14)ローズ(妹代わり)のことを想うグレース
乳兄弟のロバートを堅物といい、苛立つ夫のアレキサンダーに、グレースは苦笑した。自身が、乳兄弟のロバートに負けず劣らず堅物である自覚が全くないらしい。おかげで結婚当初の数年間、結婚したとは思えない日々が続いた。そんな日々が終わったのは、ローズのおかげだ。
王太子宮を無自覚に様々に引っ掻き回したローズのおかげで、アレキサンダーと話をする機会が増えたのだ。今は幸せだと言える。だから、ローズには幸せと思える結婚をさせてやりたかった。
鉄仮面と呼ばれ、王太子宮の東の館の一切を取り仕切るロバートに対する、グレースの第一印象は、恐ろしい以外の何物でもなかった。光の加減で榛色や緑色にも見える瞳で、表情の乏しい背の高い男は、何を考えているのか全く分からなかった。
サラは、ロバートを最初から高く評価していた。
王太子宮西の館を取り仕切る、侍女頭であるサラは、グレースがアスティングス侯爵家から連れてきた乳母だ。ロバートは、余所者であるサラに、女性のことはわかりません、王太子妃様が信頼するあなたにお願いしたほうが、王太子妃様もご安心されるでしょうと言い、西の館の一切を取り仕切り、女性の使用人を束ねる侍女頭になるようにと告げたのだ。
元から王太子宮に仕えていた侍女達に反発はあった。
「西の館の主である王太子妃様が最も信頼される方を侍女頭にしました。ご意見がおありでしたら、あなた方が主の信用を勝ち得たらよいでしょう。王太子妃様には、この王太子宮で健やかでいらしていただきたい。そのために必要なことをご存じのサラに、侍女頭をお願いした次第です」
ロバートはそういって、全ての侍女の前で、サラに深く礼をした。
「サラ、何か不都合があれば、おっしゃってください。私が対処いたします」
ロバートの言葉の効果は絶大だった。侍女や下女の大半は、ロバートの指示どおり、サラを侍女頭と認めた。ロバートは言葉だけでなく、実際に目に余る者を数人、躊躇なく解雇した。
すべてをロバートは鉄仮面の噂通りに顔色一つ変えず行った。その辣腕ぶりに、有能だが恐ろしい近習だと思った。王家に長く仕え、歴史上いくつもの功績をあげながら、国王をも恐れない諫言のため、爵位がないと言われる家名なしの一族の本家の男だ。あの一族の本家を継ぐロバートが、アレキサンダーに仕えていて、本当に良かったと思う。
そんなロバートの作り物でない表情を見た時は、別人かと思った。ロバートは、小さなローズの手を引き、小柄なローズの歩みに合わせゆっくりと歩いてやる。足早に歩くロバートの後を、小姓たちが小走りについていく光景とのあまりの違いに、サラと一緒に笑ったものだ。
ローズが本当に、ロバートを慕っているならば、二人の仲を認めてやってもいいとは思う。応援してやってもいい。問題は、可愛いローズが色恋もわからぬ幼い心のままに、ロバートに手折られはしないかということだ。
「私は、ローズがロバートを慕っているならば、別に二人が婚約してもいいとは思いますわ」
「それもわからんな」
アレキサンダーが首をひねった。それにはグレースも同感だった。
「ローズはロバートに、一番懐いておりますわ。ただ、恋人なのか、兄なのか、父なのか」
「あれが妹というように、ローズまで兄と言い出したら面倒だな」
アレキサンダーの言葉に、グレースは一つ大切なことを思い出した。
「兄は後見人のあなたですわ。ですから、ロバートは、兄の友人です」
「あぁ、それなら」
そういったアレキサンダーが顔をしかめた。
「どうされましたの」
「いや、父上の、あれを思い出した」
夫のしかめ面の原因が分かったグレースは、笑った。
義父アルフレッドは、王太子宮に顔を出すことが増えた。むろん、グレースの腹にいる孫のこともあるが、ローズを構いにくるのだ。人払いをして、ローズに“お父様”と呼ばせて、喜んでいる。アルフレッドは、息子のアレキサンダーがローズの後見人であり、兄の代わりならば、自分は父親代わりだと主張するのだ。
人払いしている時くらい、いいだろうなどと、我儘をいうアルフレッドなど、王家に嫁がなければ、知ることはなかった。
「陛下には、一人息子のあなたしかいませんもの。娘が欲しかったと言って、私のことも大切にしてくださいますわ」
「本当に義理の娘なのは、グレース、あなただ」
思いがけない言葉に、グレースは笑った。どうやら、アレキサンダーは、グレースに気を遣ってくれていたらしい。
「安心ではありませんか。私達に子が生まれた時も、王子でも姫でもきっと可愛がってくださるでしょう」
王家では、何より跡継ぎが望まれる。王太子妃としての責務はグレースもよくわかっている。
義父のアルフレッドは、王子が必要なのは事実だが、姫であっても、母子ともに元気であればうれしいと言ってくれたのだ。アルフレッドの正妃は三人の子の死産の後に、心身とも衰弱して亡くなった。側妃は、アレキサンダーの出産後の産褥熱で亡くなった。二人の妃を失ったアルフレッドの哀しみはどれほどのものだろう。以降、周囲の勧めがあったにもかかわらず、アルフレッドは妃を娶っていない。
夫アレキサンダーのためだけでなく、義父のアルフレッドのためにも、グレース自身、何としても元気な子を無事に産みたいと思う。
「グレース、あなたは優しい人だ」
グレースは夫の口づけにほほ笑んだ。
「あなたも、アルフレッド様も優しい方ですもの」
婚約が決まった当初、相手が身分の低い母を持ち、田舎で育ったアレキサンダーであることを知り、グレースは枕を涙で濡らした。ろくな教育も受けていないだろうと言う周囲の言葉に、傀儡となる王の妻かと我が身を嘆いたのは事実だ。
会ってみると、実に聡明な王子だった。聞けば、教育係はきちんと王宮から派遣されていたという。
「王都暮らしの教師たちに、田舎の生活で苦労させてしまった」
苦笑するアレキサンダーの人の好さに、グレースは好感をもった。国王主催の狩猟の会で、アレキサンダーとロバートの周囲を圧倒する猛者ぶりに、ときめいたことは秘密だ。
王都育ちのグレースに、アレキサンダーが気後れしていたことを、グレースが知ったのは最近だ。これから、互いのことを知っていけばいい。これから先、二人は長い時を一緒に過ごすのだから。