52)ベンと後任達
ロバートが、後任三人のため、騎士の四人を残していったのをみて、ベンはその過保護ぶりに苦笑した。三人のうち、一番体格が良いのは騎士だというのだから、四人全員残す必要があるとは思えない。
「母ちゃんも店を持てた。俺はロバートの手伝いをして、町の役に立ってる。これからはあんたらの手伝いだ。おれは今が気に入っているよ」
ベンは、言葉通り、今の生活に満足していた。
「ところで、ローズ様ってどんな人」
何度ロバートに聞いても、十二歳の子供としか答えないのだ。ロバートがイサカにきてから、毎日一緒に行動しているのに、水臭いにもほどがある。
町でも、ローズのことは噂になっていた。あちこちに彼女の署名の入った手紙が送られてくる。その手紙が役所や病院や教会を動かしていることは明らかだ。ロバートも、ベンにちょっとくらい教えてくれてもいいはずなのに、絶対に口を割らない。若造のくせに本当に頑固だ。
「連隊長」
三人は顔を見合わせ、レオンが答えた。
「ロバートの奴、どういう女に惚れたんだ」
ベンはため息をついた。ロバートは作り物のように整った顔立ちをしている。人形のようで冷たい印象だった。ロバートが穏やかにほほ笑むときが、どんなときかはすぐに気が付いた。優秀でも若造は若造だ。
ベンの言葉に、騎士で貴族という体格のよい若者、レオンが溜息を吐いた。
「やっぱりそうですか」
「なんだ?」
「二人は恋仲なのか、どうか、が僕らの間で問題になっていたのです」
学者だというマーティンは、腰の短剣が一番似合っていなかった。
「親子ほど年が違うのですよ。そこはさすがにどうかと思いませんか」
他人の情事に口をはさむレオンに、ガキがといいかけて、ベンは止めた。相手は貴族なのだ。
ベンは、ロバートの苦労を間近で見ていた。何も知らない小僧が、くだらない文句を言っていることに腹を立てかけて気づいた。三人とも今日来たばかりだ。ロバートから何も聞かされていないのかもしれない。あのロバートが苦労話を他人にするとも思えなかった。
「なあ、若いの。あのロバートが来た時、この町がどんなだったか聞いたか?」
三人は顔を見合わせた
「いいえ。今よりもっと、死者が多かったとだけ聞いています」
ベンは、思ったとおりの返事が帰ってきたことに苦笑した。。もうすぐ二か月になる付き合いで、ベンはロバートの性格をある程度把握していた。最初のころの苦労など、誰にも言わないだろう。そういう男だ。
「まぁ、言わねえだろうな。死ぬ奴がおおいってことは、死体がおおいってことさ。弔いが間に合わなくて、死体は山積みになってた。これから死ぬやつが部屋のなかに転がされていてな。ティタイトとの関係でいろいろあったことも重なって、町の中は本当に滅茶苦茶だった。俺もこれが俺の町かと思ったよ」
ベンは一息ついた。あの日見た、自分が育ったイサカの町とは思えない光景は今も目に焼き付いている。
「そんななか、ロバートは、たった一人で乗り込んできたのさ。町長も司祭も、今更何しにきたって態度で、俺のほうが怒ったよ。院長先生がいたから何とかなったようなもんさ。町長たちはひどかったよ。他にもいろいろ大変だったんだ。庁舎のやつらが、最初はあいつのこと毛嫌いしてたから、部屋も使えたもんじゃなかった。俺の家に泊まれっていったけど、連絡の都合があるって、断られちまったよ。食べ物もさ、来た時は、庁舎の調理場のやつも聞く耳もってないから、食えるもんなくてな。次の日、俺がそれきいて、母ちゃんに作ってもらった。到着した晩に食ったのは、荷物にあった兵糧と茶だけだ。それから俺の家でほとんど食ってる」
つい二月ほど前の町の日常を語るベンの言葉に、食堂は静まり返った。家族や友人と言った親しいものを喪った者は多いのだ。三人が呆然としていたが、ベンは話を終えるつもりはなかった。
「あいつが来てから数日後に、王様からロバート宛てにって、大量に荷物が届いて、それから態度変えやがったからな。ローズさんも考えたんだろうよ。なにせ荷馬車が四台、馬も御者も全部、ロバートの命令を聞くためにきたって、お偉方の前で宣言したからな。物資は全部、常にあいつ宛てだ。町長なんか掌返して、とたんに馬鹿丁寧になりやがって。ひでぇもんだよ。それでもロバートが平然としてるから、なんでだって聞いたら、今まで苦労してきた分の八つ当たりだから仕方ないってさ。どうかしてるよ」
ロバートは愚痴も泣き言も何一つ言わなかった。だから、一度だけ涙を流したときのことは忘れられなかった。
「今回の件で、孤児が増えてなぁ。孤児院が子供であふれかえってたのに、教会は手が回らないってほったらかしだった。あいつが涙を流したのは、それを見た時だけだ。大司祭様がこられてからは、教会も、ロバートの言うことを聞くようになった。今じゃ、子供を亡くした親たちが、孤児院で子供の面倒見てるよ。何人か、新しい親に引き取られた子もいる。他人事なのに、ロバートが随分喜んでた」
騎士達は、手紙の主のローズが、大司祭が聖女かもしれないというローズと同じ子供のことで、孤児院育ちだとベンに教えてくれた。
