−0.9話『ツキのない男』
【星間連合帝国 ジュラヴァナ星 マリンフォール大聖堂】
早朝の光がステンドグラスを通り抜け聖堂内を照らし出す。色鮮やかな光に包まれた大聖堂の中にいるのは見事な白い髭を携えた老人と頭を剃り上げている少年だけだ。
二人は並んで両膝を付き、目を閉じて頭を垂れながら女神メーア像に祈りを捧げていた。
「……」
僧官見習いと言ってもおかしくはない年齢の少年は閉じていた瞼をうっすら開き、横で祈りを捧げる老人の横顔を覗き込む。マリンフォール大聖堂の長であり、神栄教の法王であるセイマグル・ヴァレンタインは目を閉じたままニヤリと口角を上げた。
「コウサ。お祈り中に余所見は感心せんなぁ」
コウサと呼ばれた少年はギョッとしながら「ス、スイマセン」と言って祈りに戻る。するとセイマグルはケラケラ笑いながら立ち上がり、コウサの頭を大きな手でガシガシと撫でまわしてきた。
「コッコッコ! 掛かったな! カマかけただけやで!」
「ほ、法王様!」
刻まれたシワを折り曲げながらセイマグルは悪戯っぽい笑みを浮かべる。その笑みを見て、コウサも思わず顔が緩んだ。セイマグルの笑顔はまるで自分よりも子供のように見えたからだ。
セイマグルは笑いながらおどけるように小走りで逃げ出す。コウサは撫でられた頭を抑えながらセイマグルを追おうとしたが、慌てて振り返り女神メーア像に一礼してから彼を追いかけた。
大聖堂から外に繋がる廊下は明るかった。このジュラヴァナ星は海陽系の第二惑星であり、全惑星の中でも二番目に恒星に近い。それもあってかジュラヴァナ星人は瞳を強烈な紫外線から守るために瞳が大きかった。
セイマグルはそんな瞳が見えなくなるほどに目を細めながら再び悪戯っぽい声を上げた。
「しっかし神聖なお祈り中に余所見しよったとガーネットが聞いたら怒りそうやな」
「フロー枢機卿には内緒でお願いします」
厳しい女性枢機卿であるガーネット・フローの姿を思い浮かべたコウサは少しゾッとした表情を浮かべる。するとセイマグルは優しい表情でコウサを見下ろしてきた。
「ほな、これから気ぃつける為にも集中力つけんとあかんな」
「集中力ですか」
「せや。心ん中を空っぽにして、ただ一点に祈ることだけに集中する。その一番の近道が心を穏やかにすることや」
「心を空っぽにして穏やかに……」
セイマグルの言葉を反芻してコウサは深呼吸をしてみる。彼の明らかに無心ではない行動を見たセイマグルは、小さく頭を振って辿り着いた聖堂の入口にある扉に手をかけた。
「穏やかにするには、まず余計なもんを取り除かんとアカン。それがコウサの課題や」
セイマグルがそう言って扉を開くと緑が広がる大自然が広がった。
ジュラヴァナ星は緑に溢れた星である。神栄教の総本山であるこの星は海陽系内でも少し異質な存在であり、謂わば聖地ならぬ聖星と呼ばれている。そんな大自然に囲まれた大聖堂内の庭園を歩きながらセイマグルはコウサに語り続けた。
「コウサ。君の心はキレイなもんや。せやけど、片隅にちっこい執着心がある。それを何とかせんといかんのや」
「執着心……」
「心当たりがありそうやな」
「考えるまでもないです。きっと両親との関係性でしょうね」
コウサは心苦しく思いながら言葉を絞り出す。そして自らの過去を語り始めた。
「あのルネモルン家で僕の誕生が祝福されたのは最初の一年ほどだけでした。生まれてすぐのB.I.S検査で帝国史上最高の総合値を出した僕が生まれたことで、誰もがルネモルン家の将来は安泰と喜んだそうです」
