60)ローズの宣言
早朝。寝台の上に広げた服を見て、ローズは途方にくれていた。孤児院から王太子宮に来た時に着ていた服だ。ここしばらくの贅沢のため、太って入らない。背も伸びたせいか、やや丈が足りない。
「困ったわ」
孤児院に帰ろうと思うのだが、着て帰る服がない。王太子宮に来てからは、使用人の子供達の服を着せてもらっていた。最近は、グレースが実家から取り寄せた、彼女の子供の頃の服を着ている。
古着とはいえ、侯爵令嬢の服だ。恐れ多いことこの上ない。妹がいたら、着せたかったのと、とてもうれしそうにおっしゃっていただいている。綺麗な服を着せていただき、それを喜んで下さるのはうれしいが、気が引ける。そんな大切なグレースの服を孤児院に着て帰るわけにもいかない。盗難だ。
着て帰る服をどうやって手に入れるか、誰に頼んだら貰えるか、誰に聞けばいいのかわからない。わからないときは、偉い人に聞くのが手っ取り早い。そこまで考えて、ローズは大切なことを思い出した。
「お礼を言わなきゃ」
お世話になった人にはお礼を言わなければいけない。この国の貴族の中でも本当に偉い、身分の高い人たちには、本当にお世話になった。黙って帰るのは失礼なことだ。幸いなことに、今日の午後、偉い人たちに会う予定があった。
「お礼をいって、お別れを言って、帰る服は、サラさんにお願いしようかしら」
サラの娘、ミリアのお古を借りて帰って、後で洗濯して返せばいい。ローズは午前中の間に、サラにお願いすることにした。
貴族会議で発表してから、ローズは王宮での御前会議にも、時々参加するようになった。大人用の椅子に、クッションを置いている。王太子宮でのお茶会と思っていた会議に参加していた時と一緒だ。ロバートに座らせてもらうのも変わりない。
御前会議は、前半に予定されていた議題の審議が終わり、休憩時間になった。
「もうすぐ孤児院に帰ろうと思うのです」
休憩のお茶会だというのに、変わらず政策談義が進んでいたが、突然のローズの発言に、場が静まり返った。
「ローズ、君は今なんといったかね」
身分でなく才覚で宰相の地位を得た伯爵、その過程に関して黒い噂も囁かれるリヴァルー宰相が真っ先に口を開いた。一人娘をずっと以前に喪ったという宰相は、ローズを孫のように可愛がってくれていた。
「そろそろ孤児院に帰ろうと思います」
「誰か、帰れといったのかい?」
ローズに対しては優しいリヴァルー宰相だが、かなり凄腕の恐ろしい政治手腕の持ち主だ。血なまぐさい噂もある。先日、知っておいた方がいいと言ってロバートが見せてくれた資料には、なかなかの記録があった。今も、優しく微笑んでいるが、目が怖い。
「いいえ。誰も何も言いません。でも、私はただの孤児です。あの町の問題には、もう、お役に立てません。これから皆さまで解決されることです。だから、孤児院に帰ります。皆さまには、今まで大変お世話になりました。ありがとうございました」
誰かが左遷されたら可哀そうだ。ローズは笑顔でお礼を言った。椅子から降りて、きちんとお辞儀をしたほうがいいだろう。ローズは、椅子から降ろしてもらおうと、いつもどおりロバートに手を伸ばした。ロバートと目があったが、ロバートは微笑むだけで、椅子から降ろしてはくれなかった。
かといって、椅子から強引に滑り降りるのはお行儀悪い。危ないと叱られるのもわかっている。どうしてロバートは、普段はとてもかしこいのに、ときどき察しが悪くて残念なのだろう。ローズは少しがっかりしながら手を降ろした。
一応、ローズの身長は本当に伸びています。
大人達にわかってもらえないくらい、ちょっとだけです。