−0.05話『双子の皇子 後編』
【星間連合帝国 帝星ラヴァナロス シルセプター城】
皇后の部屋に隣接する護衛騎士団長室でシャインは眼前に座る上官、ベルフォレスト・ナヤブリ執政大臣の指示に眉を顰めた。そしてその勢いのまま苛立ちを隠すことなく尋ねた。
「兄君を……皇太子をセルヤマに送る?」
明らかに苛立った口調で問うシャインに大柄で眉の太い男ベルフォレスト・ナヤブリは取るに足らないと言わんばかりに頬杖を突いたまま頷いた。
「そうだ。宰相派が幅を利かせるここラヴァナロスが安全と言えぬ。そこで弟君にはここラヴァナロスで囮として暮らしていただき、次期皇帝となる皇太子は準惑星のセルヤマで安全に生活していただく。双子の皇太子というのは本来皇位継承で揉めることもあるのだがな。そんな厄介な事案も今回は好機だ」
ベルフォレストの指示は容認しがたいものである。シャインは生前の皇后から双子を守り固い絆で結ばれた兄弟にしたいという願望を聞いていたからだ。
「皇太子様と殿下は私が守ります。何よりまだ幼子の兄弟を引き裂くのは皇后陛下もお望みになりません。それは不敬行為に当たるのでは?」
シャインは眼光に鋭さを保ったままそう告げる。するとベルフォレストはようやく頬杖を解いた。明らかに苛立っているのも当然である。ベルフォレストという男は自らの地位に固執する男であり、目下の人間に歯向かわれる事を何より嫌うのだ。
「口を慎めよホーゲン騎士団長。頭に血が上りまともな判断も出来ぬようであれば、貴様に殿下の護衛を任せる事は出来んな?」
シャインは後ろ手に組んでいる手に力を込める。そして心の中で「クズめ」とベルフォレストを罵った。
握りしめた拳から血が滴る。その痛みでシャインは自らを冷静な方へと無理矢理追いやった。
「……失礼致しました」
シャインは大人しく頭を下げる。このような自体になる前に、自らの地位を上げておくべきだった。もしくはこのベルフォレストを失脚させるべきだっただろう。それを怠ったツケを今は払うしかないのだ。
「流石はホーゲンだ。利口な奴は長生き出来るぞ。今は個人の願望は二の次、最も重要なのはいかにして皇族派の血を後世に残すかという事なのだからな」
「もしそうならば宰相派と和解する道を探すのもあるのでは?」
「くどいぞ。前回の皇族派議会でも話したはずだ。ハーレイにあるのは自身が皇帝にとって代わるという野心だけだ」
「……」
シャインは沈黙の中で唇を噛み締める。
「(そうなる前に止めるのがアンタの仕事だろうが)」
そんなシャインの苛立ちをよそに、ベルフォレストはまるで自身が万能と言わんばかりに尊大な口ぶりで説明した。
「とにかく、貴様は真の皇太子である兄君をセルヤマにお送りせよ」
「一つお聞かせください。何故皇太子なのです? ラヴァナロスが危険とはいえ、我々騎士団が随時護衛を行えば、いかに宰相派といえどそう簡単に手出しはさせません」
ベルフォレストもシャインが稀有な天才という事は理解している。だからこそ彼女のその自信を過信とは捉えず突き放すことはないが、得意気な表情をくずすことなく答えた。
「お前の実力は評価しているが、万が一の場合に備えねばならん。そして産後のB.I.S検査を見たであろう? 皇太子は歴代皇族の中でもトップクラスのお方だ。いずれ帝国を治めるに相応しい皇帝になられる。本命とも言える皇太子様をハーレイの手の届かぬ万全の状態で安全に育っていただくべきだ」
「つまり、B.I.S値という基準だけで弟君を危険に晒すのですか?」
シャインの言葉を皮肉に感じたのかベルフォレストは鼻を鳴らしてから答えた。
「フハハハ! 帝国史上歴代最高値を出した貴様が言うセリフか? B.I.S値は皇后様が貴様の後ろ盾になった判断材料の1つになっていることは間違いないのだぞ?」
「そうかもしれません。ですが」
「第一、弟君のB.I.S値を見たであろう。歴代皇族に限った話ではない。一般平均と比較してもかなりの低値となっているのだ。もしも宰相派が謀反を起こし、その牙が手に届くような自体になった時を考えろ。生き残っていただくのが優秀な皇太子様か、弟君のどちらかは明白であろう?」
「(……)」
シャインは再び拳を握り締めて怒りを押し殺す。
