4)ロバートの懸念
初夏の薔薇の季節が訪れようとしていた。早咲きの薔薇は既に咲いている。ローズが王太子宮に来たのは薔薇が咲く前だったから、あのイサカの町に関わって一年を超えたのだ。ローズは馬車からの景色が珍しいのか、窓の覆いの隙間から外を覗いていた。
レオンにとってはいつもの外出か、少し控え目な装備だといっていた。馬車の前後に二騎ずつ騎馬兵がつき、御者も武装し、レオン自身も長剣を帯び、物々しい。馬車も、装飾はほとんどないが、頑丈で揺れも少なく、代々総騎士団長を務めるアーライル家の気風、質実剛健を現した馬車だった。
客人を下座に座らせるわけにはいかないというレオンに、身分が下であるロバートとローズは上座に座らされていた。
「我々の中で一番お小さいローズ様が下座では、お可哀そうではありませんか」
レオンにそう言われると、ロバートも折れざるを得ない。上座のほうが乗り心地が良いのは事実だ。装備も含めると、自分の方が重いから平衡をとるためといい、レオンは下座に陣取っていた。
イサカの町にいた時よりも、レオンの態度は丁重だ。ロバートは正直困惑していた。他の貴族の手前、子爵家の跡取りは、使用人に媚びると言われるようなことは、レオン自身のために避けなければならない。
「ですから、私に敬称などいりません」
「レオン様は貴族様ですから、孤児の私に過度のお気遣いはいりません」
ロバートの言葉に、ローズも続けた。
「いえ、子爵家の跡取りを兄か私か分家も巻き込む問題になることを未然に防げたのです。お二方のおかげです」
レオンの言葉にロバートはめまいを覚えた。武官を束ねるアーライル子爵家とその親族に、派閥争いなど起こされては国が傾きかねない。意図せずして防ぐことができたのは幸いだった。
「イサカでのレオン様の功績はレオン様のものです」
ローズは笑顔だった。ローズが本当にそう思っていることをロバートも知っている。
「いえ、ですから、ローズ様がいらっしゃらなければ、何も始まらなかったのですから、ローズ様の御功績こそが重要です」
レオンの言うとおりなのだ。イサカの町への対策のすべては、ローズの提案から始まっていた。その功績をローズ自身があまり理解していない。ロバートだけでなく、御前会議に出席し、事情を知る高位貴族達も、アレキサンダーもアルフレッドも、謙虚すぎるローズに困惑していた。
イサカの町から戻り、国王への謁見の時、ローズが貴族会議ですべての功績を王太子とロバートのものとして報告したと聞かされ驚いた。ローズはアレキサンダー王太子と名代を務めたロバートの功績であり、それを許可したアルフレッド国王の業績だと主張したと教えられた。確かにイサカの町で、町の人達を相手にしたのはロバートだ。
だが、そのための情報、必要な物資、次に何をすべきかという全体像は、王都にいたアレキサンダーからの指示だった。アレキサンダーを補佐していたのはローズだ。
イサカの町でのロバートの功績は、王都にいたアレキサンダー王太子と、彼を補佐していたローズあってのものだというロバートの主張を聞いたのは、御前会議の面々だけだった。彼ら高位貴族達は元からローズの功績を知っている。何も知らない下位貴族達が、ローズの功績を理解していないことが、いずれ、王太子の側近としてローズが表舞台に立つとき、問題になる可能性がある。
御前会議に参加する貴族のうち、アレキサンダーの親派も懸念していた。人数では下位貴族のほうが勝るのだ。
ローズの謙遜を心配するロバート自身も、今回の功績に爵位を与えようかという国王アルフレッドからの内密の打診を断っている。アルフレッドはロバートが断る理由を知る数少ない一人だ。残念がってくださっただけでも、ロバートにとっては、十分ありがたかった。
ありもしない手柄を主張されてもこまるが、己の手柄を否定するローズの扱いがわからないという、アレキサンダーの愚痴をロバートは何度も聞かされていた。
ロバートにローズを何とかしろと言いたいのだろう。だがロバートが何を言っても、ローズには通じないのだ。他人の功績を褒めることに熱心なローズの言葉を真に受け、下位貴族の中にはローズの貢献を否定するものまでいた。先日の貴族会議で、リヴァルー宰相が釘を刺してくれたらしいが、愚か者はそういったことをすぐに忘れる。
ローズの謙虚さが、いずれローズ自身の首を締めないか、ローズに親しいものたちは心配していた。
ロバートの内心など知らないローズは、窓の外に飽きたらしい。レオンと話を始めていた。
「その御恰好、レオン様も本当に武官ですねぇ」
「兄にはかないませんが、私も武官です。剣をふるい、槍も使い、弓も引くのですよ」
王太子の乳兄弟として、それなりに鍛錬をしているが、文官としての仕事が多いロバートとは明らかに腕の太さからして違う。
「レオン様のお兄様、アラン様でしたよね。さらにもっと大きい方でいらしたわね」
「おそらく、以前ローズ様にお会いした時よりも、また大きくなっていますよ」
「まぁ」
「ロバート様は弓が御得意のはずですよ。狩猟の時期には、大変ご活躍とのお噂を常々耳にしております」
突然聞こえてきた自分の名に、ロバートは現実に引き戻された。
「レオン様、そのように過分におほめ頂いては困ります」
ローズに狩猟に連れて行けと言われて困るのはロバートだ。
「また、ご謙遜を」
訳知り顔のレオンの言葉に、狩猟の際に周辺の警備を担うのは、騎士達だと思い出した。彼らから、何か聞いている可能性がある。
「レオン様、狩猟は、色々な方のお立場もございますから」
その言葉にレオンがにやりと笑った。絶対にこれは知っている顔だ。
「いえ、僕らは警護する身です。狩猟は一族だけで気軽にやるほうがいいですよ。ぜひ一度いかがですか。狩りの季節に一族だけで気軽に狩りをするのです。警護は各自の責任ですし、気が楽ですよ」
気軽と繰り返すレオンの申し出は非常に魅力的だった。
「それは」
魅力的な申し出だが、一人で自由に行動することはロバートには難しい。
「いつでも、いつまででも、お待ちしています」
ロバートの事情を知るレオンならではの言葉に、ロバートはただ頭を下げた。
「私も、一緒にいけますか」
ローズの言葉にレオンが微笑んだ。
「無論、警護を用意しますから、ぜひいらしてください」
「はい」
ローズが嬉しそうなのはよい。いつになるかはわからないが、実現できたらいいとは思う。嬉しそうに足をばたつかせるローズを、ロバートは窘めた。
昨年、子供のローズの足で半日かかった距離も、軍馬を繋いだ馬車であれば早い。話をしている間に御者が到着を告げた。