0話『隣の彼女たち』
【ローズマリー共和国 惑星パルテシャーナ 元老院議事堂】
海陽惑星系は星間連合帝国が約7割を統治しているのは周知の事実である。そして残りの3割は帝国建国以前にその文化を形成していたと言われる唯一の別国家が統治している。
帝国と対を成すその国の名はローズマリー共和国。
女性が主導する女尊男卑の文化を持つ国家である。この国の宙域に帝国の男性が足を踏み入れることはない。男性の持つ闘争心や野心を排除してきたおかげで建国以来内乱が起きたことがないという実績があった。
「(……いつ来ても……やはり居心地は良くならんな……)」
ローズマリー共和国内ではカースト最下層になる男性として生まれたグラハム・コックスは、女性が行き交う元老院議事堂の中で一人後ろ手に直立していた。彼が居心地の悪さを感じるのは仕方がない。女性主体のこの国では、当然政治を司るのも女性であり、むしろ男性には被選挙権どころか選挙権すら与えられていないのだ。そんな男性である彼がこの元老院議員の廊下に立っていれば、行き交う女性の議員、その議員を守る女性SPから白い目で見られるのは当然だった。
行き交う貴婦人たちと目を合わせないようにグラハムは目を伏せがちにしていると、彼が立つ隣に備え付けられていた大きな扉が開いた。
「待たせたわねグラハム。入りなさい」
扉から顔を出した少女の声にグラハムはホッと小さな息をついた。軽蔑の眼差しを向ける他の女性達と違い、信頼された瞳を向ける少女にグラハムは敬意を払いながら胸に手を当てて告げた。
「しかし……よろしいのですか?」
グラハムの言葉に少女は少し眉間にシワを寄せた。
「貴方は私の護衛官であり秘書官なのよ? もっと堂々となさい」
「では、失礼致します」
少しムクレた少女に促されてグラハムは小さく苦笑を浮かべながら少女の方に向き直った。彼からしてみても、スカート姿であったり、国の伝統形式に従った民族衣装で着飾る女性たちが行き交う中で太眉に髭面な筋骨隆々の自分がいるのは不釣り合いと思っていたのだ。
「失礼いたします」
グラハムはそう告げて扉の中に足を踏み入れる前にそう告げて頭を下げる。すると彼を促していた少女はまたしても不満気な声を上げた。
「グラハム。議長は通して良いと仰るから私は貴方に入るよう告げたの。挨拶は入室してからになさい」
「エリーゼお嬢様。自分のような下賤な男が共和国の元老院議長室に入室するとなれば緊張もするものです」
グラハムはそう告げて頭を上げる。すると懐かしい顔が彼を出迎えてくれた。
「久し振りねグラハム。高等部以来かしら?」
「はっ!」
グラハムは目の前の同い年の女性……元老院議長ミリアリア・ストーンに敬礼する。すると彼を招き入れてくれたグラハムの主君エリーゼ・ゴールベリは腰に手を当てながら溜息を付いた。
「もっと堂々となさい。貴方は私の留学中見事に護衛を成し遂げたのよ?」
「エリーゼお嬢様。我ら男児はこの国において子孫を残すための種馬としてしか存在価値がありませぬ。そのような存在がこの部屋に足を踏み入れるなどやはり……」
「種馬で充分じゃない。性交渉のような下劣な行為さえなければ貴方達は人類が存続する上で必要な存在なのよ?」
「ですが体外受精による出生率がすでに帝国を上回る我が国の医療技術力があれば、いずれは男児の存在など……」
「まだ実現もしていない世界の話なんて無意味だわ」
グラハムの自己否定を否定するようなエリーゼの言葉には温かみがあるように感じるかもしれない。しかし彼女は決してグラハムが告げる言葉は否定せず、彼の卑屈さだけを否定している。その合理性こそがエリーゼが少女にして未来の元老院議長と呼ばれる所以でもあった。
二人のやり取りを見ていたミリアリア・ストーン元老院議長は上品に口元を手で隠しながら微笑んだ。