彼女にとってB.I.S値などどうでもいいことだった。大事なのはこの2人の皇子が自分の最も敬愛する皇后が自らの命と引き換えにこの世界に残したものということなのだ。目の前のベルフォレストという男は建前を気にしているのであり彼らのことを考えてなどいない。その事実にシャインは拳を握りしめていた。
このまま行けば皇帝派と宰相派の戦いは起きる。
それを止めることが出来るのが皇族派の筆頭であるベルフォレストしかいないというのに、当人が戦いを望んでいる以上、もう避けようがない未来がそこにはあった。
そんなシャインの心の声が届くはずもなくベルフォレストは横柄なまま続けた。
「皇族派による議会でもこの件は決定したことだ。兄君は産後の経過が著しくなく亡くなったと発表する。そのために宰相派連中には術後の経過が悪いとして会わせておらんのだ」
「では私は皇太子をセルヤマにお送りした後はラヴァナロスに残る弟君の護衛に……」
「いや、貴様は皇后陛下から最も寵愛と信頼を受けていた存在の1人。よって貴様にはセルヤマにお送りする皇太子様の護衛を命ずる」
「私にセルヤマの皇太子をお守りしろと?」
「うむ。だがこれは隠密任務になることから基本的にここラヴァナロスを拠点にして、定期的にセルヤマで護衛に当たれ。また貴様には諜報部行きを命じるとともに皇后様の崩御により皇后直轄護衛騎士団は解散とする。安心せよ。私がここにいる以上、弟君の安全は保証する。これは一種の保険なのだよ」
「(……なるほど。要は厄介払いしたい訳ね)」
皇族派と謳っているがそれは形式だけのこと。皇帝派の中にも派閥は存在し、中には優秀なシャインを疎ましく思う者もいる。今回を機に皇帝派の中枢から彼女を弾き出すつもりなのだろう。
ベルフォレストは言いたい事だけ告げると立ち上がった。
「では、あとは任せる。私はこれより、皇后陛下崩御の儀の算段をセイマグル法王に取り付ける」
「了解しました」
シャインがそう答えるとその場にいると思われたベルフォレストの通信ホログラムは小さく弾けるように消え去っていった。
ホログラムが消え去るのを見届けたシャインは、正面に視線を残したまま背後に向かって呼びかけた。
「ジュリアン」
「はい」
声の先に振り返る。そこに現れた淑女を見てシャインは苦笑した。
「35歳でミニスカメイド服はきつくない?」
「皇后様から頂いた衣装ですので」
背後の柱から現れたオレンジ色のミニスカメイド服の女性、皇后直轄護衛騎士団団員兼皇后専属侍従長ジュリアン・フェネスはそう告げると、シャインのもとに歩み寄りながら言葉を続けた。
「執政大臣は恐らく皇子様の片割れをどこかに隠す。シャイン様の仰ったとおりでしたね」
「案の定優秀な方を宰相派から隠して育てるだって。分かりやすいこと言うよね」
シャインは呆れたようにそう告げると、ジュリアンは不愉快そうに口を開いた。
「優秀も何もありません。お2人とも皇后様の命の結晶なのですから」
憤慨するジュリアンにシャインは微笑むと、彼女の肩をポンと叩いて横切った。そして隣接する皇后の部屋へ繋がる扉に手を掛けると重い扉を片手で押し開けた。
部屋の中央には2つ並ぶ揺り籠がある。シャインとジュリアンは揺り籠に歩み寄ると、そこに眠る皇子を見つめた。そしてシャインはそっと片方の子供を抱き上げると微笑んだ。
「で? どうだった?」
シャインはそう言ってジュリアンの方に振り返ると、ジュリアンは不服ながら頷いた。
「はい。そちらの弟君はB.I.S値が凡庸とはいえ純真そのものです。恐らく皇后様に似たのでしょう」
ジュリアンはB.I.Sでも計り知れない人の本質を見抜く神通力があった。神通力を有する者は異端者として迫害される。その為、その事実を隠す者が多かったがシャインは神通力にそれほどの嫌悪感を持ち合わせていない。何故なら亡くなった皇后は人々を平等を愛する人だったからだ。
シャインはぐっすりと眠る弟君を抱きかかえながら、その隣の揺り篭で眠る兄君を見た。
「で、こっちのお兄ちゃんの方はB.I.S値は優秀……」
「ですが自尊心に大きな影が見えます。恐らく皇帝陛下に似たのでしょう」
「そっか……で? ジュリアンはこの弟の方をここに残したらどうなると思う?」
