38)大司祭の訪問2
客間で、ようやく腰を降ろすことができた。大司祭の出迎えは挨拶が長くなりがちだ。大司祭の年齢を考えると、もう少し短く切り上げ、互いに腰かけてからの方がよいのではないかと常々思う。
だが、話が長いのは大司祭の方だ。今日は、挨拶の最後に大司祭がローズに語った言葉は素晴らしかった。
「大司祭様、今日は本当にありがとうございました」
最初に言うことではないと、アレキサンダーは口にしてから気づいた。
「アレキサンダー様、いかがされました」
大司祭の言葉も無理はない。
「先ほど、ローズにおっしゃっていただいた一言です。あの子の過度の謙遜には、皆戸惑っていたのです」
アレキサンダーの言葉に、大司祭がほほ笑んだ。
「お役に立てたのならば、幸いです。ローズ様は聡明で、人の心の機微をよく知る御方です。そのお人柄ゆえ、人の心の闇まではお分かりでは無いようですから」
アレキサンダーの腑に落ちる言葉だった。
「確かに、言われてみれば、おっしゃる通りとしか思えませんね」
ローズは、下らぬ嫉妬からの嫌がらせの言葉を真に受けていたのだ。可哀そうだが、真に受けるローズもローズだ。
「最初、ローズがこの王太子宮に来た頃から、始まっていたそうです」
突然現れた孤児が、アレキサンダーとグレースに取り入り、寵愛をうけ、東の館の茶会でちやほやされているという噂が、西の館に流れた。サラも噂を知っていた。ローズも最初から気づいていたが、日々忙しく、いずれ孤児院に帰るから、関わるだけ面倒だと無視していた。
サラが注意する前に噂は収まった。東の館で開かれている茶会が、茶会に名を借りた御前会議で、イサカの町の疫病、それへの対策などが話し合われている場だということが、広がったのだ。ローズが、アレキサンダーを補佐しているということもすぐに理解された。
そのうちに、イサカの町でのことが、アレキサンダーの功績として、伝えられるようになった。王太子宮内では、ローズは貢献が評価され、受け入れられた。
だが、若い三人は違った。グレースの寵愛を受けるローズを妬んだ。今まで女性を誰一人として歯牙にもかけなかったロバートが、ローズを可愛がることにも嫉妬した。侍女が互いに嫉妬し嫌がらせをしていただけならば、大した問題にならなかっただろう。侍女頭であるサラが責任を持って処罰すればよい。だが、ローズは侍女ではない。
ローズは、彼女らの主であるグレース王太子妃の、夫であるアレキサンダー王太子の政に貢献したのだ。ローズの貢献と才覚を、国王が認め、アレキサンダー王太子に養育を命じていた。
主の政の重要性を理解しない侍女は、王太子宮に必要ない。
王太子の視察中に、ローズの寝台に虫やネズミの死体を置いたというのも問題だった。視察中、どうしても王太子宮の警備は手薄になる。そんな時をねらっての嫌がらせなど、論外だ。西の館の王太子妃の隣室に、疫病を広めかねないネズミの死体を持ち込んだということも問題だった。
一方で、ローズがことを大きくしようとせず、サラに打ち明けたことで、ローズの評価は高まった。
「本来ならば、一族にも処罰が及ぶべき事態です」
そうなると、アスティングス家との交渉が必要だ。ローズが処罰を望まないおかげで、アスティングス家とのいざこざが避けられたのには助かっている。
「こういうことを申し上げるのは何ですが、あまりに浅はかですな。王太子宮にお勤めであった侍女としては」
「おっしゃる通りです。妃グレースがアスティングス家から連れて来たのですが。大司祭様にお預かりいただけるのであれば、アスティングス家にも申し開きができます。ありがとうございます」
「いいえ、ローズ様のためです」
「おそらく、口さがなく、あることないことを騒ぎ立て、ご迷惑をおかけするでしょうが」
「お気遣いくださいますな。あの者達の担当者によくよく申し付けておきましょう」
「ありがとうございます」
大司祭が身を乗り出した。
「ところで、一つお伺いしたい。このような処罰で、あの若者は納得しているのですかな。あの背の高い」
「ロバートですか。ローズが一番懐いている」
アレキサンダーの言葉に、大司祭が何度も頷いた。この大司祭、聖職者であるが、どうやらなかなかの性格をしているらしい。
「処罰を与えることすら可哀そうだと言っていたローズが、納得したので、特に不満はないようです」
「いや、そうですか、なかなか、いやはや」
大司祭はそう言いながら、腹を抱えて笑い出した。
「あの、家名なしの一族の本家の者がそれで納得するとは。さすが、聖女様の御人徳ですな」
やはり、いい性格をしている。
一緒になって笑いたいのをアレキサンダーは必死に抑えた。