1)リヴァルー伯爵からの招待
早朝、射場で一人、ロバートは弓を射るのが日課だ。育った屋敷は、広い農地と森に囲まれており、狩りの獲物に事欠かなかった。アレキサンダーとロバートは、狩猟の時期は屋敷のものに連れられ、野営をしながら狩りをした。冬の森は寒かったが、屋敷を離れ天幕で休む日々は楽しかった。
王国の歴史を知り、あの野営の日々の意味を知った。王族など、謀反一つで追われる身となる。あれは、その際に生き延びるための訓練だった。
アレキサンダーの立太子は、全ての貴族に好意的に受け入れられたわけではなかった。アルフレッドに、反対派の存在を告げられた時、アレキサンダーの表情は強張った。いずれ国王となりライティーザ王国を統治するという重圧と、反対する者に命を狙われている恐怖とを、同時に背負わされたアレキサンダーを、ロバートは支えることを誓った。かつて、尊敬の意をこめた二つ名で呼ばれた一族の始祖の思いに触れた日だった。
その晩のことだ。
「もし、私が反対派に王宮を追われたら、一緒に来てくれるか」
不安げなアレキサンダーに、ロバートはいつものように笑ってみせた。
「もちろん。どこまでもお供します」
迷わず答えたロバートの言葉に、アレキサンダーも笑顔になった。
「そうか。ロバートと一緒なら、狩人がいいな。楽しそうだ」
「では、万が一のときは、馬と弓矢を必ず持っていきましょう」
「予め、良い馬を揃えておこう」
あの晩は、アレキサンダーとロバートは、久しぶりに同じ寝台に潜り込み、万が一の時、何を持って逃げようか、どんなところに行こうか、何をしようかと語り明かした。ロバートにとっては、懐かしい思い出だ。
何射目かを放ったときだった。聞き慣れた声が聞こえた。
「ローズ、おはようございます。どうしました」
「おはようございます。ロバート」
「おはようございます。ロバートさん」
射場に、外出着を着たローズが、ティモシーに連れられてきていた。
「今日は、リヴァルー伯爵様のご邸宅にお出かけでしたね」
「はい」
ローズは髪色に合わせたのか茶を基調としたおとなしい色合いのドレスに身を包んでいた。ロバートがやった深緑色のリボンが髪を飾っている。ローズの服を選ぶのはグレースだ。自分の昔の服を着せて妹のようといって喜ぶグレースと、遠慮するローズの攻防戦は、王太子宮の毎朝の恒例でもある。
「お出かけは、初めてだから緊張してしまうの」
不安そうに胸の前で組み合わされたローズの手を、ロバートは手で包んでやった。
「何をそんなに緊張するのですか」
「初めてだから、なにか失敗したらどうしようとか、心配なの」
「大丈夫です。お招きくださったのはリヴァルー伯爵様です。王太子宮に来たばかりの頃の、あなたのこともご存知ですから」
何をいわれているか解ったのだろう。ローズが恥ずかしそうに微笑んだ。
みすぼらしい格好で、王太子宮に押しかけてきた痩せぎすの少女は、素直で利発だったが、破天荒な振る舞いが絶えなかった。当時から、リヴァルー伯爵は、ローズをかわいがっていた。
王太子宮で暮らすようになってから、ローズは、礼儀作法や立ち居振る舞いを覚えた。今は、貴族の令嬢としても、申し分ないほどだ。
「御前会議に参加するほうが、よほど緊張するはずですよ」
ロバートの言葉に、ティモシーも頷いた。
「だって、アレキサンダー様が、お茶会だっておっしゃったもの。美味しいお菓子とお茶を楽しむはずのお茶会なのに、難しい顔をして、国のことを議論するなんて、貴族も大変なのねって思っていたの」
当時、イサカの疫病対策に関する御前会議は、全て王太子宮で行われた。疫病対策の知識を持っていたのは、孤児のローズだった。孤児では、御前会議はおろか、王宮に立ち入ることも困難だ。王太子宮のお茶会は、孤児のローズを御前会議に参加させるための苦肉の策だった。
「ローズちゃん、本当にそう思っていたの」
「はい」
ティモシーが驚くのも無理はない。当時、使用人たちは、王宮で開かれるはずの御前会議が、王太子宮で開かれたため、警備も何もかも含め、対応に苦労した。