「エリーゼ。随分な扱いじゃない? 彼は私の旧友なのだからもう少し優しくしてあげて欲しいわ」
「それは語弊があります議長。私は男女関係なくB.I.S値から判断して彼を雇用しているのです。それは慈悲以外の何物ではないのでは?」
エリーゼは少しむくれたようにしてそう告げるとミリアリアはまたしても小さく微笑んだ。
「あら、ごめんなさいね。そなにはともあれ二人共また無事にこうやって会えたことが嬉しいわ」
ミリアリアはそう言って微笑むとテーセット手に取り紅茶を一口含むと、懐かしそうに話し始めた。
「それにしても早いものね、私が推薦した貴女が帝国に留学してもう一年も経ったのね」
ミリアリアの言葉にエリーゼは小さく頭を下げると、ミリアリアに促されて彼女の正面に腰を下ろす。グラハムはエリーゼの背後に立つとエリーゼは少女とは思えない大人びた口ぶりで口を開いた。
「そうですね。ですがそれは私だけの力ではありません。ゴールベリ家という名家の血筋が関係していますから」
「何を言うの? 貴女は立派なB.I.S値を出しているじゃない。それにたしかに見事な家柄だけれど、貴女のお姉様は……ごめんなさい。少し喋りすぎたわね」
「いえ、全て事実ですから」
口を噤むミリアリアにエリーゼは気にしていないと言わんばかりに微笑む。しかし、少女の目は笑っていなかった。それに気付いたのはグラハムだけでなくミリアリアもだったようで、彼女は少し反省したような表情を浮かべながら話を続けた。
「それで、帝国はどうだった?」
短期間ではあるが帝国に留学を義務付けられたエリーゼにミリアリアは尋ねる。その問いにエリーゼは背筋を正しながら、上流階級に相応しい振る舞いで応えた。
「はい元老院議長。やはり科学技術や軍事力はもちろんのこと、農業、漁業といった食糧生産率、そしてエネルギー産業の基盤とも言えるヤシマタイト産出率など、全て分野で我が国とは大きな差があると感じました。今後も帝国と対等に渡り合っていくならば、我らの技術の価値をさらに高めること、そして帝国の技術力を吸収する必要があります。特にあの国には……」
エリーゼは少し唇を噛み締めながら口ごもる。その理由はミリアリアだけでなくグラハムにも理解できた。エリーゼは帝国のとある女性……いや、同世代の童女にコンプレックスを抱いていたのだ。
「……シャイン=エレナ・ホーゲンには会えた?」
ミリアリアの言葉にエリーゼは初めて表情を少し変える。そしてそれはグラハムも同様だった。エリーゼに付き従って帝国にいたグラハムは、彼女が切望したシャインとの面会に側近として一緒に立ち会った。その瞬間に彼は瞬時にあの童女の底知れぬ実力を感じ取ったのだ。
「(……あの童女の目……あの若さで出来るものではない。帝国は怪物を生み出したのかもしれんな……才能があるものが現実と理想の双方に触れればああなるのかもしれん……そしてあのような大人物を見たからこそ……)」
グラハムは前に腰を下ろすエリーゼを見つめる。共和国の希望の星、次期元老院議長、そう称されて共和国中から期待を集める彼女だが、一部ではある声があるのも事実だった。
――もしもシャイン=エレナ・ホーゲンがこの国に残っていれば……
それは口に出さずともローズマリー共和国の人間は誰もが1度は思った事である。そしてそれは彼の眼前にいるミリアリアもそうに違いなかったのだ。
「シャイン=エレナ・ホーゲン……彼女の姿は貴女にはどう映ったのかしら?」
ミリアリアが再び口を開いて改めて尋ねる。その問にエリーゼはゆっくりと顔を上げると、グラハムも知らなかった心の声を漏らし始めた。
「十分ほど会談の時間をいただきました。でもそれだけであの方は既に私より遥か上にいることは理解できました。彼女は帝国だけだなくこの海陽系全てを見ている。私では太刀打ちできないでしょう。……議長、議長もシャイン=エレナ・ホーゲンと相まみえたことがあると聞いています。議長の目にはどう写っていますか?」
