19)留守を預かるグレース
王太子宮では大きくは変わりない日々が過ぎていた。御前会議に出席するために、隣接する王宮に出かけるローズの付き添いの近習が、ロバートでなく、その時々で変わるだけだ。会議前、アレキサンダーやロバートとしていた打ち合わせが無くなった。宰相のリヴァルー伯爵が、その間ローズの教育係を買って出てくれた。御前会議の前後、ローズが王宮にいる間に限定するという約束でアレキサンダーは了承した。
グレースは、毎晩夕食をともにしながら、ローズの様子を観察していた。侍女や近習達も何かとローズの様子をうかがっていた。だが、何日経ってもあまりローズの様子はかわらないように見えた。
グレースは、ロバートにとって少し残念な事実を目にしているのかもしれないと感じ始めていた。人懐っこいローズは、面倒をみる誰にでも懐くのかもしれないとまで思えてきた。実際、ローズは手を貸すもの全てに礼をいい、笑顔を見せる。
ロバートは、夫であるアレキサンダーの乳兄弟であり、王太子夫妻に絶対の忠誠を誓う、貴重かつ優秀な人物だ。年齢が離れているが、ローズ自身が、ロバートと婚約したいというのであれば、グレースは反対するつもりはなかった。
ローズが望まないなら、ロバートと婚約させるつもりが無いのも事実だ。
アスティングス侯爵家である父には既に、グレースが望むのであれば、ローズを養女に迎えることも可能だという返事をもらっていた。使用人の妻よりも、貴族の養女のほうがローズにとっては幸せだとグレースは思う。政治の道具として嫁がされるが、侯爵家であれば、それなりの家柄の貴族が相手だ。豊かで贅沢な生活ができる。 だが、夫アレキサンダーは、ローズをアスティングス家の一員とすることに反対した。
「私は、ロバートをこの世に縛り付ける枷が欲しい。ロバートは私の身代わりに死ぬことを何とも思っていない。自分のためには何も望まない。そのロバートが、あのローズのために、イサカの町に自分を行かせろと言った。あのロバートが初めて、自分から願い出た。ロバートにとってローズが特別と思いたくもなるだろう。取り上げないでやってくれ」
かつて、アレキサンダーに、ローズを王太子宮に置いて欲しいと頼んだのはグレース自身だ。お互いにそれに気づいて笑ったりもした。
アレキサンダーとロバートは深い信頼関係でむすばれている。ロバートはローズを大切にするだろう。だが、贅沢など望みようもない。侯爵家の養女となり政治の道具として嫁がされた場合、夫婦の間に愛が生まれるとは限らないが、豊かな生活はできる。何がローズにとっての幸いか、グレースも考えあぐねていた。
「どうされました」
グレースが思わずため息をつくと、ローズの声がした。
「今頃、どうしておられるかと思っていたの」
ロバートの妻となるのと、グレースの妹つまりは侯爵家の末娘として貴族と結婚するのと、どちらがローズの幸せかを考えていたのだ。適当にごまかそうとしたレグースの言葉に、ローズが微笑む。
「寂しいですか」
待っていた言葉に王太子妃は微笑んだ。
「そうね。ローズ、あなたはロバートがいないと寂しい」
ローズは少し考えた。
「図書館を使わせていただいていますよね。いつもロバートが一緒でしたから、高いところの本を、とってくれたりしていました。私は小さいから梯子は危ないから駄目だと言われています。ロバートの仕事を増やしてたことに気付いて反省しました。本当は司書に頼むべきことですよね。そうしたら、私が図書館にいるとき、ロバートは自分の仕事ができますし」
期待とは違うローズの返答にグレースはため息をついた。ロバートがローズを甘やかしていたことにも呆れた。
「ローズ、あなたはそんなことに気を使わなくていいのよ。ロバートが好きでやっていることですもの。あの身長の使い道など、それくらいしかないのだから、せいぜい使ってあげなさい」
グレースの冗談めかした言葉に、ローズがほほ笑んだ。