「ルネモルン家は立派な家や。女神メーアの弟子で帝国建国者のオドレー=マルティウス・ガウネリン女帝はんを補佐しとったんは君のご先祖様ともう一つの名家ナヤブリ家なんやからな。そないなこと気にせんでええのに……。既に充分な富と名声を得ながら未来を心配する。それは人間の小心さと野心が入り混じった複雑なもんかもしれんなぁ」
セイマグルはそう言って苦笑すると慌てて再びコウサに微笑んだ。
「ああ、話の腰を折ってスマンかったな。そいで、何で生まれて数年で祝福されんくなったと思ったんや?」
セイマグルの問にコウサは少し悲しげな笑みを浮かべながらも話を続けた。
「まずは母の出奔です。僕は生後数ヶ月で言語を理解していました。当時のことを今でも覚えています。二歳の時、僕は生活の中で見ていた母のやり方に疑問を抱き、そのやり方に苦言を呈するようになりました」
コウサはそう言って自嘲気味に笑うと、自らの情けなさに頭を振る。それはまるで幼い頃の失敗や黒歴史を自ら掘り起こすようなものだったからだ。
「母はルネモルン家に嫁ぐだけあって由緒正しい家柄の令嬢です。聞けば幼い頃から格式高く育てられたと聞きました。そんなプライドの高い母が子供からあれこれ言われればプライドが傷つくのは当然でしょう。そこからは簡単です。母の出奔である原因となった僕の成長速度に恐怖心を抱いた父は僕を避けるようになり、僕はやがて離れの館で暮らすことになりました。兄だけが僕の様子を見に来てくれましたが、それも父は良い顔をしなかったそうです」
コウサはそこまで一気に話すと小さく息をつく。そして木漏れ日を見上げながら目を細めて再び語り始めた。
「僕のせいで家族が崩壊していくのがよく分かりました。世話人だけがいる館で一人過ごしてた僕を満たしてくれたのは知識だけ。僕は本を読み漁り、五歳の頃にはパネロ大学の入試問題を解けるようになりました。その時に思ったんです。僕のこの知識は特別だと。僕はこの世界で選ばれた人間なんだと。家族には必要とされなくとも、きっと世界が僕を必要にしている。そう思うことで僕の孤独感は消えていったんです」
コウサはまるで栄光の日々を語るように目を輝かせる。しかしその輝きはすぐさま暗く堕ちていった。
「でも、そんな日々もすぐに終りを迎えました……忘れもしない僕の人生最悪の日……五歳と四ヶ月と七日の日、僕の持つB.I.S歴代最高値が塗り替えられてしまった……僕の中にあった唯一の灯火があっさりと消えていったように感じたのを今でも覚えています……」
「その絶望から逃げるためにココに来たんやったな」
セイマグルが使った逃げるという言葉にコウサは少しムッとしそうになる。しかし見上げたセイマグルの優しい笑みのおかげか、彼の中は沸き起こりそうになった怒りの感情はすぐに消え去っていった。
「そうです……僕に縋るのはもう宗教しかなかった……だからこうしてこの地に来ました」
「それで? 何か心境は変わったか?」
「はい、勿論です。女神メーアの教えに」
「コウサ。ボクの目ぇ見てもういっぺん答えてみ? ココに来て何か変わったか?」
セイマグルはそう言って真っ直ぐな視線を向けてくる。ジュラヴァナ星人特有の大きな瞳の中にある暖かさにコウサは思わず本音を口に出した。
「……いえ、何も変わりませんでした……結局心の中に喪失感は消えなかった……」
コウサは自らの心の叫びを捻り出すようにそう告げる。
その言葉を聞いたセイマグルは神妙な面持ちから再び笑顔に戻るとコウサの頭にガシッと手を撫でてきた。
「コウサ。神通力って知っとるか?」
唐突な質問にコウサは呆気にとられる。その質問の意味が分からぬままコウサは戸惑いの表情で頷いた。
