3)レオン・アーライルの送迎
数日後、ロバートは一日暇乞いをした。アレキサンダーは、事情を話すと簡単に認めてくれた。グレースが満面の笑みを浮かべていたが、一言もなかった。逆に気になったが、頭から追い出した。
イサカの町から、レオンが報告のために戻ってきたのだ。レオンは、近隣の町も巻き込み、周辺一帯の国境警備の改善に着手し、成果を上げつつあった。
「ぜひ、アレキサンダー王太子様には、イサカへの御視察頂きたく存じます。町の者もぜひ、御礼を申し上げたいと申しております」
御前会議で、レオンはそう報告した。視線が一瞬、ロバートとローズを見たのは意図してのものだろう。久しぶりにレオンに会ったことで、ベンの別れ際の言葉が、また、ロバートの耳に聞こえてきた。
「いつか町に来てくれ。ローズさんと良い仲になって、薔薇が咲く頃に、二人で来てくれ。俺も母ちゃんもまってるよ」
ローズはロバートに懐いてくれている。ローズが王太子宮に現れて早々、アレキサンダーに面倒を見ろと命じられた。それ以来、侍女頭のサラに一部は任せているが、基本的にはロバートが面倒を見てやっている。懐いてくると、可愛いものだ。妹がいたら、こうだったのだろうかと思いながら可愛がってきた。良い仲ではないが、ローズとの仲は良いつもりだ。
若くはないベンのことを考えると、あまり先延ばしにしないほうがよい。誤解を解くためにも、ローズにローズ自身が成し遂げたことを見せてやるためにも、イサカの町に連れて行ってやりたいとは思う。アレキサンダーの地方への視察は、数年先まで目白押しだ。グレースの懐妊により出産という不確定の要素が加わった。上手くイサカへの視察を用意したいが、容易ではない。
ロバートが、レオンにローズを一度育った孤児院に連れて行きたいため、警護の人員を貸して欲しいと頼んだのは先日のことだ。
「孤児院へのローズ様の送迎は、ライティーザの総騎士団長の息子であり、アーライル子爵家の跡継ぎであるレオンとして責任をもって勤めさせていただきます」
レオンは、心強いが、やたらと張り切った口上を述べた。少し芝居がかったその口上にローズが笑顔になった。
レオンが用意した馬車と騎兵を見たロバートは恐縮した。質のよさそうな四輪の馬車には四頭の馬が繋がれ、騎兵が前後二騎ずつ合計4騎同行している。
手をつないでやっているローズは無邪気にはしゃいでいる。略式とはいえ武装した騎兵を間近で見るのが珍しいのだろう。琥珀色の目を輝かせて可愛らしいが、不用意に騎兵に近づきそうで、危なくて手が離せない。軍馬は基本的に気が荒い。しつけられていても、不用意に子供が近づいていい相手ではない。
レオンはそんなローズをみてほほ笑んでいた。
「ローズ様のお役に立てるなら、僕の馬車も私兵もいくらでもお使いください。訓練を兼ねることもできますので、お気遣いなく」
子爵家に転落したとはいえ、アーライル家は、本来は侯爵家の家柄だ。逆に子爵家に転落したことで、一部の義務から外れ、力を蓄えつつあるのも事実だった。
「我が家の家督相続の問題が、円満解決できたのは、ローズ様とロバート様のお陰です」
アーライル子爵家の内部では、兼ねてから、力に優れた兄と、戦略に優れた弟のどちらが家督を継ぐかが大問題になっていた。優れた騎士である長男のアランを推す派閥と、知略に長けた次男のレオンを推す派閥に別れ、どちらがより優れているか、実力があるかと激論になっていた。実力主義として知られるアーライル家だが、実力とはなにかという議論にまで立ち返った論戦にもなり、分家まで巻き込み収拾がつかなくなっていた。
疫病の町で次男が功績を立て、兄が功績を立てた優れた弟に家督を譲るという形式をとり、無事に家督問題が解決できたとレオンは笑顔だった。
アレキサンダーは、騎士達を束ねるアーライル家を侯爵家に戻し、文武の均衡をとろうとしている。跡継ぎ次男と揶揄されるレオンの今後の働きを、期待していた。兄のアランを総騎士団長に、弟のレオンを軍務大臣にというのは、アレキサンダーの構想の一つだ。アーライル家の忠誠が未来永劫約束されているわけではないと、ロバートはあえて水を差しておいた。文武の均衡は必要だが、いずれもが暴走しないように枷も必要だ。
アレキサンダーの側近として、ようやくアーライル家のアランとレオンが確保できた。側近が二人だけでは心もとない。グレースの実家、アスティングス家には息子が二人いる。伝え聞くとおりであれば、長男ウィリアムの評価は今一つ、次男ウィルフレッドは悪行が過ぎる。
先の問題だが、アレキサンダーの治世の安定を安定させるためには、有能な側近が、宰相や大臣職を務めることのできる、より若い世代の貴族が必要だ。アレキサンダーの治世が安定すれば、ローズのような自らでは身を護れない者も、安心して生きていけるだろう。
馬車の扉をあけたレオンに、そのロバートの思考は中断させられた。
「レオン様、我々に上座をすすめておられるように、お見受けしますが」
先のことよりも、馬車の座席が問題だった。レオンが上座へ座れと促しているのだ。
「無論です。お二方は一族の恩人であり客人です。どうぞ上座にお座りください」
レオンは心根の真っ直ぐな若者だ。イサカの町を拠点に活動を広げ、周辺の町や街道の治安改善にも乗り出しており、現地からの報告でも評判が良い。素行に問題があるという報告もない。だがレオン自身が貴族で、ロバートが使用人で、ローズが孤児だということをわかっているのか、疑問になった。
「レオン様を差し置いて、我々が上座に座るわけにはまいりません」
「一族の恩人を下座などありえません」
即答したレオンの目は真剣だ。自由な気風で知られるアーライル家だが、レオンは次期当主だ。どう説得したものかと悩むロバートの耳に、別の声が飛び込んできた。
「御者さん、馬を四頭ってどうやって操るの?」
「あぁ、お嬢さんそれはね。アーライル家の馬は賢いからね。ちゃんと教えてやれば大丈夫さ。あと、手綱の持ち方にコツがあるんだよ」
身分、立場の問題となると、ロバートとレオンは互いに譲らない。面倒を嫌うローズは、自分の好奇心を満たすことにしたのだろう。幸いなことに、御者は快く応じてくれていた。
「申し訳ありません」
「いえ、ローズ様が好奇心旺盛でいらっしゃることは存じ上げております。皆にも伝えておりますので、お気遣いは不要です」
レオンは出来る若者だ。だが、相変わらずその姿勢は、ロバートに上座へ座れと促していた。