11)ロバートの“妹”
ロバートが物心ついたときには、母アリアと、アレキサンダーと三人で、教育係達と使用人達と護衛達に囲まれて暮らしていた。父の記憶はない。年に数回、遠くからやってくるアレキサンダーの父親、アルフレッドは優しかった。大好きだったけれど、自分の父親ではないことは知っていた。家族は母だけだと思っていた。
「弟や妹が欲しかったのです」
ロバートは、ずっと兄弟が欲しかった。地方の王領にいたころ、周囲の子供達には兄弟がいた。いつも一緒にいるアレキサンダーのことは弟だと思っていた。
「幼い頃、母に妹が欲しいと言ったことがあります。恐れ多くも、アレキサンダー様を弟だと思っておりました。弟はいるから、他の子みたいに妹が欲しいと、母に言ったのです」
今、思い出しても苦笑するしかない。
「母に、アレキサンダー様は、兄弟とは違う。いずれ王となる方だ。仕えるべき主だと教えられました」
幾つの頃だったのかは覚えていない。ただ、がっかりした。アレキサンダーは、可愛い大事な弟だと思っていた。一生懸命大事にしていたのに、弟ではなかったのだ。
「父は王宮でのお勤めがあって、こちらに来ることができないから、弟も妹も諦めてほしい、と母に謝罪されました」
当時、わからなかった理由も今ならわかる。母が謝罪することではない。確かに父バーナードには、王宮侍従長という務めがあった。だが、務めが、愛人を次々と囲い、母を蔑ろにした理由になるだろうか。母が死んだ前日に、バーナードの名で送られてきた、あのショールは、務めが原因だったと言えるだろうか。
「小姓見習いだったジャックを覚えておられますか。初めて教育を任された子で、まるで私が兄であるかのように慕ってくれました」
ジャックは、あの痛ましい事件で命を失った5人の一人になってしまった。
ジャックが命を落としたと聞かされた時、助かったのが自分一人だと聞かされた時、絶望した。どうして自分だけが生き残ったのだと、自分を責めた。今も、あの時の棘がロバートの中に突き刺さっている。
アレキサンダーが王太子となり、たった一人の乳兄弟として共に王太子宮に移り住むことになった。育った王領にある住み慣れた屋敷は懐かしいが、一度も帰ったことはない。屋敷を出発する日、不安げな主の背中に、ようやく自分が生き残った意味があると思えるようになった。
「王太子宮にきてから、小姓や近習を指導する機会は多くありました。みなそれぞれ、至らぬ身でありながら指導しようとする私に、応えてくれました。悩むことも多くあります。伝えたかったことを理解してくれたときなど、嬉しいものです。女の子で、世話を任されたのは、ローズが初めてです」
ちょっとどころでなく変わっているが、可愛い妹のような子供だ。
王太子宮にきたときのローズは、見すぼらしい服を着て痩せぎすの、気が強く、ませた口調で、大人びたことを言う口達者な子供だった。
ローズは、助かる人を助けたい。自分のような孤児や、子をなくした親が増えることは悲しい。それを避けたいと語り、褒美の話など一切しなかった。そもそも褒美など、考えてもいなかった。粗野な育ちなのに、高潔な精神に感心した。
大司祭が聖女かもしれないとおっしゃるのも、日々のお転婆がなければ頷ける。
年齢以上に大人びたところと、幼いところがあって、不均衡な様子に、ローズが成長途中であることを感じた。素直で優しい心根のまま育ってほしいと願っている。
「初めての女の子です。奇妙な点もいろいろありますが、あの子は、私にとっては妹です。素直な可愛い妹です。親のいないローズですが、己の不幸を嘆くこともしません。あの子なりに、自分を納得させ、あの子を捨てた親ですら、受け入れようとしている。捨てられたと言うのに、孤児院の前だから、助かるようにしてくれた、それでいいと、微笑むような子です。あの子が、本当に幸せそうに笑えるようにしてやりたい」
あの時、ローズは自分がどれほど悲しそうに微笑んでいたか、知らないのだろう。
「妹です。ローズは、可愛い大事な妹です。生意気ですが、懐いて慕ってくれています」
そうとしか言えなかった。
アレキサンダーは何も言わなかった。長い沈黙のあと、アレキサンダーが深くため息をついた。
「もともと他人だろう」
アレキサンダーに言われなくても、ロバートもわかっている。
「はい」
「別に、死のうが生きようが、他人のお前に関係などないだろう。いなくなっても、あの小娘がくる前に戻るだけだろうが」
「それは」
アレキサンダーの言う通りなのだが、ロバートはどうしても、賛同できなかった。
「あの子が、監獄で死のうが、孤児院に戻ってシスターになろうが、お前に何の関係がある。あの子が孤児院に帰るというならば、置いてきたらよかったんだ。また連れて行く手間が省ける」
馬車で傍らに座り、ローズは笑顔で楽しかったといった。最近、笑顔が減っていたから元気になってよかったと思った。
「あの娘が、孤児院に戻って、元通りに暮らす。別に、本人が望むならそれでもいい。私は許可する」
王太子の空色の瞳に、見透かされている気がした。
「お前はそれが嫌なのだろう」
何も言えなかった。
「なぜ嫌なのかわかるか」
アレキサンダーの言葉にロバートは答えられなかった。これ以上、考えてはいけない。心の中で警鐘が聞こえる。
「ロバート、お前」
アレキサンダーが、乱暴に頭を掻いた。
「困ったやつだ。なぜ、お前たちは、妙なところが似る」
ロバートには、アレキサンダーの言葉の意味がわからなかった。わかりたくなかった。
「まぁ、私も人のことは言えんが」
苦笑するアレキサンダーに、ロバートは当惑した。
「苦手なことはさておき。ロバート、ローズになぜ、仲の良かった孤児が死んでから人が変わったか聞いてこい」
「はい」
ロバートが、一瞬返事を躊躇ったことを、アレキサンダーは聞き逃さなかった。
「何も訊問しろとは言っていない。落ち着け」
アレキサンダーは、呆れたようにロバートを見ていた。
「あとは、なぜ、お前がそうやって動揺するのか、少しは考えろ」
「はい」
アレキサンダーの言葉に返事をする自分の声が、また、遠く聞こえた