「グレース様にそういっていただけると嬉しいのですけれど。でも、やはり今回のようにアレキサンダー様の御視察に同行したりすることが、ロバートの本来のお仕事です。アレキサンダー様にもロバートにも、申し訳ないことをしてしまっていたと反省しています」
グレースは絶句した。邪魔をして申し訳ないなどとローズが口にするとは思っていなかった。王太子であるアレキサンダーがローズを養育すると決め、ロバートにローズの世話をするように命じたのだから当然のことだ。ロバートがローズを可愛がっているのは勝手だが、命令違反ではない。邪険にした場合には王太子の命に背くことになる。そちらのほうがよほど問題だ。
ローズの言葉は、ローズ自身を卑下しているようにも聞こえた。
「ローズ、そんなに自分を卑下しなくていいのよ。アレキサンダーがロバートにあなたの面倒を見るようにと命令したの、当然のことです。あなたはまだ子供ですもの。構ってもらいなさいな。アレキサンダーの命令をいいことに、ロバートが構いたいだけですもの」
グレースの言葉に、ローズは微笑んだ。
「ありがとうございます。そう言っていただけると嬉しいのですけれど、邪魔をしたらいけないです」
どこか自分を邪魔だと卑下するようなローズの言葉に、グレースはため息をついた。
「会いたいかしら?」
グレースの言葉にローズは、自分の右側を見上げた。いつもローズの手を引いて歩いてやっているロバートがいる位置だ。
「そうですね。早く帰ってきてほしいですけど、お仕事ですから。ロバートの邪魔をしたらいけないです」
ローズは変わらず、自分が邪魔だということを繰り返した。
「まぁ、ローズ。そんなに気を使わなくてよいのよ。あなたが邪魔なはずないではないの。小さなローズ、ロバートがあなたを構っている間、小姓たちは羽を伸ばしているそうだから、丁度良いわ」
グレースの言葉にサラ達侍女が笑った。ロバートが甘やかしたいだけなのだから、ローズは甘やかされていればいいのだ。ローズだけが笑わなかった。ローズはこんなに笑わない子供ではなかったはずだ。グレースの中に違和感が生まれた。
「グレース様は?」
「そうね、明日にでも帰ってきていただきたいけれど、まだそういうご予定ではないわ」
「帰ってきてくださったらうれしいですね」
「そうね」
話題をそらしたローズに、グレースはそれ以上は尋ねるのはあきらめた。生まれたばかりの違和感が、育ち始めていた。
なぜ、ローズが頑なに自分が邪魔をしているというのか、わからない。周囲はローズを構いたいだけだ。王太子宮の最古参である庭師の親方までもが、おチビちゃんとよんで可愛がってやっているのに、何かあったのだろうか。
就寝前、グレースは、今回、ロバートが同行した理由を知っている侍女頭のサラをよんだ。
「ローズの様子が思っていたのとあまりに違うから、私、戸惑いました」
サラも深々と頷く。
「あの分では、ロバートの仕事の邪魔をしてはいけないからと、ロバートを遠ざけるのではないかと心配です」
「ロバートが甘やかしたいだけでしょうに。なぜ、あれほど、自分が邪魔だと思うのかしら」
グレースはサラが何か言いよどんでいることに気づいた。
「サラ、あなた、何か心当たりがあるのかしら」
「実は」
数日前あったことをサラから聞いたグレースは目を見開いた。
「では、誰かが」
「えぇ、あの子は猫の忘れ物といっていましたけれど。そうでないことくらい、あの子自身もわかっているでしょう」
その日から、サラはまた、ローズを寝台に招き入れていると続けた。
「サラ、当面ローズを一人にしないで頂戴。ミリアは信頼できるわね。出来れば、あなた達二人でローズを守ってあげなさい」
グレースは、どこまでアレキサンダーに、アレキサンダーと共にいるロバートに伝えるか、迷った。
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