シャインがそう尋ねるとジュリアンは困ったように微笑んだ。
「分かりません。私が見通すことが出来るのは人間の深層にある自我だけ。未来を見通すなんてことは出来ませんわ」
「そうじゃなくて予測を聞いてんの」
シャインは腕の中で眠る弟君の寝顔を見つめながらそう尋ねると、ジュリアンは意を決したように告げた。
「兄君は……知能も身体能力も高い。そして精神的にも誇り高いお方です。恐らく、どこかしらでも生き抜くことは出来るでしょう。ですが弟君はそうではありません。B.I.S値が裏付けるような凡庸さ……いえ、問題はその純粋さです。彼は環境次第で白くも黒くもなります」
ジュリアンの返答にシャインは天を仰ぎながら考える。今彼女に出来ること、そして何よりも優先すべきことは、この双子の皇子を如何にして生かすかということだ。
兄君に関してはこのラヴァナロスに残してもセルヤマに送ってもどちらでも問題ない。生まれ持った才能で場所を問わずに自らの身を守る術を覚えていくだろう。問題は弟君だ。彼をベルフォレストの言う通りこのラヴァナロスに残したら……
今のシルセプター城はどす黒い感情が渦巻いている。
この地に純真な弟君を残せば、彼もその色に染まってしまう可能性がある。何よりB.I.S値が低すぎる以上、余程優秀な師に巡り合わなければ、自らの身を守ることもできずに本当に暗殺される可能性が高い。
「弟を……このラヴァナロスに残すのは危険だね……」
シャインは頭の中で数万通りのパターンを考える。
――仮に兄君をこの地に残したらどうなるのか?
凡庸な弟と認識され、周囲からは期待されずに育っていくのだろう。そうなれば彼の自尊心が傷つくかもしれない。だが、この地には皇族派の筆頭であるベルフォレストがいる。彼が後ろ盾になってくれれば兄君はやっていけるかもしれない。
「(……執政大臣がよほどバカじゃなければの話だけど……)」
ベルフォレストはシャインにとってはあまり信用のおけない人物だったが彼を信じて託す他ない。この双子が生き残る道はそれしかないのだ。
子供たちの未来を考えてシャインは辟易する。我ながら皇后への忠義の強さを感じていると腕に生暖かい感触が走った。
「……このアタシの腕の中で粗相とはいい度胸じゃん……しかも起きねぇのかい」
腕の中でスヤスヤ眠る弟君を見てシャインは引き攣った笑みを浮かべる。そして懐から取り出した亡き皇后が遺した名前入りのペンダントを彼の手に握らせた。
「ほら。アンタの名前よ」
そのペンダントには生前の皇后が彫った皇子の名前が刻まれていた。
――ダンジョウ=クロウ・ガウネリン。
この名前は歴代皇帝の中でも最も世界知れ渡る名前の1つになる。先読みを得意とするシャインもこの時はそれを見抜くことはできなかった。
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翌日、帝国中に産後の感染症によって双子の兄である皇太子が崩御したことが知れ渡った。宰相室にその訃報が届いたのは朝のことである。
宰相派の面々が鎮座する長テーブルの最奥、上座に座る宰相ハーレイは眼鏡を外しながら口を開いた。
「皇后陛下に続き皇太子もか。皇帝陛下にはご不幸が続く……おいたわしいことだ」
周囲の宰相派は声にこそ出さないがどことなく安堵の笑みを浮かべた。
双子の片割れが死ぬ。しかも厄介であろう優秀な兄が死に愚者である弟が生き残った。それは宰相派にとっていかに有意義なことかと誰もが知っていたからだ。
「皇帝陛下ご本人が分かっていないことが不幸と言えますかね?」
誰もが沈黙の笑みを浮かべる中、宰相秘書官であるキョウガが皮肉を口に出す。するとハーレイは厳しい表情を浮かべながら息子を諫めた。
「キョウガよ。いかにお主であっても、皇帝陛下を侮蔑するような発言は許されんぞ」
「父上、いや失礼。宰相閣下、これは侮蔑ではなく既成事実を申し上げたまでです」
「そういうことではない。帝国民たるもの皇帝陛下へは敬意を示さねばならん。……あの方が皇帝陛下である以上な」
「なるほど。皇帝である以上は」
含みを持たせた言葉で締めるハーレイにキョウガは同意の意味を込めて小さく頷く。
