39)ローズの決断とエドガーの苛立ち
ローズがエリックに連れられて廊下に出ると、エドガーがいた。
「ローズ、ちょっとおもしろい場所に連れて行ってやる。おいで」
「でも、今日のお茶会で後任の方を紹介する予定だから、時間がないわ。マーティンさんとカールさんの二人は派遣できるけど、レオン様は今のままでは無理だわ。でも、二人だけでは、身を守れないし。レオン様をお断りして、アーライル子爵様に騎士を派遣していただくのは申し訳ないわ」
ローズの言葉にエドガーがほほ笑んだ。
「わかってる、わかってる。そのために、俺とエリックで相談したんだ。面白い内緒のところに連れて行ってやるから、おいで」
エドガーが、部屋の書棚の一つを押すと、書棚がゆっくりと回転した。
「ここのことは秘密だからな」
秘密を暴露するエドガーは、嬉しそうに見えた。
後任の候補である三人の様子を、壁の隙間から見ることができた。若手の近習達が、後任の候補たちに説明していた。説明する二人をエリックが補佐していた。
ローズはしばらく三人の様子を見ていた。ローズにとって気落ちする光景が目の前にあった。ローズを慰めるように、エドガーは優しく部屋に戻るように促してくれた。
エドガーが、お茶を用意してくれた頃には、ローズはすっかり落ち込んでしまっていた。
「私が子供だからいけないのかしら」
ローズは、自分の悲しそうな声に驚いた。そんなに、悲しい気持ちなのだろうか。お茶を楽しむ気分ではないが、ローズは気を落ち着けようと、紅茶の香りを吸い込んだ。
「お前のせいじゃない、ローズ。あのクソガキの問題だ。あのクソガキの派遣は止めておけ。トビアスたちの話は聞いて、お前の話を聞かないなんて本末転倒だろう。お前のほうがずっとわかってるんだ」
エドガーが、腹立たし気にクソガキと言ったレオンは、確かにトビアスたち若手である近習の話に耳を傾けていた。
エドガーの言葉にローズはうつむいた。
「私が、大人の人だったら、男の人だったら、きっと聞いてもらえたかもしれないわ。子爵様とアラン様、お二人にせっかくお願いしていただいたから、ちゃんと頑張って、お話ししたつもりだったけど」
孤児だから、とは言えなかった。レオンには、孤児のお前に何が分かると言われたが、レオンにローズの何が分かると言うのだろう。あの時、涙が出そうなくらい哀しい気持ちになった。泣いたら負けだという、リックとディックの言葉を思い出し、泣くのはちゃんと我慢した。
アーライル子爵には、ライティーザの総騎士団長として、様々な形で助力をしてもらっていた。アラン・アーライルは鍛え上げた肉体を持つ優しい人だった。勇猛果敢な一族の跡継ぎ問題を、穏便に解決したいという二人の思いにローズは共感した。
アレキサンダーにとってもそのほうがよいに決まっている。アラン・アーライルとヒューバートが、結婚できたらいいとも思う。アランがアーライル家を継いだ場合、子供を遺すために、愛されないことを承知で嫁ぐと言っている女性もいると、アランは苦笑していた。一族のために愛のない結婚をするなど、ローズには理解できなかった。誰も幸せにならない未来は悲しいものだ。
アーライル家と、関わる人たちが幸せになるには、イサカの町に派遣されたレオンが、現地で功績をあげることが必要だ。イサカの町で功績をあげるには、ロバートに協力してくれた町の人々、沢山の平民たちの協力が欠かせない。
貴族でないローズを見下すレオンは、イサカの町の人々を見下すだろう。自分を見下す人に、協力する人はいない。レオンが功績をあげることなど不可能だ。それどころか、ロバートが築き上げた協力関係を破壊してしまい、それ以降の計画の妨げとなることは目に見えている。レオンの失点となるだけでなく、アレキサンダーの計画をも破壊してしまう。
「ローズ、お前は頑張ってる。お前は悪くない。そうだろう。学者は最初から真面目だったし、商売人も昨日からだが、ちゃんと聞いている。クソガキが、アーライル子爵様やアラン様のお考えもしらずに、拗ねてふんぞり返って、何様のつもりだ」
エドガーは目の前にいないレオンへの怒りをつのらせているようだった。
「でも、レオン様は、ご家族から何も聞いておられなかったそうよ」
ローズには、レオンの態度は、身分の差を思えばしかたがないとも思えた。
「そんなもの、聞いてなくても仕事は真面目にやって当たり前だ。騎士だと言うなら、総騎士団長直々の御命令は、果たして当然だ」
その言葉通り、エドガーは仕事ができる。ローズの面倒をみてくれているから忙しいはずなのに、仕事は完璧だ。あとは、常に礼儀作法通りに行動しさえすれば完璧だとアレキサンダーに言われるほどだ。
「貴族からみたら、孤児の子供なんて、人の数には入らないわ。レオン様が、話を聞く気にならなくても、仕方ないの」
孤児院で、一緒に育ったディックは貴族の馬車に轢かれて即死した。双子のリックが、町の警備隊に訴えたが、何も対応してもらえなかった。
「そんなことはないだろう。御前会議に出席してるのは、この国の貴族の中の貴族、高位貴族ばかりだ。あの方々は、きちんとお前と話をしてくださるだろう。本来は、アーライル子爵様だって参加できないほどの身分の方々だ。あのクソガキは子爵家の次男で家督も継いでもいない。問題はあの坊主がクソガキだからだ」
ローズの言葉を否定し、エドガーは、苦々しい顔で菓子を口に放り込んだ。
「私、アレキサンダー様に相談してくる」
ローズは最初に、アレキサンダー王太子の補佐をしていると、三人に告げていた。レオンも当然聞いている。ローズの話を聞かない者を、イサカの町には派遣できない。
「あぁ。俺は、怒り狂っているエリックの様子を見てくる。まったく。可愛い坊主があんなクソガキになるとは」
エドガーは紅茶を一気に飲み干した。