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壱の幸 うどん

「私ってなんなんだろうか、菊」

私と同じように意味もなく外の景色を眺めている菊に何の意味もなく質問をする。

「なんなんだろうね、私たち」

菊は長めに息を吐き、首をちょんっと傾けてそう答えた。

また沈黙が続く。外では男子がやいやいやかましく騒いでいる。

内では女子会に花を咲かせた乙女が楽しそうにお喋りしている。

そのどっちにも属さない、沈黙を愛した私達はただその雑音をBGMに鳥のはためきや森のざわめきに目と耳を集中させる。

「でも、私たちって人間だから人間なんじゃないかな」

今度は菊が私にそう問う。

「でも人間って人間を愛せるはずよ、私たちはその愛を知らないじゃない」

私はちょっとばかし、考えてそう発言する。

私たちは誰にも愛されたことがないから愛を知らない。

愛を知らないからどの感情が愛だか分からないし、愛を貰ったことがないから【お返し】ができない。

「そうね、そうよね。愛ってなんだろうね」

私の発言に納得したのか、少し声のトーンを落としてちょっと躊躇いがちにぽつぽつと言う。

私も愛を知らないから、菊が投げかけた疑問に答えられなかった。

誤魔化すように私は顔を腕に填めて、また顔を上げて外をぼーっと見始める。

菊は、その問いの答えが出ないことを察し私の方をチラチラ見ながら外を眺める。

気まずい空気が流れた。

「じゃあ私たちって人間じゃないの?」

その空気を不快に感じたのか、さっきの会話で疑問だった部分についてまた菊から話しかけてくる。

「生物学的には人間よ。だって二足歩行だし哺乳類だし人間から生まれてるし。

ただ、私たちは中身は人間じゃないのよ。人間の皮を被った化け物なのよ。だから皆愛してくれないの」

私はいつもこうやって自分を慰めてきた。

私が人から愛されないのは化け物だから。

化け物は愛される訳が無いから仕方がない、って。

「そんな、自分で自分を乏しめるような…辛くないの?」

菊はちょっと信じられない、とでも言うように目を見開き首をふるふると振った。

「私はごめんよ。だって私は自分が可愛いもの、化け物だなんて自分を思えない。

人間でありたいもの」

私はその発言をした菊を見る。

菊の目には私は「おかしい人」と写っているようだった。

「……別に期待してなかったからいいの」

私はぼそっと自分に言い聞かせるつもりで言う。

期待してなかったから。別におかしい人って思われても辛くない。

全然辛くない。

菊はふふっと耐えきれなくなったのか吹き出す。

「あーーもうムリ!」

「鈴愛ちゃんもさ、自分の名前に合うように愛を知る努力したら?」

「罰ゲームで鈴愛ちゃんと関われって言われた時、正直焦った!」

「だって鈴愛ちゃんって暗いし!顔はいいのかもしれないけどさ!」

「でもちょーっとは勉強になったよ!」

「自分のこと化け物だと思ってる子、初めて!」

そんな言葉を沢山投げかけられる。

はぁ、とため息をつく。

「それだけ、ですか。言うこと」

「なら、もう帰っていいですか」

菊は一瞬固まった。そして大きな目をぱちぱちと10回くらいしてから「あ、うん…どうぞ…」と教室の出口の方を指差す。

「ありがとうございます。もう関わらなくていいです。無駄な期待して疲れるので」

唇を高速で動かしそう吐き捨てる。

菊はぽかーんと私の顔を見ながら、「はぁ…」と生返事をする。

そんな菊を尻目に先生に早退します、と一言告げ鞄を乱雑に掴み教室から出る。

私がいなくなった教室からは「罰ゲームしっぱーい!」などと雑音が響く。

はぁ、と本日二回目のため息を盛大につき、家路についたのだった。


1人でただただ地面を眺めながらの帰り道。

さっき、起きた出来事は日常茶飯事だった。

クラスメートが私を使って騙す遊び。友達ごっこ。

