47)ローズとアレキサンダー
王太子宮での茶会を兼ねた御前会議は終わった。
ローズは、執務室に併設した応接室で、アレキサンダーや近習達とお茶を楽しんでいた。エドガーとエリックがいないのは、後任の三人、とくにレオンと何かやっているからだろう。
イサカの町の復興と周辺の掌握がこれからの目標だ。
その前にイサカの町の封鎖の解除の目安を決めないといけない。
井戸に関しては、封鎖を解除した。原因となっていた水場を掘り返したところ、十分に深く掘られていなかった。周辺の汚水が湧いていたのだ。幸いなことに、十分に深く掘られた他の井戸とは水源が異なっていた。不幸中の幸いだったと思う。広場中を掘り返さずに済んだ。
ローズが王太子宮に来た時から、花の香りのする同じお茶を飲んでいる。きっとこの先何年たっても、この香りで王太子宮のことを懐かしく思い出すのだろう。ローズは香りを楽しみつつ、少し熱い茶が冷めるのを待ちながら、アレキサンダーに問いかけた。
「イサカの町の解除ですけど、ロバートが知らせてきたように、彼が王太子宮に戻ってからの相談でよいですか」
「かまわんが、何故だ」
ローズとしては、新規感染者が一定期間、数週間発生しなければ解除してもいいと思う。だが、ロバートは、自分が戻ってから相談したいとだけ書いて来た。
「おそらくですが。ロバートは、後任の人達に解除の命令を出させたいのだと思います」
アレキサンダーは渋面になった。
「やはりお前もそう思うか。ロバートめ」
後任が、最初の仕事として、町の封鎖を解除したら、印象は良くなるだろう。ローズの推測だが、ロバートはそれくらい意図しているはずだ。
ローズは黙ってお茶に口をつけた。アレキサンダーはロバートと一番付き合いが長い。ロバートの思惑くらい、アレキサンダーは、察しているに決まっている。下手なことを口にしたら、アレキサンダーの機嫌が、さらに悪くなることは目に見えていた。
先日、ローズは、書簡の隅に、王太子様が、ロバートのことを心配しているから、近況を教えて欲しいと書いた。ロバートからの返事は、特に変わりなく過ごしていること、王太子の気遣いへのお礼だけだった。それではいつもと何も変わりない。
結果、ちょっとしたことで不機嫌になるアレキサンダーが出来上がった。
「でも、アレキサンダー様、後任は三人とも若いから、そのくらいちょっとしてやろうと、ロバートが思うのもわかりますよ」
余計なことを言ったのはフレデリックだった。
「それくらいわかっている。ただ、ロバートには誰を送るかは知らせていない。正式に決まったのは今日だ。誰が来るかもわかる前から、気を配る間があれば、少しは、近況を知らせてこい」
結局、アレキサンダーはロバートが心配なのだろう。アレキサンダーとロバートは乳兄弟で、産まれたときから一緒なのだ。主従だが、兄弟のような仲の良さはローズも目にしていた。
「どうせまた、何か無茶をしているに決まっている」
ロバートは、アレキサンダーに信用されていないらしい。いや、理解されているというほうが正しい。ロバートに無茶を止めさせるには、イサカの町に、ロバートが仕事を任せても良いと思えるだけの後任を送り込み、ロバートを呼び戻す以外に方法はない。
ローズは何も言わずに、お茶の香りに意識を集中した。ローズも、たった一人で王太子宮からイサカの町に派遣されたロバートに、無茶な量の仕事を頼んでいる自覚はある。最初の頃よりは、仕事は減っているはずだった。
王都にも、イサカにも協力者が増えた。イサカの教会と、教会が運営する孤児院や救護院に関しては、聖アリア大聖堂を通して直接やり取りができるようになった。病院に関しては、王都の医者の組合が、積極的にかかわってくれている。
「自分で仕事を増やして、何を考えているんだ」
アレキサンダーは愚痴を言うが、ロバートは、この国のため、アレキサンダーのためを思っているに決まっている。ロバートが、イサカの町で見つけた問題を、見過ごすわけがないだけだ。
ロバートがイサカの町の過去の資料を求めてきたのが、もう一つの発端だった。
イサカの町の現状と、過去の町からの王都への報告の間に乖離があった。ロバートが察したことを、アレキサンダーが分からないわけはない。ローズもおかしいと思い、丁度サイモンに資料を整理してもらっていたところだった。サイモンのおかげで、必要であろう部位を抜粋し、近習や小姓達に手伝ってもらって写すという作業は非常に捗り、早々に資料をロバートの元に送ることができた。急いで送ったので、アレキサンダーには事後報告になってしまった。決してわざと内緒にしたわけではない。結果としてアレキサンダー抜きで、書類が送られてしまったのは事実だ。
アレキサンダーは、ローズが意図せずして、勝手に書類を送ってしまったことに関しては、不問にしてくれた。エリックが、許可を最初にもらわねばならないことを、ローズへ指導していなかったのは自分だと言い、アレキサンダーに謝罪した。エドガーもその横で、面倒を見るべき自分が、ローズを教育できていなかったのが悪いといい、頭を下げてくれた。
ローズも、意図せずして、とても悪いことをしてしまったと知り、反省した。ローズがアレキサンダーに謝罪したとき、アレキサンダーは許すと言ってくれた。
言葉とは裏腹に、アレキサンダーは少しのことで機嫌が悪くなるようになった。
