3)膝枕
十三歳とローズが幼いことを理由に、アレキサンダーは、リヴァルー伯爵家へのローズの訪問を断ることができた。
単なる先延ばしであっても、リヴァルー伯爵とローズが、距離を置くことが出来るようになり、ロバートは安堵した。成人とみなされる十六歳が近くなり、子供だという理由が使えなくなるまでには間がある。それまでに何らかの手を打てば良い。
平穏な日々が過ぎていた。
庭でいつもどおり、ロバートが、ローズと二人で軽食を食べ、くつろいでいた時だ。
「ロバート、枕にしていいわ」
ロバートは自分の耳を疑った。とんでもないことを言ったローズは、木にもたれ、両足を伸ばし、自分の太ももを叩いていた。
「グレース様がやってあげなさいって」
ロバートには、グレースの思惑がわからない。突然、何故、膝枕などをローズにやらせようというのか。
「重たいですよ。多分」
何故、グレースは、ローズにそんなことを言っただろうか。ローズが年頃の娘であれば、男を誘惑しろと言っているようなものだ。子供のローズに、ロバートを誘惑させて、グレースは何をしようというのか。ロバートは、一応警戒して、遠慮してみた。
「重たいの?じゃぁちょっとだけどうぞ」
ローズ本人はロバートの葛藤も知らず、楽しそうだ。
「では、お言葉に甘えて」
ロバートは、新しい遊びに興味津々らしいローズに合わせてやることにした。ロバートが、そっと頭を乗せたローズの脚は温かく、柔らかかった。
「どんな感じ」
ローズが見下ろしてくる。ローズに見下ろされるのは、アラン・アーライルの肩に乗せられ、ローズがはしゃいでいた時以来だ。
「久しぶりにあなたを見上げたように思います」
おかしそうにローズが笑った。
「久しぶりにロバートを見下ろしたように思います」
ロバートの口調を真似たローズに、二人で笑った時だった。
突然、涙が込み上げてきた。
「ロバート、どうしたの」
「わかり、ません」
止まらない涙に戸惑うしかなかった。泣いた顔などローズに見せたくない。腕で目元を隠した。抑えようにも涙が止まらない。
「ロバート、どうして泣いているの」
次々涙がこみあげてくる。ロバートは首を振った。思いだした。言葉にならない。あの頃、言葉になどできなかった。
母に膝枕をしてほしかった。
母アリアは、アレキサンダーに膝枕をしていた。母の手はそっと、母の膝を枕に眠るアレキサンダーの頭を撫でていた。アレキサンダーが羨ましかったが、ロバートにはそんなことは言えなかった。ただ、黙って控えて立っていることしか許されていなかった。母はそんなロバートを見てほほ笑んで、空いている方の手を伸ばして、優しくロバートに触れてくれた。
そんな母の手をとり、指で母の髪をすいて、母の頬に触れた。母は、優しく笑ってくれた。
二十年近くも前のことだ。ロバートですら忘れていたことだ。だが、涙が止まらない。
「どうしたの」
今の今まで忘れていたことだ。それなのに涙を止めることができない。ロバートは、ローズの膝に頭を乗せつつも身をひねり、ローズに背を向けた。泣いた顔など、ローズに見せたくなかった。ローズの指がそっと、ロバートの髪を梳き始めた。泣きたいわけではないが、涙が次々溢れ出てくる。
「悲しいことがあったの」
違うと言いたかった。ただ、アレキサンダーが羨ましかった。ただただ羨ましかった。
どうしても母に会いたくて、夜、アレキサンダーが寝た後、母の部屋までいったことは何度もある。扉をノックすると、母が扉をあけてくれた。母は静かにロバートを抱きしめてくれた。ある時、抱きしめてくれた母が、疲れていることに気づいた。
その時から、母の部屋の扉を叩くことができなくなった。夜、母の部屋の前で立ち尽くしていると、どこからか護衛がやってきて、部屋まで送ってくれた。母に会えなくても、護衛に部屋まで送ってもらえるのがうれしかった。あの頃、誰でもいい、自分を見てほしかった。ただ、誰かに大切にされたかった。
ロバートは、止まらない涙をなんとか抑えようとしていた時、気づいた。
「すみません、あなたが疲れてしまう」
起き上がり、ローズから少し離れて木の幹に背を預けた。座っていると、徐々に涙が収まってきた。ローズがハンカチを差し出してきた。
「ありがとうございます」
ローズのハンカチは、微かに花の香りがした。
「すみません。疲れたでしょう。驚かせてしまいました」
「そんなことないわ」
ロバートの言葉に、ローズは座ったまま足を動かして、元気だというように、微笑んだ。
「何があったか、聞いていい?」
ローズの言葉に、ロバートは首を振った。
「今は」
言葉にすると、くだらない子供の嫉妬だ。だが今、口にするとまた、涙がこみあげて来そうだった。
「すみません。昔のことです。また、いずれ別のときにお話しします」
隣に座り、見上げてくるローズの頭をそっと撫でた。母によく似た柔らかい髪が、指に絡みつき、滑り落ちていく。
「子供のころのことです」
あの時、泣けなかった。泣くなど論外だった。
「ローズ。ありがとう。あなたがいてくれて、よかった」
無理に聞かずにいてくれるローズを、ロバートは抱きしめた。
ローズがアラン・アーライルの肩に載せられて、ロバートを見下ろしたのは、第一章幕間「背比べ」です。
本日10時から、幕間更新開始です。
アレキサンダーとロバートは十三歳頃です。シリアス展開ですが、お楽しみいただけましたら幸いです。