29)後任の選抜
イサカの町に新たに人を送り込むといっても簡単ではなかった。
「ロバートが頭がいいのは知っていましたけど、他がこんなに馬、改善の余地がある頭の持ち主のほうが多いとは思っていませんでした」
ローズの毒舌にグレースが苦笑した。身分だけは十分だが、今後問題となることに対処するには、十分でない貴族の子弟たちばかりが集まってしまったのだ。
「こればかりはな。必要なのは権威でないということを、貴族に分からせるのは難しい」
必要なのは、町の者と共に働く人物だ。かつ、アレキサンダーの意を汲むことができる人物が必要だった。イサカだけでなく周辺の町の問題もある。国境地帯と、ライティーザ王国との関係を考慮した行動ができるものが必要だった。アレキサンダーの腹心であるロバートはともかく、ローズがそれを察したことに、アレキサンダーは驚いていた。
「貴族もいるけど、容赦することないわ。大丈夫、あなたこの件に関しては国王陛下のお墨付きですもの」
グレースの言葉に、ローズが子供らしくない笑みを浮かべた。
「ほどほどにしろよ」
ローズの笑みは、ロバートが何かを企んでいる時とそっくりだった。
翌日、貴族達が押し付けてきた子弟たちは、暴言を吐きながら王太子宮を出ていった。今後、町の者に指導するため、掃除と洗濯の実践をするようにと、ローズが誇り高い貴族の子弟に宣言したのだ。
その晩、無事に彼らが自らの意思で辞退したというローズからの報告にアレキサンダーは苦笑した。
「私の不敬と諫言に対して、王太子様が大変に寛大であらせられたことを、改めて知りました。ありがとうございます」
かしこまったローズの言葉にアレキサンダーは、かつての自分を思い出した。アレキサンダーがローズを追い出さなかったのは、アルフレッドから身柄を預かれという命令があったからだ。ロバートが止めなければ、アルフレッドの命令に背いていただろう。それも一度や二度ではなかった。
「もう、あんな無茶はするな。逆恨みされるぞ」
「はい」
アレキサンダーや貴族達が、ローズの意見に耳を傾けたとたん、ローズは不敬な態度をとらなくなった。今も、ローズは礼儀をわきまえているとは言い難い。だが、育ちを考えれば仕方ない。侍女頭のサラが指導するようになり、礼儀作法は少しずつ改善しつつある。諫言は相変わらずだが、本人が諫言を自覚していないため、おさまりそうもない。リヴァルー宰相がローズを気に入り、上手く緩衝帯となってくれている間は問題ないだろう。
貴族から押し付けられた子弟でなく、アレキサンダーが別に集めた三人が、明日から王太子宮にくることになっていた。
「これが役に立つ日がきました」
ローズが手元の紙の束に触れていた。ローズの話をロバートがまとめた資料だ。二人は出発直前まで内容を確認していた。その資料を抱きしめるようにして、ローズはロバートを見送っていた。
ロバートの出立後も、少しずつ内容を書き足しているらしく、かつて見たよりもかなり分厚くなっていた。今後のためにと、近習達が手作業で複写している。
「明日があるから、ほら、今日はもう部屋に帰ろう」
エドガーが促し、ローズの手元の資料を取り上げた。
「あ、それ」
「これを見るのは、明日から。今日は寝るんだ。ロバートに、俺の言うことを聞かないで、夜更かししてたっていいつけるぞ」
「してないわ」
一度ふくれっ面をしたローズだが、きちんとグレースに教えられたとおりのお辞儀をして部屋からでていった。
二人の男の子の父親であるエドガーは、子供の扱いに慣れていた。ロバートがエドガーにローズを託していったのもわからないではない。エドガーの問題は一言多いことと、近習らしからぬ礼節を欠いた振舞が多いことだ。
「明日から引継ぎ候補の三人がくるが、ローズにつくのはエリックだったな」
一言多いエドガーを同席させると、何かが起きそうな気がした。
「はい。私が同席することになっております」
「あぁ、たのむ」
生真面目なエリックであれば、大問題は引き起こさないだろう。先輩であるロバートに心酔しているエリックが、彼らを引き継ぎにふさわしいと認めるかが問題だが、それは三人次第だ。
「三人は互いに面識もない。小さなローズと顔を合わせたことすらないのも二人いる。絶対に問題がおこるだろうが、お前がうまく対処してやれ」
「はい」
イサカの町の疫病問題に関しては、アレキサンダーに一任されている。それは周知の事実だ。だが、そのアレキサンダーの参謀の一人が、小さなローズであることは、一部高位貴族だけが理解していることだった。
「明日からくるという三人に、ローズがこの件に大きく貢献していることを伝えないで本当によろしいのですか」
フレデリックの発言ももっともだ。
「ローズが要らないといった。そのほうが、三人がどういう人間かわかるそうだ」
アレキサンダーの言葉に、沈黙がおちた。
「どうした」
「いえ、我々も最初、試されていたのかと思いまして」
近習達が顔を見合わせていた。アレキサンダー自身も経験した居心地の悪さだった。
「ローズ自身は最初、そんな余裕はなかったといっていたがな」
だが、今、ローズが一番懐いているのは、最初からローズをきちんと扱っていたロバートだ。
「明日からの様子を見ればわかるだろう」
三角巾をかぶり、ハンカチで口元を覆い、エプロンをつけた本気のお掃除スタイルで、ローズはお出迎えしました。そんな格好で箒を担いだローズに、「お掃除しましょう」と言われた貴族の子弟もさぞかし驚いたことでしょう。