53)後任達
宿泊場所の庁舎に帰ってから、マーティンは落ち着かない気分になった。
「あの、カールさん」
同室のカールは、旅慣れていた。商人のカールは、イサカの商家とも取引があり、イサカにも来たことがあるとのことで、今も落ち着いていた。
「なんでしょうか」
年長のカールはマーティンの質問にも、気安く応じてくれ、頼りになった。
「僕らは、この町でやっていけるでしょうか」
マーティンは頼りになるカールに向かって不安をそのまま口にした。
「少なくとも、やっていかないといけないのですよ」
カールの返事は、マーティンをますます不安にさせた。
「あの方、ロバートさん、鉄仮面というだけあって、やっぱり怖そうですし」
静かに黙っていると、ロバートの作り物めいた相貌は、冷たく、人を拒絶しているようで怖かった。
「はぁ」
「僕、どうしたらいいのでしょうか」
マーティンの言葉に、カールが何か言おうとしたときだった。
ノックの音に、二人は扉をみた。
「どなたですか」
「レオン・アーライルだ」
名乗ると同時に扉が開き、レオンが入ってきた。三人の中で一番大柄だが、一番若い。貴族であるためか、一人で部屋を与えられていた。
「どうされました」
カールに言葉をかけられたレオンは、浮かない顔をしていた。
「今更になって、緊張してきた」
「はぁ」
カールが呆れた声を出した。王太子宮で毎日顔を合わせている間に、三人は気安い仲になった。そうでもなければ、カールのこんな無礼な態度は許されないだろう。
「父から聞いていた通りだ」
「何がですか」
「家名なしの一族本家のロバート。作り物のような整った容貌、宝石よりも美しい瞳。狩りの時のあの人を、鷹に例える者もいる。大袈裟だと思っていたが、僕は絶対あの人の獲物になりたくない」
獲物という穏やかでないレオンの言葉に、マーティンとカールは顔を見合わせた。上背はロバートのほうがあるが、体格はレオンのほうが断然勝っているのだ。
「あの四人、全員父の直属の部下だぞ。あの四人全員に一目置かれるなんて、ありえない」
レオンの言葉に、マーティンは不安になった。
「僕らで、そんな方の後任が務まるでしょうか」
レオンの登場で一瞬忘れかけていた不安が、また重くのしかかってきた。
「レオンさん、飲みすぎですよ。マーティンの不安を煽るようなことをおっしゃらないでください」
カールが言う通り、確かにレオンは酔っているらしく、酒臭かった。
また、扉が叩かれた。
「はい」
「三人ともお戻りのようですね」
カールの声のあと、入ってきたのはロバートだった。
「ワインを相当たしなまれたと、聞きましたもので」
ロバートは茶道具一式を乗せた盆を持っていた。
「町に到着されたばかりでお疲れでしょう。茶を飲んで、お休みになってください。気持ちがほぐれるはずです」
確かに部屋には良い香りが漂い始めていた。
「これは」
カールの問いにロバートがほほ笑んだ。
「よい香りでしょう。王太子宮からのものです」
「王太子宮から」
マーティンは何となく言っただけだった。
「えぇ。時々ローズが書類と一緒に茶葉を少しずつ送ってくれるのですよ」
手際よく茶の用意をしていたロバートの作り物めいた相貌が、優しく微笑んだ。
「明日から、協力してくれている町の方々に、順に会っていただく予定です。今日は、御緊張もおありでしょうが、お疲れのはずです。しっかりお休みになってください。道具は部屋の外に出しておいていただけましたら、片付けます」
ロバートはそのまま出て行こうとした。
「あの」
マーティンは思わず声をかけた。
「なんでしょうか」
「僕らで、あなたの代理は務まるでしょうか」
マーティンの言葉に、ロバートがほほ笑んだ。
「あなた方には、あなた方のなさるべきことがあります。ご心配なさいませんように。また、明日以降、お話ししましょう。今日はゆっくりお休みください」
優美な一礼を披露し、ロバートは部屋を立ち去っていった。三人は息をのんだ。息をのむほど、美しい一礼だった。
「マーティンさん。わざわざお茶を用意してくださる方を怖がる必要はないと思いますよ」
「そうですね」
カールの言葉に、マーティンは先ほどの、様式美そのもののお辞儀の余韻に浸ったまま答えた。
「王太子殿下を裏切りさえしなければ、あの人の獲物になることはないはずだ」
茶をすすりながらのレオンの言葉に、マーティンは背筋が凍った。
「レオン様、マーティンを怖がらせるようなことは、止めてください。私も怖いじゃないですか」
レオンの言葉に、カールが抗議した。
「だから、怒らせなければ、怖くない」
「そんなの、当たり前です」
レオンの言葉に、カールは応じた。
「父の威圧感を知らないから、そんなことを言えるんだ」
「それをおっしゃるなら、貴族相手の値段交渉の怖さを知ってからおっしゃってください」
マーティンは首をすくめた。ライティーザ王国の総騎士団長も怖そうだが、貴族相手の値段交渉など、怖くて想像できない。
「お二人のお話を聞いておりますと、師匠が優しく思えてきました」
レオンとカールがマーティンを見た。
「王太子殿下が、君の師匠はロバートより手厳しいと、おっしゃっていなかったか」
「そういえば、ローズ様から、お聞きしましたね」
そう言ったときのローズは、ロバートを懐かしがっているようだった。
「少なくとも、ロバート様は、ローズ様のような小さなお嬢さんが慕うくらいですから、怖い人ではないですよ」
カールの言葉に、マーティンも頷いた。ローズはいろいろ変わっているが、素直な良い子だ。マーティンが法律の話をしたら、興味深そうに聞いてくれた。
「ローズ様が書類と一緒に茶葉を送ってくるって、おっしゃってましたね」
素敵な心遣いだとマーティンには思えた。その話をしたときのロバートからは、作り物のような冷たさは消えていた。
「いいですねぇ。風情がある。ただ、手紙を送るだけよりずっといい」
カールが商人の顔になっていた。
「何か商売するなら、絶対にロバート様と王太子殿下の許可はとっておけ。無断でやったら、何があっても知らん」
「もちろんですよ」
レオンの言葉に、カールは動じた風もなかった。この二人は意外と怖いのかもしれない。マーティンは、心を落ち着けようと茶の香りを吸い込んだ。王太子宮で何度も馳走になった茶と同じだった。
「いい香りです」
「そうですね」
「そうだな」
カールとレオンも応じてくれた。