57)束の間の休日
ロバートの報告を兼ねた謁見が終わった数日後、王太子宮には穏やかな一日が訪れていた。
アレキサンダーは、今日一日は絶対に執務はしないと宣言した。妻であるグレースとゆっくり会話する時間すらないと愚痴をこぼしたのは数日前だ。
庭での久しぶりの王太子夫妻のお茶の時間に、ロバートとローズが同席を許された。普段のお茶の間、ロバートはアレキサンダーの近くに控えているが、席に着くことはない。
侍女頭のサラが、ロバートの同席を許すのは、彼の慰労を兼ねた茶会だからとローズに教えてくれた。アレキサンダーとロバートの乳兄弟二人で水入らずの時間を過ごしたいだろうと思ったローズは、一度は参加を遠慮した。
「いまさら何を遠慮する。ここでの茶会が、御前会議だったことくらい、気づいてただろうが。それに、イサカの町に関わったのは、ロバートだけじゃない。ローズ、君もだろう」
「ローズ、あなたがいないと寂しいわ」
王太子宮の主である王太子夫妻に揃って言われると、ローズも遠慮するほうが失礼かと思い直した。王太子宮でのお茶会が御前会議だと知ったのは、王宮で貴族達の前でしゃべった後だということは、内緒にすることにした。
庭にテーブルや椅子が並べられ、茶会の用意がされていた。始まるはずだった茶会は、グレースの思い付きで開始が遅れていた。
「ローズ、あなたも可愛くなったのだから、もっと可愛くなってほしいわ。きっと似合うと思うの」
そう言ったグレースにローズは王太子宮に連れ戻されてしまった。
ローズは、ロバートに助けてくれと、目で訴えた。だが、ロバートは丁寧なお辞儀をして見送ってくれただけだった。ロバートは、ローズを過保護なまでに構ってくれるが、時々察しがよくなくて残念だ。
グレースは、妹が欲しかったと言ってはローズを可愛がってくれる。
「ローズの瞳は琥珀色ね。綺麗な瞳だけれど、私が子供の頃に着ていたドレスと合わせるのは難しいわ。私の瞳は青だから」
グレースは侍女たちと、様々な色のドレスをローズに合わせてみては、首をひねっている。ごく一部を除き、皆楽しんでくれているから、ローズもおとなしく着せ替え人形になっていた。
若い侍女が数人、ローズをにらんでいる。おそらく、ローズが来る前は、彼女達が、グレースの妹替わりだったのだろう。女の嫉妬は怖い。あと少しの間、彼女たちが我慢してくれていたら、もとに戻るから、放っておいてほしいとローズは切に願っていた。
ローズは、若い侍女達のうち数人から嫌われていることは知っていた。ひそひそと陰口を囁きあっているのも知っている。万が一、あのローズに過保護なロバートが気づいたら、彼女たちが罰されかねない。女性の使用人に関しての権限は侍女頭のサラにある。だが、アレキサンダーに最も近いロバートは、その気になれば王太子宮のすべてを掌握できるだろう。ロバート本人にそんなつもりがないだけだ。
どうしてローズよりも長く、この王太子宮にいるのにそんなことがわからないのか、ローズには理解できなかった。
「今日はこれでいいいわね。あなたの瞳の色なら、向日葵色のドレスも似合いそうね。今度作ってみようかしら」
耳に飛び込んできたグレースの声にローズは慌てた。
「王太子妃様、そんな、もったいない」
「あら、ローズ、あなた物覚えはいいのに、もう忘れてしまったの。私のことをグレースと呼んでくれるのでしょう」
昨日の夕食での、グレースを相手に約束させられたことだ。ロバートのことは呼び捨てなのにと拗ねるグレースに、巻き込まれたロバートが困っていた。
「グレース様」
「なぁに?ローズ」
ローズは、覗き込んできた空色の瞳を見つめた。グレースは本当に綺麗な人だ。青い、空色の瞳に、淡い金髪、白い肌で、まるで絵画に描かれる聖女アリアが、絵から抜け出してきたようだ。グレース、慈愛という名のとおりの優しい人だ。孤児院の横領の陳情ともいえない訴えを取り上げてくれ、解決につなげてくれた。だから、これ以上迷惑はかけられない。
「お気遣いはうれしいですが、もうすぐ私は孤児院に帰りますし、そんなもったいないこと」
「なんですって」
グレースだけでなく、侍女達の手も止まった。
「ですから、もうすぐ私は孤児院に帰りますから」
「ローズ、誰がそんなことを、可愛いあなたに孤児院に帰れだなんて」
グレースが誤解しているらしいことにローズは慌てた。誰にいわれたわけでもない、最初から決めていたことだ。
「別に誰もいいません。いずれイサカの町の疫病ももうすぐ落ち着きます。私がいても役に立ちませんから、孤児院に帰ります。最初からそのつもりでしたし」
町の復興は行政の仕事だ。政はアレキサンダーやアルフレッドのほうが得意に決まっている。ローズの中にある“記憶の私”が、何か特別役に立つとも思えなかった。
「まぁ」
グレースは、そういうとしばらく黙った。
「ローズ、今からは、おめかししてお茶会よ。その話はあとね」
「はい」
楽しい席で、お別れの話が駄目だというのは理解できる。ローズは素直に頷いた。
王太子妃の選んだクリームイエローのドレスを着せられ、髪の毛にもリボンを編み込まれたローズは、緊張して席についていた。グレースが子供の頃に着ていたドレスを着せてもらって、めかし込むのは楽しいが、汚してはいけないと気を遣うのだ。ローズの緊張に気づいたロバートが、ナプキンを膝にかけてくれ、大き目のハンカチを首元に巻いてくれた。
「今日の蜂蜜は、調理人の故郷のものだそうですよ」
ロバートはいつも通り、スコーンに蜂蜜を塗って差し出してくれた。
「ありがとう」
勧められるまま、スコーンを手に取ったローズは首を傾げた。
「ロバート、あなたは食べないの」
「甘いものは、あまり好みません」
ロバートは紅茶にも手を付けていなかった。完全に人払いをしているので、アレキサンダーとグレースの夫婦と、ロバートとローズしかいない。席についてはいるが、ロバートはいつも通り、給仕をしているだけだった。
「ロバート、それでは人払いした意味がないだろう」
「アレキサンダー様」
「こういうときくらい、昔のようにアレックスと呼んでくれたって良いのに」
「さすがに、それは致しかねます」
「あら、それは私も初耳ですわ」
「本当に昔のことですから、ご容赦ください。若気の至りいえ、幼かったころのことです。どうかご容赦いただきたく」
「嫌だ。今日くらいいいじゃないか。王太子になったとたん、他人行儀になったろう。あの時、人前では立場があるといったな。今ならいいじゃないか」
「アレキサンダー様、グレース様もおられますし、ローズもおります」
ロバートの抗議に、アレキサンダーは行儀悪く鼻を鳴らした。
そんなアレキサンダーの腕にグレースがそっと触れ、ほほ笑んだ。
「あら、私はアレックスと呼んでみたいですわ」
「もちろんだ。愛しいグレース、あなたにそう呼んでもらえると、とても嬉しい」
突然、二人は熱く見つめあい始めた。




