17)視察の予定
地方への視察は、アレキサンダーの王太子としての義務だ。王家の権威と、地方への支配権を誇示するためにほぼ定期的に行われている。昨年は疫病対策の関係もあり、中止されていた。 今年は既に数か所行き先は確定している。数年先まで仮ではあるが視察の予定は組まれている。
普段、ロバートはアレキサンダーに同行しているが、グレースが身重の今年は、ロバートは留守番として残る予定だった。
予定を変更し、ロバートを連れて行くとグレースに告げた。ロバートとローズを互いに離し、少しは自分達の関係を自覚させようというというアレキサンダーの計画に、グレースも賛成してくれた。
「少なくとも、ローズはロバートに一番懐いておりますもの。そんなロバートが目の前からいなくなったら、少しは思うところもあるでしょう」
「ロバートも少し、ローズと離れて、少しは自分が何をしているか、気づいてほしいのだがな」
妹のように可愛がる少女の心の成長を促したいグレースと、不器用な乳兄弟の恋を応援したい、せめて自覚させたいアレキサンダーは、計画の成功を願った。
翌日、昼食後のお茶の時間、王太子夫妻は庭にいた。
「今度の視察には、常通りロバートも同行させることにした」
グレースの子供のために、侍女たちの刺繍を手伝っていたローズが顔を上げた。
「今度、西に行かれる視察ですよね」
ローズがアレキサンダーを見た。
「私も行っていいですか」
思いがけないローズの言葉にアレキサンダーは、ローズを凝視した。こんな反応は予想していなかった。
「駄目だ。君をつれていくとなると、子供の君のために護衛をさらに用意しなくてはならない。そんな準備をする時間はない」
まさかのローズの返事にグレースが笑いだした。
「ローズ、お仕事なのだから、あなたは行けないわ」
「お仕事なら、どんなのか見てみたいです」
「西でも少し遠いところに行く。いずれ家臣として君を連れていく日もあるだろうが、君の護衛を用意して、一番近いところからだ。今回は君は連れていかない」
「わかりました」
仕方ないとローズは刺繍にまた目を落とした。
「あと、先方が、ぜひロバートを連れてこいと言っている。西の領主の一人が、どうやら、侍従長の娘の嫁ぎ先を探しているらしい」
ローズを驚かせたくなったアレキサンダーは、本当は握りつぶそうと思っていた話を口にした。
「聞いておりません」
それまで沈黙を守っていたロバートが口を開いた。
「話していなかったからな。絵姿まで送ってきたぞ。開封していないが執務室にある。後で見にこい」
「絵姿とおっしゃいましたね」
「興味あるのか」
「不審な点がないか、気になります。額や装丁の確認が必要です。開封しておられないのでしたら、適任を手配して開封させます。絵姿を送るなど不自然です」
「まぁ、そうだな」
相変わらずのロバートにアレキサンダーは苦笑した。
「額や装丁の確認って何をするの」
刺繍の手を止めてローズがロバートを見上げていた。
「毒針を仕込むこともできますし、隙間になにか、告発状のようなものを挟むこともできます。見た目通りのものを、相手が意図して送ってきているとは限りません」
ロバートの解説をローズは興味深そうに聞いていた。
「開封する適任って」
「いずれあなたにも、教えますが、今ではないでしょうね」
ロバートの言葉に、ローズはまた手元に目をおとし、刺繍を再開した。
アレキサンダーとグレースは互いに顔を見合わせた。前途多難だ。互いに言葉にはしなかったが思いは同じだった。
執務室に戻り、ロバートに絵姿を渡した。ロバートは、包みの両面を確認し、額もはずし、絵の裏を確認し、何もないことを確認しただけだった。
「紛らわしい」
絵そのものには一切興味を示さないロバートに王太子は苦笑した。
「お前もあいかわらず容赦ない」
絵姿では比較的見目のよい、年頃の娘がほほ笑んでいた。
「絵姿など、画家の才覚でどうにでもなります」
「まぁ、それはそうだが」
アレキサンダーは、ローズの絵が一枚もないことに気づいた。ロバートはアレキサンダーに付き添っているため、何枚か二人一緒に描かれている肖像画がある。
いずれ、子供が生まれたら、画家を呼ぶ予定だが、ローズの絵があってもいいかもしれない。少なくともロバートにやれば喜ぶだろう。
「何かおもしろいことでもありましたか」
ロバートにお前に関することだとは言えない。
「何、子供が生まれたらな、ちょっといろいろやってみたいことを思いついた」
「随分と、楽しい思い付きのようですね」
「あぁ、もちろんだ。お前も巻き込んでやる」
「楽しいことであればよろしいですが、アレキサンダー様のご様子から察するにお断りさせていただきたいですね」
「変なところで察しがいいなお前は」
「では、遠慮させていただきますよ」
「そういうな。悪い思い付きではないはずだ」
「そうですか」
ロバートはそういうと、手早く絵を片付けて、部下に破棄を命じていた。
「まぁ美人と思うんですけど」
「おチビちゃんがいいんだろう」
既に出て行ったロバートは部下の無駄口を聞いていなかった。
アレキサンダーには、その無駄口が聞こえた。
「おチビちゃんと聞こえたが」
「庭師が言いだしたんです。おチビちゃんって。ここの庭は薔薇が多いでしょう。花の話をしてるのか、あのローズのことなのかわからなくなるから、おチビちゃんって」
「万が一、聞かれて困るなってときです。内緒にしてくださいよ」
「無論だ」
面白そうだと思ったからではない。家臣に寛大なだけだとアレキサンダーは自身に言い訳をした。