58) 微睡むローズ
グレースの横で、ローズはスコーンを手にもったまま動きを止めていた。
ませていても子供は子供だ。ロバートは、そっと席を立ち、ローズを椅子から降ろした。庭の一角に敷物代わりに外套を敷き、座らせた。
「あの、外套が」
「もともと、こういう使い方もするのですよ。気にする必要はありません」
持ってきたティーカップを傾かないように置いてやる。
「ありがとう。あなたの分は?」
「今更取りに戻れません」
あの様子では、どう考えても野暮な行いになってしまう。ローズがまた、耳まで真っ赤になってしまった。
「ロバート、あの、半分こする?」
じっと見つめるローズと目が合った。
「甘いものは好みませんから。ローズ、あなたがおいしく食べてください」
「でも紅茶は。喉は渇くでしょう」
「子供のあなたが気を遣うことではないでしょうに。毒見の都合もあるので、最初に飲んでいます。あなたが戻ってくるまでの間もありました。私のことは気にせずに」
そういうと、ロバートは周囲を見た。
「初夏の薔薇が終わってしまいましたね。イサカの町でも咲いていたはずですが、全く記憶にありません」
「このお庭もきれいだったのよ。でも、時々しか見れなかったの。庭師さんたちに申し訳ないわ。せっかく綺麗に手入れをしてくれているのに」
ロバートは隣に座るローズの髪に触れた。柔らかく艶やかな髪に、ドレスと同じ淡い色の布が編み込まれていた。ずいぶんと手の込んだ髪型だ。なかなか帰ってこなかったのも無理はない。だからその分、アレキサンダーと話し合う時間はあった。
「綺麗ですね」
「サラさんと、ミリアさんが編み込んでくれたの。グレース様もちょっとなさったわ。いつかお姫様が生まれた時の練習ですって」
ローズが微笑んだ。
「寝転んで空を見ると気持ちがいいですよ」
ロバートの言葉に、ローズが寝転がった。身の丈が小さいローズは、ロバートの外套に問題なく収まってしまう。
「いいお天気。そういえば、お空もずっとみてなかったわ。ロバートは」
横になれというように、ローズが外套を叩いた。
「私はこの外套では収まりません」
ローズは笑い、小さくあくびした。時間をくれるというならば、ローズを休ませてやりたいとロバートは思っていた。
しばらくして、隣から小さな寝息が聞こえてきた。イサカの町から帰ってきたが、まだあの町の問題は解決したわけではない。今も忙しい毎日が続いている。
ローズも忙しいままだった。
ロバートがイサカの町に出発したころ、ローズは疫病対策だけに関わっていた。それが今は、王太子の補佐であるかのように、町に生じる多くの問題に関わり、問題が大きくなる前に先手を打ちに行っていた。
本来は、近習達の仕事だ。出来れば、ローズをその任から外してやりたい。だが、外すにはローズはあまりにもこの問題に深くかかわりすぎていた。
無論、ロバート不在の間は、後輩でもある近習たちは立派に各自の役目を果たしていた。不在を機に、ロバートが担当していた仕事を割り振ったことで、ロバートが考えていたより、一人一人に能力があることもわかった。
おかげでロバートは今、イサカの町や周辺、ティタイトとの間の問題に時間を割くことができるようにはなった。王太子領に関することなどは、他に任せることか出来ないため、忙殺されていることにかわりない。
聖アリア教会も、ローズの多忙の原因だった。聖職者たちは、何かにつけ王太子宮を訪れアレキサンダーと謁見していく。その際必ずローズにも面会をと望むのだ。大司祭が、ローズを聖女の可能性があるといったことの影響だ。ローズ自身は否定するが、大司祭は、謙虚なお人柄は聖女にふさわしいと、ますますローズを聖女に違いないと思いを強くしているらしい。ローズの孤児という出自が大司祭に聖女アリアを想起させるのだろう。
ローズは確かに疫病から町を救った。夫と共に旅に生き、病者を救ったと言われる聖アリアの伝承を想起させることだ。
王太子であるアレキサンダーにとって、ローズが聖女候補のほうがいいことはわかっている。だが、頬に菓子の屑をつけ、机から飛び降り、本棚によじ登り、梯子ごと倒れるのがローズだ。大司祭の誤解は早々に解いておきたかった。
それ以上に、ローズに関しては大きな問題があった。
王太子からは、ローズをこのまま育てて側近にすると言われた。いずれ、生まれる彼の跡継ぎの教育係も兼ねさせるため、王宮の学者たちに、ローズを教えるように手筈も整えるといっていた。
そのために一つ確認するように、王太子には命じられていた。
「ローズ」
気持ちよさそうに眠る少女は目を開けない。そっと頭を撫でてやる。柔らかい滑らかな髪を撫でていると、うっすらと琥珀色の瞳がのぞいた。
「リゼ」
孤児院の書類にあった名前で呼ぶと、琥珀色の瞳が瞬いた。
「なぜ、違う名前を名乗ったのですか」
ローズに、ずっと嘘をつかれていたと思うと、胸が苦しくなった。信頼してくれていたのではなかったのか。
琥珀色の瞳を見つめていると、ローズが、あるいはリゼが起き上がった。