私は愛に飢えているから、愛を渇望しているから。毎回毎回期待して、騙される。

うんざり、だ。

騙してくるクラスメートも、騙される私も。

そんなことをモヤモヤ考えていたらゴン、と頭から暖かい体温を感じた。

それからすぐに、自分が人に当たったのだと気付きそのまま頭を下げて謝る。

「ご、ごめんなさいっ!」

30秒程、頭を下げているとアハハ、と頭の上から快活な笑い声が響く。

どうやら、私がぶつかった人の笑い声のようだった。

不思議に感じ、頭を上げると非常に目が細い男…糸目、とでも言うのだろうか。そこが印象に残る明るい男が立っていた。

「アハハハハ、あんたおもろいなぁ!なんてゆーの?くそ真面目ってか!」

突然そんなことを言われて思わず、呆気に取られてしまう。

そもそも、初対面の人に敬語を使わない男はきっとアブナイ人に決まっている。

私は命の危機を感じ、

「あの、あの…ぶつかってしまったことは申し訳なかったです!!本当に!!ごめんなさいでしたっ!」

そう早口でまくし立て、この場から逃げようと家に向かって全速力で逃げようとすると、糸目の男に手を掴まれる。

私の顔は青ざめる。糸目の男はポケットに手を突っ込み、今にも何か出しそうな雰囲気だった。

きっと、刃物とか、カッターとか…想像しただけで手が震える。

やばい、殺される――。そう思った瞬間だった。

ポケットから出た糸目の男の手の中にはクシャクシャになった赤色の名刺が出てきた。

「ちょっとまちぃや!おじょーさん!ワ…僕、こーゆー者なんですわ!」

差し出された赤色の紙にはなにか文字が書かれているようだった。

クシャクシャで読みにくかったので伸ばしながら何とか書いてある字を読み取る。

「しあわせや…まつもと…のぼる…?」

糸目の男はよく出来ました!と言わんばかりにパチパチパチ、と軽く拍手する。

「そーや!よー、昇をのぼるって読めたなぁ!皆ぜえったいスバル、って読むんですもん!

おっと、話逸れたなぁ!名刺を出したら自己紹介、やな!松本昂といーます!貴方にささやかな幸せをお届けする、っていうテーマで幸せ屋ってぇのをやらせてもろてますわ!

今回は、お嬢さんに幸せをお届けに参りましたっちゅー訳やな!」

にぱーっと満点の笑顔でこちらを見る。

幸せ屋…?幸せをお届け…?怪しい、怪しすぎる。

きっと、多分。この人は新手の詐欺師だ。こうやってちょっと暗そうな人に片っ端に声をかけて金を巻き上げようとしてるんだ。

…恐らく。

「そんな不審な目でみんといてーや!1回、お店に来てみぃひん?

今の自分の状況、かえてみぃひんか?」

今日起こった出来事。これまでに起こった出来事を思い返す。

……そうだ、この人なら愛が分かるんじゃないか?ふと、そんな考えが頭を巡る。

藁にもすがる思いで糸目の男の目を見る。

「…愛」

「ん?愛?」

「愛……を、教えて、ください!」

私はこれまでで1番の声量でそう言いきった。

糸目の人はにかっと嬉しそうに笑い、

「その御依頼、承りました♪」

と弾んだ声で応じたのだった。



糸目男に案内されて来たのは、<しあわせや>とボロボロな看板がボロボロな家にかかっている……何もかもボロボロな店だった。

「な、なんというか。古い、ですね」

私はおずおずとそう言う。

流石に失礼すぎただろうか?後になって私は少し後悔しながら糸目男の返事を待つ。

「そうやねん!ボロボロなんよ〜。

僕は<しあわせや>としていろーんなとこを転々としてんねん!しあわせやとしての稼ぎは雀の涙程度や…。

毎回毎回新しい家だったら倒産してまうからいつもこんなボロ屋を貸してもらっとるねん」

少し質問しただけでたくさんの量の回答が返ってきた。

私はそれに圧倒されて「はぁ…」としか返せなくなっていた。

糸目男は思っていた反応より小さかったせいか、目をぱちくりして私を見つめる。

そしてあっ、となにかに気付いたのか手を打つ。

「あぁ、ごめんなぁ!こんな喋る分量多くて、びっくりしとるんやろ?

