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13)約束

「お嫁さんは」

ようやくローズの声がした。今更、ローズは何を言うのだろうか。


「断られてしまいました。たった今」

ロバートは、自嘲するしかなかった。散々否定してくれたのに、ローズは今更何を言うのだろうか。せめて、兄として慕ってくれていると思い込んでいたかった。いつものように、抱き寄せはしたものの、腕の中のローズを抱きしめるのが怖かった。拒絶されたら、どうしたらいいかわからない。手に入れようとして、逆にローズを失いそうで、怖かった。


 アレキサンダーの言う通り、もともと他人だ。ローズに拒絶されたところで、元に戻るだけだ。だが、胸の内に、この空虚を抱えて生きることになる。ロバートは、ローズと元に戻ることすらできず、兄のように慕ってくれることすらなくなったらと思うと、それも恐ろしかった。


 ロバートが一番でなくてもいい。せめて、守るためにローズの一番側に居続けることは許して欲しい。


「嫌って言ってないわ」

思いもかけない声がした。驚いて見下ろすと、こちらを見上げてくる、琥珀の瞳と目が合った。

「ローズ、だって、あなた、さんざん」

「嫌って言ってない」

ロバートは声が出なかった。


「ロバートは、いつかお嫁さんもらうから、そしたら、今みたいに一緒にいてくれなくなって、だから、せめて、ロバートのお嫁さんと仲良しになれたら、ちょっとは一緒にいてくれるかなって、思ってたの」

訥々とローズが言葉を紡いでいた。

「ロバートはちゃんとした家の人だし、ずっと大人だし、だから、ちゃんと決まった人がいるのかなって、お父さんがいるなら、お父さんが決めるのかなって、思ってたの」


そういえば、ローズは心の内を語ることは不得手だった。


「一緒にいてくれなくなったら、髪の毛も、ちゃんと一人で出来るようにならないといけないなって、でも、出来ないままなら、やってくれるかなって。やってくれなかったら、一人でできるくらい、髪の毛、切らないといけないかなって。でも、切って売るっていって怒ってくれなかったら寂しいし、せっかく綺麗って言ってくれるのに、切るのは悲しいし」

ロバートの早合点だったかもしれない。ローズの誤解もあったかもしれない。


 ローズを抱き寄せていた腕をとき、ロバートは跪いた。

「ローズ。待ちます。もう少し、あなたが大きくなるまで。十六になったら、私と結婚してください」


 指先をそっと手にとり口づけた。本当は、小さなこの手に婚約指輪を嵌めてやりたいが、ロバートには用意してやることはできない。そんな財産などないのだ。


 「私は、指輪もなにも用意できません。使用人の私には財産などない。でも、私はあなたと家族になりたい」

「ずっと先なのに、ロバートは、いいの」

「待ちますよ。無論、今すぐにでも結婚してしまいたいくらいです。あなたを大切に思っておられる方々からお許しがいただけないでしょうから。だから、今は婚約してください」 

「婚約」

「将来結婚するという約束です」

ローズの瞳が揺れた。


「私は孤児よ。両親のことなんてわからないし、罪を犯した人だったり、借金とかあったりしたら、そんな人が、親だったらどうするの」


 首が座ったばかりのローズは、孤児院の前に置き去りにされていたそうだ。先日、グレース孤児院の記録を再度確認したが、ローズの記録は、ローズの言う通りの記録から始まっていた。親の手がかりになりそうなものは、何一つなかった。


 ローズは首が座るまで育ててくれた、育ててもらえるように孤児院の前に置いて行ってくれたと、顔も覚えていない親を庇うようなことを言う。


 ロバートはローズの両親には、そこまで寛大にはなれない。事情があったのだろうとは思う。だが、置き去りにするという選択をしたのは親だ。


 今になって、親だと名乗り出て、何かの利権を要求する者が現れたら、ロバートは、絶対に許すつもりはなかった。


「関係ありません。親は親、ローズ、あなたはあなたです。確かに、生まれてすぐのあなたを育てたのでしょう。でも、孤児院の前にあなたを置くことを選んだのです。それ以降の人生はあなたのものです。十六になれば大人です。親は関係ありません。それに今、あなたの後見人はアレキサンダー様です」


 赤子だったローズを手放したのは親だ。それからの人生はローズのものだ。今更、親だと名乗り出て、ローズの積み上げてきたものを強奪するとしたら許せない。ローズを傷つけるならば消し去ってやってもいいくらいだ。平民の一人や二人、片付けるのは、ロバートにとってはさほど難しいことではない。


「ローズ、十六歳になったら、大人です。大人になったら、私と結婚してください。その約束として、今、私と婚約をしてください」

ローズの顔に笑みが広がった。

「ロバートの、お嫁さん」

「あなたが、良いと言ってくれるなら」

「はい」


 首筋に飛びついて来たローズを、抱きしめた。温かくて、柔らかくて、優しい匂いがする。先ほどまでの自分の勘違いが可笑しくなってきた。単なる杞憂で、一人で絶望していたなど、滑稽すぎる。


「どうしたの、ロバート」

笑いをこらえているとローズが首を傾げた。

「いえ、あなたに断られたと思い込んだ自分が滑稽だっただけです」

もう一度強く抱きしめ、立ち上がると、ローズを、鏡台の前に座らせた。


「髪を整えないと。先ほど、崩してしまいましたから」

ローズの髪に、もう一度櫛を通していく。つややかな髪の毛が櫛の歯の間をすり抜けていく。この時間を手放さなくていいとおもうと嬉しかった。


「ロバート、私がおばあさんになって、白髪になっても、梳いてくれる?」

「えぇ、もちろん」

「ずっとよ、約束よ」

「えぇ、約束です」

鏡越しに琥珀色の瞳と、榛色と緑色の瞳が互いを見つめた。

「ローズ」

振り返ったローズの唇に、そっとロバートは己の唇を、もう一度重ねた。



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