32)商人カール2
カールは、琥珀に吸い込まれるかのように感じた。
「あの、カールさん」
カールが返事をできないでいると、ローズが首を傾げた。
「あの、もし、やっぱり、ご迷惑だったでしょうか。お嫌であれば、他の方を探しますから、お気遣いなく。断っていただいても結構です。長い目で見ればおそらく、あなたの御商売の助けになると思います。ですが、数年は利益にならないでしょう。逆に、小麦などの暴騰を見越して買い込んで暴利をむさぼるほうが利益になるでしょうね。むろん、そんなことはできないように、手は打っていますが」
「そんなことはしません!」
思わずカールは叫んだ。商人の存在意義を、この小娘が、ここまで考えているとは思っていなかった。
「そんなことはしません、絶対にしません。そんなことをした商家は、周りから恨まれて、いずれ潰れる。そんなことはしません」
「ならよかったわ。あくどい商売をするような商家を、叩き潰す準備もしているから、見知った方のお家を潰さなくてよさそうで助かります」
ローズの過激な言葉に、レオンが茶をむせた。
「あなたが、そこまで、そんなふうに、商売を、商人のことを考えているとは、思っていませんでした」
自分の口調が変わっていることにカールは気づいた。商人は、物を運んで売るだけだと、さげすむものも多い。買い付けのとき、売るとき、罵倒されることも少なくないのだ。きちんとした身なりでないと信用出来ないといったその口で、他人からむさぼった金で贅沢をしてと、罵倒されることもあった。
「王太子様は、すでに先の先までお考えになられて準備をしておられるのです。商売は、この国にとって血脈のようなものと、お考えです。『商人は必要なものを必要なところに運び、対価を得る。今回はその拠点に疫病がおこったため、閉鎖せざるを得なかった。国の血脈がとまったようなものだ。いずれ町の封鎖を解くときに、混乱が生じないように、今から手を打たねばならない』とおっしゃっておられます。王太子様はあの町の商人と商売の話ができる人を探しておられたの。あなたが来たのは、ちょうどそんな時だったから、ちょうど良いと思ってお願いしたのですけれど」
「王太子様が、そのような、お考えを」
ローズの言葉はカールには衝撃だった。たった一度お会いしただけの王太子が、商売というものを、そこまで深く考えているなど、評価してくださっているなど、カールは想像をしたこともなかった。
「では、何故通行料をとるのですか」
「道の整備にも、警備にもお金はかかります」
興ざめなマーティンの質問に水を差されたが、ローズは意に介した風もなく答えた。
「物の値段があがれば、生活に困る人も増えて、盗賊も増えるでしょうね。だから何としても、イサカの町が元のとおりに商売ができるようにしないといけないの。別の町にというならば、新しく道の整備もしないといけないし、警備も考える必要があるわ。イサカの町が元のように商売ができるようにしたほうが、早く問題は解決しますし、お金もかかりません」
「ローズ様」
カールは、思わず、ローズに敬称をつけて呼んだ。ローズが目を見開いていた。
「私の考えが浅かった。お詫びします。ただ、あの町にいって適当に商売でもすればと思っていた私が間違っていました。王太子様が、我々商人のことを、そこまで考えてくださっていたことも存じ上げず、失礼しました」
カールは椅子から立ち上がると、ローズの前に跪いた。突然のことに驚いたのだろう、ローズが、隣に立つ近習の袖をつかんでいた。
「何、どうして、私、何か言ったの」
慌てた様子のローズに近習がほほ笑んでいた。
「大丈夫ですよ。ローズ。彼は、イサカの町でやるべきことの意義を見出したのです」
近習と目があった。
「私ではなく、あなたが行くべき理由があるのです。差し出がましいことをいたしましたが、ご理解いただいたようで何よりです」
「いいえ。私の考えが浅かったのです。ありがとうございました」
二人の間を近習にしがみついたままのローズが交互に見ていた。
「どういうお話をしていたのか、聞いてもいい?エリック」
エリックと呼ばれた近習は、袖を握りしめているローズの手をゆっくりとほどきながら、座ったローズと目が合う高さまで膝を折った。
「あちらの方々が、ロバートの後任である理由についてです」
「あなたは志願したものね。ロバートのやっていることをそのまま引き継ぐのであれば、あなたがいいわ。もう、次の時期だもの。これからもっと王太子様が忙しくなるから、エリック、あなたはこちらにいないといけないわ」
ローズの言葉に、それまで無表情だったエリックが、僅かにほほ笑んだ。
「そうですね。私にはこちらでやるべきことがある。確かにローズ、あなたの言った通りになりつつあります」
孤児だという思い込みでローズを見ると、エリックを含め、この王太子宮近習たちの態度は奇妙だ。だが、王太子の考えを理解し、それこそ参謀の役目を果たしているのがローズだと思えば、近習たちの態度は当然ともいえる。
面白いことになりそうだと、カールは感じた。