「え、ええ勿論。一部の人間が持つ特殊な脳波ですよね? 具体的に何が出来るというのはないですが、極稀に超常現象をもたらすとか……でもそれはこの星では禁忌になるのでは?」
「そうや。神通力言うんは僕等の神様でもある女神メーアを殺す一因にもなっとる。おかげで神通力持ちは神栄教の中で異端者とまで呼ばれるんや」
セイマグルはそう告げるとゆっくり人差し指をコウサの眉間に合わせて目を閉じる。一瞬の静寂の後、セイマグルは身体を震わせるとコウサの中に妙な感覚が広がった。まるで自分が体の内側から裏返り、その全てをセイマグルの手の中に捧げたような感覚になったのだ。
一陣の風が吹き抜け、コウサはハッとしてセイマグルの顔を見つめていた。目を閉じる彼の表情がピクリと動く。その動きは明らかに驚きから来るように見て取れた。やがてセイマグルが目を開くと彼は微笑みながら再びコウサの頭に手をおいてきた。
「ふぅ……今な。君の未来を見てきたで」
「は? え?」
コウサは戸惑いを隠せずに目を泳がせるがセイマグルは気にすることなく言葉を続けた。
「大したもんやで。君は将来新しい世界を作る人間の一人になるんや。僕がこの目で見てきたんやから保証するで」
セイマグルは何食わぬ顔でそう告げる。
今までの会話の流れ、そして先程自分が感じた現象からコウサはハッと気付くと同時に顔を青ざめさせた。
「まさか……法王様……あなたは神通力を……」
その言葉にセイマグルはニッコリと微笑んだまま頷く。そして先程見せたような悪戯っぽい表情で声を潜めた。
「未来が見えんねん。でも二人だけの内緒やで~? 神栄教の法王がその神様殺したいう力を持っとるなんて知られたらえらいこっちゃ」
セイマグルはそう言って再び独特な「コッコッコ」という笑い声を上げて再び庭園内を歩き始めた。
コウサは驚嘆の表情を留めたままセイマグルの背中を見つめていた。そして慌ててセイマグルに駆け寄ると彼の裾を掴み驚きながら疑問を投げかけた。
「ど、どうしてそんな事を僕に教えたんです!?」
「どうしてって? 教えたいやんか。君は君が思う通り、未来の世界に必要な人間やってな」
「そうじゃありません! 神通力を持つことを何で僕なんかに!」
コウサの問にセイマグルは首を傾げる。そしてようやく質問の意味を理解したのか両膝に手を付きコウサに視線を合わせながら微笑んだ。
「ああ。そういうことか。僕の秘密を話すくらいでコウサが救われるんやったら安いもんやないか。ええか? 神栄教の教えは“すべての人のすべてを肯定する”ちゅうことにあるんや。僕はコウサの全部を認めたる。そのために君に秘密を話す必要があるっちゅうんなら話すだけや。それが女神メーアの教えやで」
セイマグルはそう告げて体勢を戻して歩きだすと、再び悪戯っぽい笑みでコウサの方に振り返った。
「あ、そうや。コウサ、君まだ十歳やろ? これからなんぼでもやれるんや。あんまり考えすぎんと気楽にしてみい」
そう言ってケラケラ笑いながら歩くセイマグルにコウサは始めた感情を抱いた。十年の人生を一人で生きてきた彼が初めて抱いたその感情は尊敬というものだった。
「法王様! 僕、がんばります!」
コウサは思わず叫ぶとセイマグルは再び振り返る。その優しい表情にコウサは叫び続けた。
「頑張って神栄教を理解して! 法王様のような大人になって! そしてきっと新しい世界を作ってみせます!」
その心の叫びにセイマグルは優しく微笑む。
セイマグルが告げた自らの未来、そしてこの時に見せてくれた彼の笑顔をコウサは生涯忘れることはなかった。