18)出発当日
視察への出発当日、身重のグレースもローズに付き添われ、見送りに訪れた。しばしの別れを惜しむ声があちこちから聞こえてくる。アレキサンダーとグレースは抱擁を交わし熱く口づけしていた。
グレースに付き添ってきたローズは二人をみて穏やかな笑みを浮かべていた。王太子夫妻が結婚後も別々に過ごしがちであることを、ロバートも気に病んでいた。とはいえ男女の機微に疎いロバートにはどうしようもなかった。解決したのが、そんな問題があったことすら知らず、色恋沙汰を理解しているのかすらも怪しいローズだったというのが皮肉だ。
「いってらっしゃい」
そのローズは、ロバートの傍らに立っていた。王太子であるアレキサンダーの権威を地方に示すのも視察の目的であるため、ロバート達近習は普段よりも豪華な服を着ていた。この邪魔な格好は、周囲へ国威を見せつけるための衣裳だ。早く脱ぎたいというのがロバートの本音だった。
「今回は、危ないことは無いわよね」
ロバートはいつも通り帯剣していた。剣の鞘は派手な衣装にふさわしい細工ものだが、柄は飾り気のない、いつもの使い込まれた剣と同じだった。手入れしているが、装飾がない。
「西は古くからの領地も多いですし、今回は問題ないはずです。何故そんなことを」
「だって、柄がいつもと同じ。鞘は豪華なのに」
意外と観察力のあるローズにロバートは苦笑した。
「念のためです。私が一番、アレキサンダー様に近いところに立ちます。何かあったときのためです」
ロバートはローズに、上着の裏を見せた。ナイフが数本仕込んである。
「アレキサンダー様もご存知です」
「気を付けてね」
「はい。アレキサンダー様も私も、他の者たちも無事に帰ってきますよ」
全員用意ができたという合図に、ロバートは、アレキサンダーを馬車へと案内するため、ローズへ別れを告げた。
華やかな一行を見送り、ローズはグレースに付き添って館に戻った。
「ローズはロバートとどんなお話をしたの」
グレースは、ローズの返事に、予想通りと納得すると同時に、心底呆れ、ため息をついた。
夜、寝所でグレースはサラに寝る間の髪の手入れをさせていた。
「サラ、前途多難だわ」
「ごもっともです」
サラが重々しく頷いた。
「サラ、あなた、ロバートのことは、高く買ってるじゃないの」
「あの家名なしと呼ばれる一族の当主の息子が、噂以上に優秀なのは事実でございます。それでも、得手不得手があるのは仕方ありません」
「あれは極端だわ」
「かえって微笑ましいかと」
「まぁ」
グレースは笑った。
「それもそうね。アレックスと同じ年でなければ、小さなローズとお似合いかもしれないわね」
夫のアレキサンダーが、常に仕事をそつなくこなすロバートを頼りにしていることはよく知っている。アレキサンダーにとって頼りがいがあるはずのロバートが、ローズに関することでは、全くもって頼りない。そんなロバートに、アレキサンダーが憤慨する様子は、子供の様で可笑しかった。
「恐れながらグレース様、あの二人、十以上も年が離れておりますよ」
サラの言う通りではある。
「そうね。でも、ロバートを相手に何をしているんだ、不甲斐ないって、アレックスが気を揉んでいるのを見るのが楽しくて」
グレースの言葉に、今度はサラが笑った。
「頼りがいのある兄の、情けない一面を見て、弟が拗ねているのよ。面白いわ。お兄様たちが、あのようであれば、よかったのに」
グレースの言葉に、サラは答えなかった。