9)シスター長の願い
ロバートが王太子の使いとして、シスター長に正式に面会の許可を申し込んだのは数年ぶりだった。
「先日は、リゼの付き添いとしてまいりました。こうしてまたお時間をいただきありがとうございました」
「わざわざご丁寧にありがとうございます」
あの日、ローズを抱きしめていたシスター長が穏やかにほほ笑んでいた。
「早速ですが、今、王太子殿下がローズと呼び、王太子宮で養育している子供、あなた方がリゼと呼ぶ子供のことをお聞かせ願いたいのです」
「まぁ。あの子が何か、したと思いますが、ご迷惑をかけまして」
ローズをよく知っているからこそのシスター長の言葉にロバートは微笑んだ。
「いえ。迷惑などなにも。逆にリゼは本当にこの国のためになることを成し遂げました。今も、王太子殿下の助けとなっています。せいぜい、その功績をリゼ自身が認めないので困るくらいです」
ロバートの言葉にシスター長が苦笑した。やはり、ローズのあの、自覚のなさは昔からなのだろう。
「リゼは、同年代の子供と比べて少し違うところが多いと王太子殿下はお考えです。孤児院で多くの子供と接しておられる方はどうお考えでしょうか」
単刀直入なロバートの質問にも、シスター長は穏やかな笑みのままだった。
「今はあの子はローズですわ」
シスター長に気を遣い、ロバートはローズをリゼと呼んだ。ロバートの気遣いは不要だということだろう。
「あの子は首が座ったばかりのころ、孤児院の前に置かれていました。リゼと名付けました。同じ頃にここで預かるようになった、リズという子供がいて、二人はいつでも一緒で、本当に可愛らしかった。変わったのは、リズが亡くなってからです。丁度ローズが八歳のころです。リズの墓の前で泣いていたローズは、突然、人が変わったようになりました。大人びたことを言うようにもなった。あの時、なぜあの子が変わったのかは私たちにはわかりません」
ロバートも、ローズと会話をしていると、時に口調が変わることは気づいていた。口調だけではない、目がするどくなり、仕草もかわる。王太子宮に押しかけ、疫病のことを語ったとき、冷徹さ、威厳までも感じさせる何かがあった。
「それでも、あの子は私たちが育てました。リゼは、あなたがローズと呼ぶあの子は、ここにいる子供たちと一緒に育ちました。私たちの仲間です。娘です。姉であり妹です。優しい子です。誰かのために泣くことができる優しい子です。どうか、あの子を幸せにしてやってください。小さなあの子は、リズの死や他の子供たちの死に、責任を感じているようでした。でも、子供のあの子に何ができるというのでしょう。あの日、リゼはやらなければならないことがあるといって、孤児院から出て行きました。私は見送ることしかできませんでした。それからはただ毎日、祈りました。聖アリア様にどうか、リゼをお守りくださいと」
シスター長は祈るように両手を目の前に組み合わせた。
「それが、あなた方がリゼと呼び、私たちがローズと呼ぶあの子が、王太子宮に現れた日ですか」
「えぇ。イサカの町の疫病の話は、教会から伝わってきました。リゼはそれを聞いたのでしょう。出て行ったのは数日後です。私が見つけなければ、誰にも言わずに出て行くつもりだったようです」
当時を思い出したのか、シスター長は涙ぐんでいた。誰にも言わず出て行こうなど、ローズらしい。
「ローズはなぜ、疫病への対策など知っていたのですか」
それが、ロバートの、アレキサンダーの一番の疑問だった。書物で知ったと貴族会議でローズは語ったが、孤児院に疫病のことなど記載した書物はなかった。
「それはわかりません。私たちが知るのは、変わってしまったあの日から、リゼが子供らしさを捨ててしまったことだけです。ですから、先日、私たちは驚きました。リゼが、誰かに素直に甘える様子など、本当に久しぶりにみたのです。小さい子供たちのお姉さんとして振舞うリゼに、慣れていましたから」
シスター長の言葉はロバートには意外だった。ロバートはあの日、それまで見たことのなかったローズの笑顔を見たのだ。
「ですが、この孤児院で、他の子供たちに囲まれ、ローズは笑顔でしたが」
「えぇ、みんな、しっかり者で優しい、“泣き虫リゼ”が大好きですもの」
シスター長の言葉に、ロバートは眉をひそめた。さらに意外な発言が、シスター長の口から飛び出してきたのだ。
「しっかり者で、優しいのに泣き虫ですか」
「えぇ」
「しっかり者というより、目的のために突進するので私達としては心配しています。それに、私が知る限り、あの子が泣いたのは、私がイサカの町から戻った日だけです。何か無理をさせてしまっているのでしょうか」
シスター長はゆっくりと首を振った。
「優しい可哀そうなあの子は、自分のためにはあまり泣きません。誰かのために泣くのです。誰にも甘えない、誰かを信頼して身を任せることなどしない、精一杯大人に近づこうと、背伸びをしているような子です。人に甘えるあの子など、本当に久しぶりに私達は見ました。ですから、どうかよろしくお願いいたします」
シスター長は、椅子から立ち上がると、聖職者達の最敬礼である姿勢、両腕を胸の前で交差させ、深く両膝を折りまげ、腰を半ばまでおる姿勢をとった。さすがにロバートもそれには慌てた。
「お待ちください、シスター長、そのようなお願いをされても、私には何も」
同じく立ち上がり、シスター長に立つように促すが、シスター長は姿勢を変えようとしなかった。
「大人びていても、あの子は子供です。信頼できる大人が、あの子を大切にしてくれる大人が、あの子には必要です。ですから、どうか、あの子をお願いいたします」
「ですが」
「あの子が誰かを信頼して、甘える姿は本当に久しぶりでした。ですからどうか、よろしくお願いします」
「シスター長」
ロバートはそれ以上、何も言えなかった。妹のように大切な小さな少女だ。使用人であるロバートには、何の権力もない。ローズを、リゼと呼び、娘のように大切に思っているであろうシスター長の願いを叶える力はロバートにはないのだ。
「どうか、よろしくお願いいたします」
ロバートは静かに頷いた。だが、何も言えなかった。