「いつもアレキサンダー様が、お庭でお茶会をするから、お客様もいらっしゃっているから、お菓子もあるからおいで、とおっしゃっていたもの。御前会議のような大切な会議だなんて思わないわ。偉い方々だとは思っていたけれど、アレキサンダー様のお客様だから、偉い方がいらっしゃるのも当然だと思っていたの」
「あなたが誤解するのも無理はないでしょうね。今では、御前会議も、休憩時間に茶や菓子を楽しむようになりました。今のやり方のほうが、好評ですから、良いのではないでしょうか」
ロバート自身、高位貴族達の甘い物好きには驚いている。
「それまではなかったの」
「ご出席の方々が、揃って茶や菓子を召し上がることは、ありませんでした」
御前会議の合間に休憩時間を設け、茶会が出来る今、ライティーザ王国は安定していると言えた。同じ国の貴族であっても、政治的に利害が一致することは稀だ。歴史上、毒殺は珍しいものではない。ロバート自身も命を落としかけた。
高位貴族が自慢の職人に作らせた菓子を競い合うかのように持ち寄り、舌鼓を打ち合う光景など、ローズが来るまでは誰も想像したことすら無かった。
高位貴族が持参したものであっても、御前会議で提供する以上、必ず毒味はする。それでも、今までであれば、互いを警戒し、毒殺を恐れ、誰も口にしなかっただろう。菓子に目を輝かせ、満面の笑みで口にするローズにつられ、一人二人と菓子を口にするようになった。今では高位貴族が、互いに抱える職人を褒め合う時間となっている。
万が一の時、纏めて毒殺されかねないという問題はある。毒味達の責任は重大になった。毒味達は、舌が肥えて困ると苦笑していたから問題はないだろう。
今の穏やかな治世が続いてほしいとロバートは心から願っている。一つの懸案が、宰相であるリヴァルー伯爵だった。
「ティモシーも一緒ですから、問題ないでしょう。護衛も一緒です。初めてですから、軽食までには、王太子宮に帰していただく約束になっています。ご挨拶だと思っていってらっしゃい。大丈夫ですよ」
リヴァルー伯爵は、明確な証拠はないものの、アレキサンダーの立太子に反対していた一派に属していた可能性があった。
アレキサンダーが後見するローズを、宰相であるリヴァルー伯爵は可愛がっている。アレキサンダーとロバートが視察で王都を空けた際には、御前会議とその前後でローズの面倒を見て、いくつか過去の事例に関してローズに教えてくれてもいた。
即位直後の国王アルフレッドを年長の宰相として支えたリヴァルー伯爵を、信用していないわけではない。だが、反対派だったはずのリヴァルー伯爵が、今、王太子であるアレキサンダーに、本当に忠誠を誓っているかは疑問だ。
ローズにあの老獪な宰相の腹の中など探れるわけがない。アレキサンダーは、リヴァルー伯爵の出方を見るために、あえてローズへ、リヴァルー伯爵邸への招待に応じるようにと告げた。判然としないままになっているリヴァルー伯爵の態度を探るためだ。近習見習いのティモシーに、小姓の装いで同行させるのは、アレキサンダー側がリヴァルー伯爵を警戒していないと思わせるためでもあった。
「ローズ、お呼ばれしてどうだったか、軽食のときに聞かせてください」
ロバートは、漸く緊張が緩んだらしいローズの手を取り軽く口づけた。
「はい」
ローズは微笑んだ。
「ティモシーも、報告を待っています」
「はい」
今度はティモシーが緊張したのか、肩に力が入っている。
「護衛も同行しています。ティモシー、何かあれば、いえ、何もなくても迷ったら、迷わず彼を頼りなさい」
「はい」
「ローズ、一人で行動しないでください。今回は、お招きいただいたお礼を、お伝えできたら十分です」
「はい」
二人は仲良く返事をして、射場から立ち去った。
第二章 幕間 勢子頭パーカーは、王太子様と狩りをしたい
アレキサンダーとロバートは、子供の頃から、狩りの経験が豊富です。社交のために嗜む程度の貴族の子弟とは、格が違います。