……貸し、二個目だ」




