12)“記憶の私”とローズ、そしてロバート
早咲きの薔薇の咲く庭にローズを誘った。勉強時間の合間、ローズと教師たちの軽食の時間だ。庭で軽食をとるという提案に、ローズは、嬉しそうについてきた。
厨房の者たちからは、ローズは好かれていた。外で食べやすいものを作るという手間をかけることを頼んでも、彼らは厭う様子もなかった。もっとも、近習を束ね、王太子宮の実務を事実上握るロバートに逆らう者などいないこともわかっている。
「おいで、ローズ」
ロバートが敷物のとなりを叩いて座るように促すと、ローズは嬉しそうに隣に腰を降ろした。
この軽食を食べる時間が、二人でゆっくり過ごすことのできる時間だった。
「ローズ、一つ聞いていいですか」
ロバートは自分の声がいつもより、少し硬いことに気づいた。同じことに気づいたのだろう。ローズが不思議そうにロバートを見上げてきた。
「あなたは、どうして疫病のことを知っていたのですか。グレース孤児院にはそういう本はありませんでした」
ロバートの言葉に、ローズは手にしていたティーカップを敷物の上に置いた。
「ごめんなさい。いつか言わないといけないと思っていたの」
ローズの小さな手が不安そうに膝の上で握り合わされていた。ロバートはそっとその手をとり、両手で包んだ。
「無理に言えとは言いません。ただ、あなたの悪いようには」
ロバートは言いよどんだ。
「あなたの悪いようにならないよう、手を尽くします」
昨日までであれば、「悪いようにしません」と言っただろう。だが、爵位も何もないロバートには、所詮、なにも出来ないのだと、昨夜、アレキサンダーに突き付けられた。
「ずっと言わなくてごめんなさい。でも、自分でもよくわからないことを、どう言ったらいいかわからなくて」
ロバートは、そっとローズの頭を撫でた。
「今でなくてもいいのですよ」
ロバートの言葉に、ローズは首を振った。
「ずっと、言わなきゃと思ってたの。自分でもよくわからないけど、私、私が知らないことを知ってるの。孤児院で仲良しだったリズが病気になったときに、気づいたの。頭の中に、誰かの知ってることが、本みたいに入っているの。“記憶の私”と呼んでるわ。“記憶の私”は、急に出てきて、本を広げるみたいになって、わかるの。疫病のことも、“記憶の私”が知ってたの。早くしないと大変なことになる。疫病がここにきたら、孤児院のみんなが死ぬ、沢山の大人が死んだら孤児が増える。今なら間に合うって、話を聞いたときにわかったの」
突拍子もない話だったが、ローズが嘘をついているようには見えなかった。
「ずっと黙っていてごめんなさい。でも、自分でもよくわからないものを、どう説明したらいいか、わからなくて」
ロバートを見つめる琥珀の瞳が、不安気に揺れていた。
「あなたの言おうとすることは、よくわかりません。ただ、王太子宮にきた頃、ローズ、あなたと話している時、自分が誰と話しているか、わからなくなることがありました」
不安そうなローズに、ロバートはそっと微笑んだ。
「あのとき、私は“記憶の私”と話をしていたのでしょうか」
「私よ。“記憶の私”は、頭の中の本みたいなもの。でも、よくわからない。どうしてあるのかわからないの」
ローズの小さな声が震えていた。
「ちゃんと、話してくれて、ありがとうございます」
ロバートは、そっとローズを抱きしめた。
「信じてくれる」
「えぇ、もちろん」
「ありがとう、ロバート。黙っていてごめんなさい」
「いいえ。確かに、説明は難しいと思います。私もあの頃のあなたに会ったり、シスター長様とお話をしていなければ、あなたの話を聞いてもわからなかったでしょうから」
ローズは、ロバートの腕に包まれ、静かに身を寄せてくれていた。
「ローズ、“記憶の私”が本みたいなものならば、王太子宮にきたのは、あなた自身の意思ですか」
ロバートの問いかけに、ローズは静かに頷いた。
「“記憶の私”は、あなたに命令したりしますか」
「しないわ。こんな方法があるってわかるだけなの」
ロバートの腕の中にいても、ローズはロバートと目を合わせようとはしなかった。
「そうですか」
「ごめんなさい」
「あなたが謝ることではないでしょう。あなたにも、よくわからないことだそうですし」
腕の中のローズの体から力が抜けたのが分かった。
「ロバート、いつも、優しくしてくれてありがとう」
ローズを、ロバートはそっと抱きしめた。
「ローズも、話してくれてありがとうございました」
ロバートの腕の中で、ローズがそっと目を閉じた。
「“記憶の私”が、あなたに命令するなら、小さなローズに無茶なことをさせないでくださいと言いたかっただけなのです」
腕の中のローズと目があった。
「ところが、無茶をするのはあなた自身のようですから、困ったものです」
「ごめんなさい」
「何かするとき、必ず私に相談してください。一人で無茶をしないください。あなたはまだ小さいのですから」
腕の中でローズが頷いたのが分かった。頷きながらも、多分十三歳になった、背も伸びたと小さな声で言っているのは無視した。
「アレキサンダー様とグレース様には、また、別にお話をする時間をいただきましょう」
「はい。他の人達は」
「あとは陛下にお話ししたら十分です」
ローズが、安堵したように息を吐いた。
「ロバート、もうちょっと、このままでもいい」
「はい」
「ずっと言わなきゃいけないと思っていたけれど、なんといっていいかわからなかったの。ロバート、信じてくれてありがとう」
ロバートは微笑むと、腕の中のローズの額に口づけた。
「あなたは嘘が下手ですから、わかりますよ」
「もう」
ロバートの腕の中でローズがむくれた。ロバートは、その唇にそっと厨房の料理長が持たせてくれた菓子を、軽く触れさせた。
「試作品だそうです」
嬉しそうに口をあけたローズに、そっと食べさせてやる。
「また、感想を教えてやってください」
菓子をほおばったまま、ローズが頷いた。
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外での軽食をとるようになった、ある日の出来事です。
おそらく甘い現在と、本当に甘くなかった過去 https://ncode.syosetu.com/n0227gw/