18)イサカの町
辻馬車の窓からは、人気のない街並みが見えた。町の惨状に御者台に座る男の背も小さくなったかのようだった。イサカは、川向うの隣国ティタイトとの交易の中心都市だ。交易で富を得た豪商達が自治を行う繁栄した都市のはずだった。ロバートの目に映る町には、繁栄の面影もなかった。
庁舎でも突き刺さるような視線を浴びた。明らかに歓迎されていない。町を封鎖したライティーザ王家からの使いだ。交易都市の生命線を断った恨みを買っていることくらい分かっていた。
目の前で町の有力者達が、ローズの予想通りの光景を繰り広げていた。既に懐かしいと思えるローズとの会話を思い出しながら、ロバートはただ相手の罵声が静まるのを待っていた。さすが商人だけあって、言葉尻だけは丁寧だが、いまさら何をしに来たという罵倒と変わらない。荒廃した町には、積み上げられた死体の山があった。彼らも、家族や友人を亡くしているだろう。彼ら自身、いつあの死体の山に自分が加わるのかという恐怖を感じているだろう。王都からきた自分に、腹立たしい思いをもつのも仕方ない。ロバートは完全に聞き流していたが、庁舎までロバートを連れてきた御者のベンは違った。
「おまえら、この人を悪くいうな!わざわざこのイサカのために、王都から来たんだぞ。死ぬかもしれないってのに、来てくれた人にその態度はねぇだろう!この人はな、この町を救う方法を知ってるんだ、それを俺たちに伝えにきたんだ!」
辻馬車の御者であるベンは、怒鳴り、鞭を振り回した。扱いなれてるためか、うまく人には当てないでいる。風を切る音に、町の代表者たちは恐怖し、慌て始めた。
金は払う、出来るだけ急いでイサカを封鎖する検問所まで行ってほしいといったロバートの頼みに答えた唯一の御者だ。イサカと周辺の町をめぐる辻馬車の御者で、検問所が出来る直前に、イサカを離れたため戻れなくなっていたから丁度良いと応じてくれた。検問所で帰るようにという、ロバートや検問所の役人に、自分の出身の町だ、だから最後まで自分が案内する。町から出られなくなるのは望むところだ。家族がいるといって、イサカの庁舎まで連れてきてくれた。
「この人の頭の中に、町を救う方法が入ってるんだ、それをなんだ、お前ら邪険にしやがって!命がけで来たんだぞ!」
鞭を振り回すベンの剣幕に、町長以下、町の代表町達も気圧され、後ずさった。
一人、下がらない男がいた。
「失礼をいたしました。確かに、先日の王都からの使者のご指示通りにしたところ、感染者は減り、治癒率も劇的に改善しております。さらなるご教授をいただけるのであれば幸いです」
傍観していた男が言った。簡素な服を纏う男は、医者で、この町で一番大きい病院の院長だと名乗った。
「そのようにおっしゃっていただけると、こちらも励みになります」
ロバートは軽く頭を下げた。随分と名乗り出るのが遅いと思ったが、彼の町での立場もあるのだろう。
「ローズ様からお手紙を何度か頂いております。ロバート様のこともお手紙にありました。ご質問もいただいておりますので、王宮へのご連絡の際、お伝え願えますでしょうか」
一筋縄ではいかなそうな男だが、ローズの存在と、彼女の知識が役に立っていることを知っているならば、協力してもらえるだろう。少しずつ協力者を増やしていくしかないようだった。歓迎されるとは思っていなかったが、前途多難だ。
貴族でないが、ロバートは王太子の名代だ。王太子とともに視察に訪れる地方では、王太子の腹心とされるロバートを相手に、失礼な態度をとるものはいなかった。本来、王太子の近習でしかないロバートには何の権力もなく、地方の権力者達が敬意を払う必要などない。通商の拠点の一つである国境のこの町は、有力商人達が自治を行い、独立性が高い。ライティーザとティタイトとの戦争の度に支配する国が変わるため、ライティーザの国王への敬意もない。一介の近習相手の態度としては、この町の者たちのほうが、本来あるべき姿だろう。
知らず思いあがっていた自分を自覚させられロバートは気が滅入った。自分も所詮、あの父親、バーナードと同じだったということか。
ロバートは深いため息をついた。