ロバートは、この町の孤児たちを、孤児院育ちの愛しい女と重ねていたに違いない。作り物めいた整った顔のせいで、冷たい人間のように見えるが、優しい良い男だ。
ただ、自分の手柄をきちんと後輩に説明しないのは問題だ。町の人間は、一緒に苦労したロバートへの恩義を感じている。今日来たばかりのこの三人が信用されるかは、これからなのだ。
「なあ、若いの。あんたらが、寝る部屋がきれいに掃除してあるのも、シーツも洗ってあるのも、飲み水が沸かしてあるのも、食べるもんが火が通っていて安心なのも、全部、あのロバートがそうなるように、一からやったんだ。最初はそれもなかったんだ。何もなかったんだ。町長たちは、話を聞こうともしなかった。町長たちがあんたらと、まともに口をきいても、若いあんたらを認めたわけじゃない。町長たちが、一切協力しなかったときから、ロバートは結果を出して、町長たちに実力を認めさせた。そんなロバートの後任だから、町長たちも一目置くってだけだ」
ベンの言葉に三人は顔を見合わせた。
「そんなこと、あの方は、一言もおっしゃいませんでした」
若い三人が驚くのも無理はない。ロバートは、そういうことは言わないのだ。
「ロバートは言わねぇだろうなぁ。一生誰にも言わねぇだろう。気苦労もあったろうさ。最初の一週間で痩せてな。母ちゃんが心配して無理やり食わせてたけど。そんなやつが、王都からの手紙を読んでるときは、本当にうれしそうな顔しててな。本人は仕事の手紙だといってたけどさ。それだけじゃないことくらい、誰だってわからぁな。なぁ、若いの。そんだけの苦労を、自分から買ってでてくれた男に、女が惚れるのは当然だろ。あきらめな」
惚れた女のためでもなければ、疫病で封鎖された町にわざわざ来るわけがないと、ベンは考えていた。王都からやってくる手紙を、ロバートは常に心待ちにしていた。
たまに手紙が遅れると、ロバートは少し落ち着かない様子だった。離れたところにいる女の安否を知るには手紙しかない。届いた手紙の最後の一行を、ロバートは真っ先に確認する。最後の一行を、何度も読むのも知っている。愛おしいものにふれるように手紙の最後を撫でていたのも何度も見た。惚れた女からの手紙でなければ、あれほど心待ちにするわけがない。ロバートが言うとおり、仕事の手紙だが、あの男が本当に待っているのは、最後の一行なのだ。
ロバートの行動は、あんなに分かりやすいのに、なぜ否定するのか、ベンにはそれがわからなかった。
「ロバート様は、ご自分からこの町にこられたのですか。私は彼の主である王太子殿下のご命令かと」
レオンの言葉にベンは、ロバートが来たばかりの頃を思い出した。
「この町を救う方法を知ってる女を行かせるわけにはいかなかったから、自分がきたってさ。責任感が強い女で、自分が行くっていうのを引き留めるのが大変だったって言ってたな」
ロバートは厳しい顔をしていることが多かった。ローズという名前の女の話の時だけ、ロバートは柔らかく微笑んでいた。毎日一緒にいたら、それくらいは気づくものだ。
「ローズ様を、この町に来させないためですか」
「惚れた女を守るため。たった一人でこの町にきたのさ。そりゃあ、女も惚れるだろ」
ロバートも若いが、十二歳のローズは子供だ。ロバートが惚れているのを認めないのも、そのせいかもしれない。
「ローズ様は、聡明ですが、十二歳の子供です。将来は楽しみですが」
商人のカールはずいぶんとローズを高くかっているらしい。どう楽しみかと聞こうとしたベンと厨房にいた妻の目があった。ベンが、五歳年上の妻を、口説き落とすのは大変だった。背負って遊んでやった鼻垂れ小僧のくせに生意気だと馬鹿にされたものだ。ロバートも苦労するだろうが、惚れた弱みだ。仕方ない。
「可愛い素直なお嬢さんですよ」
商人のカールは持参したワインを楽しんでいるようだった。
「美人かい?」
ロバートに聞けなかった質問をベンは口にした。
「まだ子供ですから、わかりません。凛とした、聡明な方です。大貴族が相手であっても媚びることなく、国王陛下にもご意見なさる方です」
学者だというマーティンが褒めるならば、聡明というのは本当なのだろう。
「すげぇな。十二歳でそれかよ。そりゃあ、いつか、連れてきてもらわねぇとな」
「私の父は、彼女はいい女になると言ってました」
「お前の親父さんって、やっぱ騎士だよな。騎士様好みの女か、そりゃ、ますます見てみたいな」
ベンは上機嫌だった。
「いいか、一人で行動するなよ。王都から来たあんたらにとって、この町は、まだ危ねぇからな」
脅しではない。ベンの腰には扱いなれた鞭と、ロバートにもらった短剣がある。基本的な使い方も教えてくれた。
ベンの別れ際の言葉に、三人は頷いてくれた。レオンは、騎士達と顔見知りだったらしい。何やら話しながら夜の町に消えていった。
ロバートは、数日前、この町を去る前に一つ片づけることがあると言った。その時の凄みのある表情に、騎士達が苦笑していた。
「まぁ、まだまだ何かありそうだよな」
ベンの言葉に、妻が苦笑していた。