29)ローズとサイモンとロバート
翌朝、身支度を整えたロバートはいつも通り、ローズを図書館につれていくため迎えに行った。
少し迷ったが、結局ミリアが結婚するまで使っていた部屋の扉を叩いた。二人分の返事がして、軽い足音がして扉が開いた。
「ロバート」
「おはようございます」
着替えて、髪の毛を半分だけ括ったローズがいた。
「おはようございます」
きちんとお辞儀をするローズに、昨夜の陰はなかった。
「ミリア、昨日はありがとうございました」
「いいえ。久しぶりに戻った夫が、腕白坊主に夢中でしたもの。一晩、父子で過ごすのも楽しいでしょうから。たまには女の子の親気分を味わうのもいいものです」
ミリアの夫ロイは、視察に同行した騎士の一人だ。一人息子の腕白ぶりは、ロバートもよく知っている。
会話しながらもミリアは手際よくローズの髪を整え、身支度を整えてやっていた。
「さぁ、ローズいってらっしゃい」
「行ってきます、ミリアさん」
ローズといつも通り手をつないで、図書館へと歩く。昨日の件は、手を打つが、出来るだけ穏便な方法を考えるとだけ、ローズに伝えた。
「ありがとう。でも、サラさんと、ミリアさんがいてくれるから大丈夫よ」
ローズは詮索を、やんわりと断ったつもりだろうが、侍女が関与していると言っているも同然だ。
昨日、エリックから受け取った報告書の通りであれば、アスティングス侯爵家との関係を考慮する必要がある。不本意だが穏便に解決する方法を考えねばならない。小姓達なりによく調べてあった。エリックが独断で動かなかったのも幸いだった。
グレースの実家であるアスティングス家とは、将来のアレキサンダーの統治を考えると、適切な距離を保っておきたかった。
アスティングス侯爵個人にはさほど問題は感じない。だが、アスティングス侯爵家には問題があるという噂がある。噂通りであれば、当主が侯爵家の問題を作り出したと言わざるを得ない。罪深いことだ。
ロバートは合鍵で扉を開けようとして、すでに鍵が開いていることに気づいた。昨夜のサイモンが石板に書いていた通りだ。
「ずいぶんと、早いですね」
ローズは石板に気づいていなかったはずだ。声をかけたロバートに、サイモンが石板を差し出してきた。
「あぁ、そうでした。私が不在の間、ありがとうございました」
視察の間、図書館の合鍵を他へ預けるわけにもいかず、サイモンには朝、鍵をあけるように頼んでいたのだ。その癖で、今朝も早く来てしまったと石板にはあった。昨夜の石板の文字も、ローズに見られないように気を遣っていた。ローズに気づかれたくないということだろう。
ローズはサイモンに挨拶をすると、いつも使っている長椅子に、腰をかけ本を読み始めた。
ローズの注意が本に向いていることを確認し、ロバートはサイモンを、本棚の影へと促した。サイモンも、したり顔で石板を手についてきた。
サイモンは口が利けない。なぜか耳も聞こえないと勘違いしているものが多い。そのため、サイモンは王太子宮内の様々な噂をよく知っていた。ロバートが尋ねる前に、サイモンは石板を裏返した。そこには侍女三人の名前があった。
ーこの侍女たちが、ローズを悪く言って嫌がらせをしています。エリックから受けとりましたかー
サイモンの質問に、ロバートは頷いた。やはり、ローズとあまり折り合いの良くない、あの若い三人の名前があった。
「サイモン、ありがとう。助かりました」
ー私が、ここにいるのは、あなたのおかげです。私はあなたの役に立ちたいー
「あなたの仕事ぶりには、普段から本当にとても助かっています」
王太子宮の図書館には大量の資料がある。サイモンは、日々増え続ける資料を、きちんと把握し整理してくれていた。
「あなたは、非常に優秀な司書です。アレキサンダー様も私も、他の近習たちもみな、あなたに感謝しています。誇りを持ってください。この件で無茶はしないでください。あなたに何かあっては大変に困ります」
サイモンの笑顔に、ロバートも自然と笑みを返した。有能であることが、ロバートにとっての、ロバートの一族にとっての価値だ。
ー小姓達も頑張りました。叱らないでやってくださいー
「なぜ」
ーエリックへの報告が遅れました。私が余計なことを言ったのでー
ロバートは首を傾げた。詳しく聞きたいが、そろそろローズに気づかれそうだ。
「また、来ます。今回の件も含め、あなたには、とても助かっています」
あの日、老司祭に託された異国の民の血を引く少年が、ここまで優秀に育つとは思わなかった。
ーあなたのおかげですー
「あなたの努力です」
ロバートの言葉にサイモンは照れ臭そうに笑った。
第二章 幕間
必要とされることの必要性(居場所を得た少年)
が、サイモンがロバートとアレキサンダーに出会ったときのお話です。
第一章 幕間
図書館の司書サイモンとローズ
にも、サイモンは登場しています