僕の<お喋り癖>やねん!喋らなくていい事まで喋ってまうんや。鬱陶しい、思たら言うてな!」

「……大丈夫、です。お喋り癖、良いと思います。助かります。私、口下手なので」

どもどもと自分の伝えたい気持ちを伝えようと、必死に思考を巡らせる。

そんな私を見かねたのか糸目男はにぱーっと人懐っこい笑顔を浮かべて私をカウンターに案内した。

「お嬢さんは相変わらず優しいなぁ。

ほいっ…と、カウンターで座って待っとってくれんか?しあわせやの相談の時は他の客が来ないようにせんと…。

あ、コーヒー飲める?お嬢さん。カフェも兼用しとるからコーヒーの美味しさは保証するで!」

案内されたのは中々雰囲気があるカフェのカウンターだった。

ボロボロ、と思っていたが中は案外綺麗でアンティーク物を置き、古い感じでまとめている。

カフェとして経営してるのか、と周りをきょろきょろ観察しながら生返事をする。

「はい、飲めます」

「ほい、どーぞ。ちょいと扉閉めてくるわ、待っとっててぇな」

そう言って目の前に出されたのは、良い匂いが微かに香る「美味しそう」の一言に尽きるコーヒーだった。

糸目男が去ってからズズ、少しと啜るだけでも苦い風味が口に広がり、それと同時に深い香りが鼻まで届く。

「…砂糖とかミルクが入っていないコーヒーは、飲めなかったのに。このコーヒーは何故か心が落ち着く…」

糸目男はちゃらんぽらんしていそうなのにこんな深みのあるコーヒーを作れるなんて、以外だ。

「人を見た目で判断しちゃいけないって、このことか…」

「やろやろ!おいしーやろー?

お嬢さんに気に入って貰えて良かったわぁ」

「き、聞いてたんですか…」

私は恐る恐ると糸目の男の顔を見、また下を向く。

「恥ずかしがっとんの?あんた、ほんとおもろいわぁ」

糸目の男はそんな私の反応を面白がっているのか、下を向いた私の目と無理やり目を合わせてこようとしてくる。

「あ、あの…!そんなことより私に『愛』教えてください」

何とか話題を逸らそうと、早速私は「本題」に切り込んだ。

「あ、そやったそやった、すぐ脱線してまう!

ん〜…愛…か。あんたは…何かを愛しいと思ったことはないんか?」

糸目の男はこれまでのおちゃらけた雰囲気と打って変わり、真面目にそう私に問う。

…でも…私は、化け物だ。

「ないです。そんなの。

私、化け物なんです。人間は誰かを、何かを『愛しい』と思うことは自然なこと、なんです。

周りの人間はみんな、『これ、可愛いね』だとか、『これ、好きだな』とか。そんなこと、なんでもないように口にするんです。

でも、私誰にも愛されたことないから、愛し方分からないんです。そんな感情、湧かないんです。

途中から、あれ、おかしいなってなって。私、みんなと違うなって。それが段々息苦しくなっちゃって。

だから…私は、人の皮を被った化け物なんです」

そう、一気に話した。息を吸わず、息を吐かず。

そうしないと、これまでのどこにも行き場の無い感情がそのまま溢れてしまいそうで。

「そかそか…辛かったなぁ…」

そう一言呟いて、私の頭を優しく撫でる。

糸目の男の顔を見ると―とんでもなく優しい顔をしていて、心が暖かく、安心する一方私にはこんな顔は一生できない―と惨めな気持ちにもなった。

そんな自分が嫌で、また自己嫌悪に陥る。

そんな私に気付いたのか、カウンターの机をかんかん、と指で軽く鳴らす。

「ほら、上向いてーや。おうどん、食べんか?」

「う、うどん?」

その素っ頓狂な言葉に思わず上を向き…ついでに、声も裏返った。

「ふ、ふふ…ほや、うどんや…ふふ…」

「わ、笑わないでくださいっ」

失敗した、とまた下を向く。

でも、一体全体うどんとはなんだ?あの、お汁に入った白い麺を啜る、あの、うどん?