グラハムは一転して視線をエリーゼからミリアリアに移す。
急な……そして率直な質問にミリアリアの表情は少し面食らっていたが、彼女はすぐに柔和な表情に戻して答えた。
「優秀な子ね。私も数える程度しかお会いしていないけれど、一目見てエルケンス先生とホーゲン大使のご息女だと分かったわ。型破りだけどそれを押し通す実力を持ち、なのにどこか子供っぽいところが特に……あらやだ、彼女はまだ一応子供だったわね」
ミリアリアはそう言ってティーカップをテーブルに置く。その仕草は上品そのもので、彼女の佇まいこそがこのローズマリーの信念を表しているようだった。そんな彼女の仕草を一転に見つめながらエリーゼはゆっくりと口を開いた。
「……彼女をこちらに引き抜けないでしょうか?」
エリーゼの言葉にミリアリアだけでなくグラハムも表情が強張った。
実現すればローズマリーにとってこの上ない利益をもたらすことだろう。しかし、1度亡命した女性は再度ローズマリー人になることはできない。幼少期とはいえ彼女も亡命した人物なのだ。そんなことはこのエリーゼも承知のはずである。にもかかわらずこう言えるのは、彼女が自らのコンプレックス以上にこの国の事を考えた結果なのだろう。その自己犠牲にも似た考えにこの少女は10歳で辿り着いた。その事実にグラハムは彼女の偉大さを確信した。
「(……エリーゼ嬢は想像以上に強かなようだ)」
グラハムが心の中でエリーゼの評価を改めていると議長室にノック音が響いた。
「議長! よろしいかしら!」
こちらの反応も待たずに甲高い声が外から聞こえる。1度聴いたら忘れないその耳をつんざくような高音の持ち主は、国内でも有名な保守派マルグリッド・チェン元老院議員に間違いなかった。
「チェン議員、どうなさったの?」
ミリアリアの返答を聞き終える前に扉を開けたマルグリッドの目尻には、彼女の特徴ともいえる紫色の濃いアイシャドウが塗られていた。その濃い紫色のまぶたから放たれる人を見下すかのような表情は、異様な雰囲気を醸し出しており、彼女が一筋縄ではいかない人物だと子供でも理解できるだろう。
マルグリッドは背後に地縛霊のような秘書を引き連れて部屋に足を踏み入れると、グラハムを一瞥するやいなや、まるで出し忘れたゴミを見るかのように眉間に皺を寄せた。
「なるほど。神聖な元老院議長室から嫌な臭いがすると思ったら雄が入っていたのね。議長。伝統ある部屋に雄を入れる。もう少し議長としての自覚と良識を兼ね備えた行動をお願いいたしますわ」
目が合って早々に暴言を向けられるがグラハムは無言で一礼する。この国であれば彼女の発言は何1つ間違っていない。そしてグラハムの無抵抗の一礼こそがこの国での男の生き方なのだ。
マルグリッドはそれ以上グラハムに興味はないらしく、頭を下げる彼には見向きもせずミリアリアの方に歩み寄った。
「帝国宰相からの通知です。ヤシマタイトの輸出制限と制限緩和に関する必要項目だそうですわ」
「ありがとうチェン議員。エリーゼ。貴女も今後の勉強のために見ておきなさい」
ミリアリアはそう言ってマルグリッドから映写用チップを受け取ると、デスクに備え付けられたソケットにはめ込む。
するとテーブルの上に三次元の情報データが宙に浮かび上げられた。
帝国からの通知は異常だった。共和国内でも重要なエネルギー資源であるヤシマタイトの値段単価が倍どころではなく桁が1つ上がっているのだ。グラハムですら怪訝な表情を浮かべる中、ミリアリアは困ったように告げた。
「異常な金額ね……その他にも、細胞培養技術や女傑軍の軍事力共有か……」
「これは共有ではありません。女傑軍が帝国監査軍傘下に入るようにとの脅迫です」
データを覗き込んだエリーゼも声を上げる。そんなエリーゼにミリアリアは優しく答えた。