誰もが宰相の次の言葉を待っているとハーレイは次に意外な人物に声をかけた。長テーブルの一角に腰を据えるもう1人の息子コウサである。
「そんなことより皇后様の崩御の儀は見事だった。コウサよ。セイマグル法王へは貴様からも厚く御礼を申し上げておけ。私の息子としてな」
「ええ。分かっとります」
コウサはいつもの飄々とした笑みで頷くとハーレイは不躾に不可解な質問を続けた。
「それはそうとコウサ。神栄教の信者の数は急激に減ったりはしておらんだろうな?」
コウサは不可解な表情を浮かべる。彼からすれば父であるハーレイはおろか、父以上に策略家である兄キョウガの考えも見通すことはできている。しかし度々されるこの質問の真意だけは理解ができなかった。
コウサは反り上げた頭を撫でると疑問の心を押し殺した。恐らくハーレイは……いや、キョウガも含めたこの2人は神栄教を何かしらに利用しようとしていることだけは確かだった。その真意は先でいい。問題はその利用によって神栄教にどのような影響を与えるかということだ。もしも不利益を及ぼすというのならば、その時は枢機卿としてこの2人を断罪すればいいだけの話なのだ。
コウサは気持ちを切り替えて、どこか道化を演じるかのように答えた。
「親父殿はその質問ばっかりやなぁ。まぁ人数は変わらんわ。帝国民の半分以上は洗礼受けとるからそう考えたらええやん」
「そうか。やはり国民の支持を得るには神栄教という力はデカいな。ああキョウガ。ローズマリーの方にはいつも通り打診しておけ。協定の改編箇所に変わりはないとな」
コウサの返答にハーレイは確認作業ともいえる言葉を返すと次に隣国の話に切り替える。その指示にキョウガは黙って頷いていた。2人の肉親をコウサは黙って見つめていたが、すぐに彼は目を閉じて微笑んだ。
ハーレイとキョウガがどれだけ動こうと関係ない。コウサにとってこの2人は今は利用価値のある人間……いや、必要不可欠な人材だった。ハーレイが神栄教とローズマリー共和国を利用して皇帝に取って代わろうとしていることは間違いない。そしてその皇位簒奪という大事変はコウサにとって必要不可欠なことなのだから。
「(……親父殿には僕が正義の味方になる為の悪役になってもらわななぁ……)」
皇帝に就くには簒奪という不義理を起こさねばならない。しかし、不義理を侵す者に民衆は付いていかない。
ならば民衆は誰に付いていくのか?
答えは不義理を犯した者を裁いた正義の味方である。民衆とは常に正義という言葉に弱いのだ。
コウサは何も気付かぬふりをしながら微笑む。そして、まるで従順に従う孝行息子のようにハーレイに進言した。
「それはそうと親父殿。大仕事するんなら優秀な人間は近くに置いといた方がええで」
ここで宰相派の基盤を固めるのは自らの未来に繋がる。コウサはそう考えながら微笑むとキョウガが苦言を呈した。
「お前がその役割を担えばいいだろう」
キョウガはハーレイと違い、コウサの実力を非常に高く評価していた。いや、それ以上に彼は血族に対して情に厚い部分があった。現に父であるハーレイ以上の力を持ちながら決して裏切るようなことはなかったのだ。それと同様にキョウガは弟であるコウサを誰よりも信頼していたに違いない。そんな気持ちを知りながらコウサはケラケラと笑った。
「お兄ちゃん。僕は宗教者でお兄ちゃんみたいに政治的なことは素人や。でも人材の配置っちゅーのは宗教の母体の中でもあることやから助言できるんやで」
兄であるキョウガはそのまま閉口する。コウサにとって兄など眼中になかった。
「で、話の続きやけど、今の帝国に引き抜いといたほうがええ人材は1人だけや」
「ベルフォレスト・ナヤブリか?」
ハーレイの予想にコウサは首を振った。
「まぁ親父殿に盾突けるんは執政大臣くらいやろうけど、引き抜く価値はないわ。真っ先に引き抜いた方がええ人材はシャイン=エレナ・ホーゲンやで」
「シャイン=エレナ・ホーゲン……お前よりも高いB.I.S値を出した少女」
キョウガの補足を聞きながらハーレイが不可解な表情を浮かべる。しかしコウサは気にせずケラケラと笑った。
「そうや。僕の歴代最高値を塗り替えたな。おかげで僕の天下は5年で終わりや」
宰相室にはコウサの不気味な笑い声がこだましていた。