これまでの話の流れで、いきなり、うどん?

頭が混乱する。

頭の中でうどんがぐるぐる回る。

「さっきも言ったけどうち、カフェやってんねん。コーヒーだけでは成り立たんおもて、料理も出しとるんや。

かんっぜんに、持論なんやけど僕落ち込んだ時とか気分が沈んだ時はうどん食べるねん。二人で一緒にうどん食べたら、気持ちの共有…的な感じで!!

…気持ちも…軽くなるかなって。単純な考えなんやけど。どやろか?…うどん、苦手?」

そう、目の前の糸目の男はあたふたと自分の考えを身振り手振りでどうにか言葉にしようと動いている。

私のことを、そんなに一生懸命考えてくれているのだとまたほんのり心が暖かくなった。

「好きな物も、嫌いな物も基本ありません。出されたら食べます。

だから、うどんも別に好きでも嫌いでもないです。と、いうか好きとか嫌いとかよく分かりません」

「そーか…。僕は、好きとか嫌いとかは不快になったかならないか、で決めてるなぁ!

不快にならなかったものは全部好き、不快になったものは全部苦手、って感じで。

あ、関係なかったなぁ、ごめんなぁ。おうどん、作るな!」

そう言い残し、厨房に入っていく後ろ姿を横目に「好き嫌い」について考えていた。

不快…ってなんだ?

気になり、カバンに入っている国語辞典を開く。

「は、ひ、ふ、ふ、ふ…あった、不快。

いやな気持ちになること、不愉快であること、また、そのさま…」

また、首を捻る。

言葉の意味は元々分かっている。知りたいのは、もっともっとその奥で――。

「おうどん、できましたよっと…。ってうわ!