「そうね。エネルギー資源のヤシマタイトを餌にこちらの技術を吸い尽くそうとしている……このままでは国民の生活に支障が出るわ。まずは細胞培養技術の提供で様子を」
「議長。帝国皇帝の容体が分からない以上、ルネモルン宰相と交渉を続けるのは危険です。ここは一時的な国交を断絶すべきでは?」
ミリアリアの言葉を遮るようにマルグリッドの甲高い声が響き渡る。そしてそのあまりにも唐突で極端な意見はミリアリアだけでなくエリーゼやグラハムも思わず眉を顰めさせた。
しかし、ミリアリアはどこか慣れた様子で小さく息をつくと、まるで諭すようにマルグリッドの方に体を向けた。
「チェン議員。国交断絶は最終手段であってそう簡単にするものではありません」
「ですが議長。今や帝国内は皇族派と宰相派に分かれた内紛が起きているとも聞きます。まともな政治体制が取れていない国と交渉するのは危険です。多少の弊害はあっても充分我が国だけで生き抜くことは可能なはず」
「国交断絶すれば帝国軍はこのパルテシャーナ星に侵攻してくる可能性があるのよ? ヤシマタイトというエネルギー資源も依存している以上、国交断絶は今はまだ得策とは言えないわ」
「仮に攻め込まれても女傑軍は優秀です。長期戦になれば我が国の医療技術や細胞培養、肉体再生技術を用いることで我が軍が有利に運べます。エネルギー問題に関しても、消費の縮小は止む終えませんが、海陽エネルギーの抽出技術が纏まりつつあるのです」
「あなたは戦争を始めたいの?」
ミリアリアは少し語気を強めてそう尋ねると室内の空気は一瞬にして張り詰める。建国以来内乱の起きていないこのローズマリー共和国において戦争というのは数百年前に帝国軍と共闘したスコルヴィー星人解放戦争以来である。言葉でしか分からない戦争という見えない実態にグラハムは息を呑むと、マルグリッドはまるで嘲笑するかのように肩をすくめた。
「そのようなことは。ですが、この国の未来を守るためならば戦うことも必要かと思います。そしてもう1つ。元老院議長は帝国に対し下手に出ているように見えます。我が国は帝国と肩を並べる存在であるということをお忘れなきようにお願いいたしますわ」
「議員、そろそろ」
気配を消していた地縛霊のような秘書がひっそりとした声でそう告げる。マルグリッドは彼女の方に振り返ることなく腕を組みながら頷いた。
「失礼、この後まだ案件がありますので失礼致しますわ。……議長、強気な外交姿勢をお忘れなく」
マルグリッドは言いたいことだけを言い残すと、そのまま踵を返して議長室から出て行った。
まるで台風のように現れ去っていったマルグリッドを見送ると、ミリアリアは少し疲れたように背もたれに体を預ける。自分よりも年上の部下に囲まれ、元老院議長としては若い年齢だった彼女も気苦労が絶えなかったのだ。旧友であるグラハムから見ても、高等部時代は誰よりも輝いていたミリアリアが最も老け込んでいるように感じていた。
「ストーン議長」
沈黙を貫いていたエリーゼが口を開くとミリアリアは慌てて体を起こして笑顔を作った。
「あら、ごめんなさいね、本当は貴女とお話をする時間だったのに」
「いえ、おかげで私もやるべきことが見えてきました」
エリーゼのただならぬ……まるで子供とは思えないその冷徹な表情にミリアリアは小さく顔を顰める。
「やるべきこと……?」
「はい。いずれにせよ。帝国内部のことを我々は知る必要があります」
「そうね。でもその情報を教えてくれる帝国からの亡命者はここ数年いないのよ」
「ではこちらから送ればいいのです」
その返答にグラハムは息を呑む。彼女の言葉は最早戦争をする1人の女の目になっていた。
「そのためにあるのでしょう? EEA(共和国諜報機関)は?」
「……」
ローズマリーに戦争の火種が近づきつつある。グラハムはそう思いながら目を閉じた。