それ以来、アレキサンダーは、虫の居所がすぐに悪くなる。
エドガーは、アレキサンダーは仲間外れにされて、拗ねているだけだから気にしなくていいとローズに言った。ローズもアレキサンダーを仲間外れにするつもりはなかった。アレキサンダーに悪かったとは思うが、こんなに怒りっぽくなるのは、そろそろ終わりにしてほしい。
ロバートが戻ってきたら治るから大丈夫だと、フレデリックは気にしていない。
エドガーは、「仲間外れ事件」などという、くだらない名前をつけた。笑い話にしようとしたのだろうが、残念ながら明らかにエドガーの目論見は失敗している。
「まぁ、ほら、見方をかえれば、そういうことに気が回るくらいには、落ち着いたと言うことではないですか」
フレデリックが、また不用意なことを口にした。アレキサンダーの目が吊り上がった。
「ロバートのことだ。落ち着きそうだと思った時点で、次のことに手を伸ばしたに決まっているだろう」
アレキサンダーも素直に、ロバートが心配だと言えばいい。アレキサンダーが、どうしてこんなに怒るのか、ローズには謎だった。一つ確実に分かっていることはある。
「王太子様は、ロバートと仲良しなんですね」
ローズの言葉に、アレキサンダーが、ようやく口をつぐんだ。ローズと顔を合わせないようにしているのは、図星だったからだろう。
ローズは、ようやく程よく冷めたお茶に口をつけた。
執務室に漂っていた刺々しい雰囲気が収まった。
「ローズ、君は結局、レオン・アーライル様を派遣することにしたけど、いいのかい」
トビアスが、強引に話題を変えた。
「はい」
アーライル子爵と、アラン・アーライル、父と兄からの推薦でレオン・アーライルは、イサカの町へ派遣される後任の候補の一人となった。本来は、エドガーとエリックを派遣する予定だった。エドガーは、子供の頃、家の事情か何かで下町で育った。従兄弟のエリックは伯爵家の六男だ。二人であれば、相手が平民や豪商や国境地帯の貴族達、誰の相手でもできるという利点があった。
「なぜだ」
アレキサンダーの関心が、本来問題とすべきことに戻ってきた。
「レオン様が多分、お話を聞いてくださる気持ちになったと思うからです」
言葉にはしたが、ローズには確信はなかった。既に、御前会議で発表してしまったので、派遣はせざるを得ない。現地で問題があるのであれば、大問題になる前に、誰かと入れ替えてしまえばよい。決断を早まったかとも思うが、後任を早期に決めて派遣することを優先した。レオンの二回目の謝罪には、心がこもっていた気がした。ローズは自分の勘を信じてみることにした。
「そうか。それはよかった」
アレキサンダーが、何を「よかった」と評価したのかローズにはわからなかった。
「レオン・アーライルは十六になったばかりだ。お前から見たら大人なのだろう。だが、数か月前までは子供だった。一人前に扱われるようになって、いろいろ、気負うところもあったはずだ」
レオン・アーライルは大柄だ。大柄なレオンが、数か月前まで子供だったなど、ローズには想像もつかない。
「アラン様のような兄上がおられたら、やっぱり弟君として、レオン様も考えるものがあるのでしょうね」
貴族の家督を継ぐのは長男だ。次男は長男の身に何かあった場合は家督を継ぐことになる。近習の中には、家督を継ぐ可能性が低い三男以降の男子が多い。自身は貴族ではないトビアスの言葉に、数人が頷いていた。
「兄に負けるかと思う気持ちと、年上にはなかなか勝てないと言う現実と、アーライル家の男として、立派にあらねばという気負いで、周りが見えなくなっていたのだろう」
アレキサンダーは、自分がレオンであるかのように、レオンの心境を語った。
少なくとも、レオンからは、最初に会った時にローズが感じた焦燥感が消えていた。
「レオン様ではないので、よくわかりません。でも、最初にお会いした時からは、ご様子は変わりました」
ローズの言葉にアレキサンダーがほほ笑んだ。
「あぁ。お前はよくやっている。ローズ」
何を褒められているのか、ローズが尋ねようとした時だった。
「ただいま戻りました」
「遅くなりました。ローズ、いい子にしてたか」
「遅いな。まぁ、そうなるだろうと思っていたが」
ノックと同時に扉を開け、勢いよく戻ってきたエリックとエドガーにアレキサンダーが声をかけた。
「で、どうだった」
「いやぁ、鍛錬不足です。これは、ロバートが帰ってくる前に何とかしておかないと、進歩が無いっていわれます」
「今更焦るのではなく、日々の積み重ねでしょう」
エドガーとエリックの容赦ないやり取りも、アレキサンダーを中心に、他愛ない雑談をするのも珍しいことではない。
「失礼いたします」
一礼して入ってきたレオンは、今までになく明るい表情だった。なにか、迷いが取れたような顔をしていた。
「お邪魔いたします」
気が弱いはずのマーティンが、カールより先に執務室にはいってきた。
「失礼いたします」
直後にカールがやってきた。職業も身分も性格も違う三人だが、少なくとも仲は悪くなさそうだ。ローズは安堵した。
「三人とも、これからが本番だ。各自、励むように」
「はい」
アレキサンダーの言葉に、三人は揃って礼をした。
三人が励んでいる様子は、幕間に投稿しています。
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