な、何してるん?こ、国語辞典?このうどん作ってる時間ずっとそれ眺めてたん?」

私の気付かないうちに結構時間が経っていたらしい。

慌てて、国語辞典をカバンに直し、必死に弁明しようとする。

「あ、あの、その。私よく分からない言葉を調べるくせがありまして。今は、不快という言葉がよく分からなくて」

「あはは、はははは!ほんまおもろいな!アンタは。普通、国語辞典で調べるヤツおらんで。しかも、持ち運ぶやつ!ふふ、ふふ…。それで、不快の意味はわかった?」

腹を抑えてしばらく笑った後、私にまた質問を投げかける。

こんなにすぐ笑えて羨ましい、という嫌いな気持ちを押し込んで、自分の気持ちを何とか伝えようと必死に頭の中の辞書をめくる。言葉の糸を手繰り寄せる。

「不快ってなんですか。いやな気持ちってなんですか?私、分からないんですよ。愛しい、好きの反対は嫌いとか苦手とか、そして不快とか。

でも愛しいとか、好きとか分からないので。その反対も分からないんです」

頑張っても、自分の気持ちを上手く言葉に表せない。そんな自分を歯がゆく思う。

でも糸目の男はうーん、と少し考え箸を渡す。

「取り敢えず、おうどん食べよか。冷めるで」

その一言で目の前にうどんがあったことを思い出す。

慌ててうどんを見ると、湯気はもう消えかかっていたがまだまだ温かいようだった。

「ご、ごめんなさいっ。いただきます」

そう言って、手を合わせ渡された箸を使い1口、啜る。

温かくて、暖かくて。私の冷めきった心に溶け込むようだった。

「……美味しい、です」

「そかそか、良かった!僕のうどんは日本一やから!」

そう自慢げに言いながらうどんを啜る。

なんというか、この人変な人だな。でも、居心地は良かった。

「僕の考えやけど。好きの反対は嫌いだけど、反対でもない…と思うんや。好きは愛情で嫌いは憎しみとか恨めしいとか、妬ましいだとか。

対極の存在のようにも思えるんやけど、何か対象に感情があるのは一緒やん?だから、近しいこと、でもあるような気がするんや」

そう話して、ずる、とうどんを一口―というには多すぎる量を啜る。

私もちょっと啜り、また糸目の男の話に耳を傾ける。

「不快って、自然に現れる気持ちだと思うねん。嫌いだとか好きだとか…愛とかよりは。

だから、まずは自分の心の動きに自分がいち早く気付いてあげるんや。お嬢さんの心の動きにはお嬢さんしか分からんしな。

少しの心の動きでも感じ取ってその動き一つ一つ考えてみて…それでも分からんかったら…僕に聞きや。一緒に考えることくらいはできる。…な?」

そう言って、また…にかっと笑う。

気付いたらうどんは汁も麺も…きれいさっぱり無くなっていた。

「なんか…今日1日ありがとうございます。少し心が軽くなった気が…します」

そう私がもじもじと言うと、糸目の男は嬉しそうにし「そーかそーか」と呟いた。

「あ、あの、お代は何円ですか。お話も聞いてもらって…コーヒーもうどんも。やっぱり1万円とか」

そういえば、この相談料とうどんとコーヒーの値段を聞いてなかったと慌てて聞く。

どうしよう、ぼったくりだったら…と体の体温が急速に冷えていく感覚を覚える。

そんな私と裏腹に、糸目の男は「あぁ、そんなのいらいらん!」とあっけらかんに答えた。

「僕が貰うのはコーヒーとうどん代だけやで!相談料はその相談が完璧に解決した時に頂くねん。

僕の…ぷらいど、っちゅーか。それでお願いします」

「あっ、えっ。お金に困ってないんですか」

私は、商売というのはそれで成立するものなのかと疑問に思い、結果よく分からないことを口走ってしまった。

失敗…まだ会って1時間もしてない人にお金の話なんて…!

今日は失敗デーだと心の中で悶々としていると、これもまた糸目の男はあっけらかんに答える。

「んー。あんまり困ってないんやな、それが!実はこのカフェ意外と繁盛してるっちゅーか。

だから、な。あんま気にせんといてな」

こく、と私は頷いてひよこ柄の小さな財布をカバンから取り出す。

何円入っていたか確認するため、小銭の数を数える…ところだったが数えるまでもなかった。

「あ、あの。このうどんとコーヒー何円ですか」

恐る恐る聞く。

「2つ合わせて…五〇〇円やな。この手のカフェにしてはお手ごろだと思っとってな〜。学生さんにも払いやすい仕様にしてて―」

私は糸目の男のお喋りが耳に入らなかった。

ゴヒャクエン…四〇〇円も足りない。

相談も聞いてもらったのに、一〇〇円しか払わないなんて無礼すぎる。

このままじゃ話し食べ逃げの犯罪者になっちゃう、と頭の中で警察の顔が回る。

「でなー…って、お嬢さん、どーしたん?

さすがに僕のおしゃべり長くて嫌になっちゃったか?」

私の様子がおかしいばっかりに、今度は糸目の男があたふたし始める。

「あの、いや…お、お金が…お金を…ひゃ…一〇〇円しか入っていなくて…」

私がおずおずとそう言い、一〇〇玉を机の上に置くと「なーーんだ、そういうことか!」と拍子抜けの声が上方から聞こえた。

「そんなのどーでもええよ。明日にでも払ってくれりゃええねん。

そんな気にせんといて!四〇〇円、ツケってことで」

そう言って私が出した一〇〇円玉をひょいっととる。

「もう夜も暗いし、はよ帰りな。アンタのおかーさんも心配するでな」

そう言い、本日何度目かのにかっと笑いを繰り出す。

「なんか…なにもかもありがとうございます。明日、心の動きに気を付けてみます」

うん、と糸目の男は頷き、手をひらひらと横に振る。

私は糸目の男より2分の1くらいの大きさで手を振り返し「しあわせや」を後にした。



外に出ると、日はすっかり暮れていた。

時間が経つのは早い、と思いつつひよこの財布をぎゅっ、と握りしめる。

失敗続きの一日だった。よくよく考えればあんまり知らない男の人と二人きりなんて、許されるのだろうか。

にかっと笑う顔、男性にしては高い声…楽観的な糸目の男を思い出す。

四〇〇円…払うために明日も行っていいかな、と沈みゆく夕日と共に静かに、静かに思った。

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