12)ローズの戸惑い
ロバートも、こんな大切なことを、突然言うつもりはなかった。ロバートに、誰か別の女性がいるなどというローズの言葉に、嫉妬してくれていると、舞い上がってしまったのかもしれない。
思い切って言ったロバートの言葉に、驚いたように、目を見開いたローズがいた。
「でも、だって、ロバートは、古いお家で」
「確かに歴史はありますが、使用人です。本家は私一人ですから、誰も文句をいいません」
「でも、お父さんがいるって」
「彼は分家の人間ですから、私とは無関係です」
無関係のほうが無難だろう。ロバートにとり、バーナードは、母アリアを裏切った敵でしかない。
「でも、私は孤児よ、悪い人が、親だって出てきたら」
「関係ありません。あなたの両親なら、盗賊に悔い改めるように説得しようとして殺されたとか、貴族への諫言が過ぎて殺された家臣とか、その類しか思いつきませんが」
「でも、だって」
否定的なことばかり言うローズに、ロバートの胸のうちに悲観的な思いがこみ上げてきた。
「私のことは嫌いですか」
「そんなことないわ」
「でしたら」
「でも」
何度も繰り返されるローズの“でも”をそれ以上聞きたくなくて、ロバートは、ローズの唇に、己のそれを重ねた。一瞬だが、ローズは口づけを拒みはしなかった。
「ローズ、待ちますから、私と結婚してください」
少なくとも、口づけを、ローズは受け入れてはくれた。ロバートは思い切って、もう一度口にした。
「でも、だって」
繰り返されるローズの言葉に、ゆっくりと心が締め上げられていくようだった。
「ローズ、なぜ、何度も否定するのですか。私のことは」
年が離れているから、妹だといって、可愛がっていたのは、ロバート自身だ。
「兄でしか、ないですか」
自分と結婚するのは嫌か、とは聞けなかった。誰か他にいるなど聞いたら、自身が何をするか、ロバートにもわからなかった。
ロバートは、ローズとはできるだけ一緒に過ごしていた。破天荒な妹代わりを守ってやりたかったから、大切にしたかったから、傍にいたかったから、何もかも、全てロバートがそうしたかったからだ。
ローズのことは、自分が誰よりも一番よく知っていると思っていた。一番大切にしていると思っていた。
お前の手を取るかどうかは、ローズが決めることだといった、師匠の言葉に、傍にいるからといって自分が一番とは限らないと、不安になった。それで急いでしまったのかもしれない。
ローズには誰か心に想う人などいないはずだった。そんな素振りがあれば、一番近くにいたのだから、ロバートが気付いたはずだ。ずっと一族の枷に巻き込むべきではないと、自分に言い聞かせていたが、手放すことなどできない。
ローズに他の女の存在を疑われて、不本意だった。嫉妬してくれているとも思える。だが、一番側にいるローズが、ロバートに他の女がいると疑うのだ。
ローズ一人だというのに。大切にしてきたのは、あなた一人だというのに。
思わず、大した準備もせずに、言葉を口にしてしまった。他の言い方もあっただろう。ロバートには精一杯の言葉だった。
ローズは、“でも”と繰り返すだけだった。
せめて、兄でいさせてほしい。だが、ロバート自身が、兄という立場に息苦しさを感じ始めていたのも事実だ。
ロバートは少し前に自分が 纏めてやったばかりのローズの髪を解いた。柔らかい髪がほどけ、ローズの背を緩やかに覆う。背の半ばを超え、腰に届くまであと少しだ。指で髪を梳くと、櫛で梳いたばかりの艶やかな髪が、滑らかに指の間をすり抜けていく。
「だってまだ、多分だけど私は十三歳よ。ロバートは」
「二十四になりますね」
「十一歳も違うのよ」
否定する言葉ばかりくりかえすローズに、ロバートは、結局は、すべて自分の思い上がりだったことを突き付けられているかのように感じた。
さっきは口づけを拒まなかったのに。今も、髪を梳いてやっても、柔らかい滑らかな頬をそっと撫でても、拒む素振りもない。だからローズにとって、自分は特別だと信じていた。
胸の内に、虚無が広がっていく。結局は自分の思い上がりで、ローズは優しくしてくれる相手なら誰でもよくて、甘えるのだろうか。
そっと抱き寄せても、ローズは抵抗しなかった。ただ、いつものように甘えて身を持たせかけてはくれない。ただ、腕の中で身を固くしているだけだった。こんなことになるなら、言わなければよかった。何も言わなければ、今まで通り、身を任せてくれたのに。甘えてくれたのに。自分は特別だと信じていられたのに。兄という立場でも、慕ってくれていると思っていられたのに。
「ずっと、あなたの一番近くにいたつもりでした」
苦い後悔だけが胸の内に広がっていく。一番近くにいても、心の内では違ったのだろうか。ずっと一番近くに居たかったけれども、誰かに譲らないといけないのかもしれない。
何も言わずに、ただ、兄という立場に甘んじていればよかった。未来を手に入れようとして、今を失うなんて、最悪だ。道化でしかない。うぬぼれていた、欲張った罰だろうか。
手を差し伸べなければ、手を取ってもらえなかったことを嘆かずに済んだと思うと、胸の内が苦い後悔で満ちて行った。
「欲張りすぎましたね」
「すみません」
「忘れてください」
自分の声が、空虚に耳を打った。
ローズの返事はない。
心に嘘をつくのは簡単だ。言葉を並べればいい。所詮、始祖の決断が始まりとなった偽りの一族の身だ。虚偽でも言葉を並べたらいい。どんなにつらくても、少しずつ心の痛みは癒えていく。母の死もそうだった。もともと、独り身のまま一族のしがらみとともに、終わらせるつもりだった身だ。元にもどるだけだ。