第6話『バカは死ななきゃ分からない』
【星間連合帝国 準惑星セルヤマ タルゲリ教会】
セルヤマ星は観光惑星なだけあって高層ビルや浮遊型都市なども存在せず、あくまでも星そのものの自然が生かされている。そのため他惑星と違って空気が澄んでおり、夜になれば満天の星空とジキルとハイドの2つの衛星、宇宙に漂う港宙用の人工衛星が輝いており、美しい夜空を眺めることが出来るのだ。さらに冬になれば極光が現れることもあり、セルヤマの夜は暗闇になれど輝きを失うことはないと言われていた。
タクミが孤児院に帰ったのは満天の星空が輝く夜も更けた時間だった。
「おぉ! タクミ! こんな時間までどこに!」
先を歩いていたタクミを見つけたらしい僧官の1人が安堵の顔を浮かべて歩み寄ってくる。しかし、その僧官の表情はタクミの背後を歩いていたシャインともう1人の姿を捉えるとみるみるうちに青褪めていった。
「シャシャシャシャ、シャイン殿! ここここれは!」
「あ? 何? 何か文句あんの?」
その暴君ともとれる一言と彼女の眼光によって僧官は何も言えずに委縮する。
「ごちゃごちゃ言ってないでバケツに水入れて持ってきて」
「え?」
「……アタシ今ムカついてんの。2回も言わせないでくれる?」
ギロリと睨みつけるシャインの鋭すぎる視線に僧官は恐怖に満ちた表情で「はひっ!」と返事をして駆け足で水場に向かっていった。
シャインはそれ以上は何も告げすにクロウを肩に抱えたまま歩を進めると、その異変に気付いた僧官連中は皆一様に青褪めた表情を浮かべながら集まってきた。
孤児院にようやく帰還したシャインは教会のエントランスにクロウを乱雑に放り投げる。床に転げ落ちたクロウは気が付くことなく目が×状態で気を失っていた。その光景を階段の踊り場から眺めていた司祭は今朝以上に悲観した表情を浮かべながらクロウに走り寄った。
「シャイン様!! 何という事を!! こ、これは虐待ですぞ!」
「あぁ? アンタも同じ目に遭わせてあげようか?」
「くッ……こ、この件は記録簿に記載させていただきますぞ!!」
「……ハァーッ?」
怒り過ぎて悪魔の様に微笑むシャインに司祭をはじめとした僧官らは身震いする。そんな僧官らは怒りと恐怖に満ちた表情とは対照的に、その光景を見ていたタクミは吐き捨てるように告げた。
「仕方がない。自業自得だよ。大体何がとっておきの逃げる手段だよ。全部読まれて自滅してばかりじゃないか」
眠りこけるクロウを睨みつけていたタクミだったが、シャインは表情筋を痙攣させながら彼の肩にそっと手を置いた。
「アンタも同罪でしょうが。それとも忘れたっての?」
「あぅ……ご、ごめんなさい」
タクミは身体を竦ませて肩を震わせると、シャインはドギマギする僧官連中を見回した。どいつもこいつも男の癖に怯えるばかりで、周囲をキョロキョロと見回している。その情けないビビり方はシャインをさらに苛立たせた。
「司祭さんよぉ!!!!」
「は、はひ!!」
シャインが怒りを込めた声で呼びつけると、司祭は体をビクつかせる。そんな司祭にシャインはその小さい身体から想像できない程の威圧感を醸し出しながら詰め寄ると、司祭は思わず尻もちを付いた。
「さっき記録簿に残すって言ってたけどね? せいぜい残しなよ。何でアタシがこのバカをボコしたか。このバカが誰の目ェ掻い潜って脱走したのかってことをねぇ!!」
「あぅ……は、はひ、その、それは」
神栄教の勢いに押され最早その規模はセルヤマ以外ではごく一部しか浸透していないタルゲリ教がここで更なる不祥事を出すことは何としても避けなければならない事なのだ。
完全に弱みに付け込まれながらも論破された司祭は情けない声を上げるしかなかった。周囲の僧官らはこれでほとぼりが冷めるかと思っていたが、その安堵を見逃さなかったシャインは更なる怒りを叫んだ。
「何安心してんのよこのボケナス共!! アンタらもね! 大の大人がガキ1人逃がすは見つけられないってどうなってんの!? さっきからナヨナヨしやがってさぁ!! それでも金玉付いてんの!? 大好きなメーア様も流石にアンタ達みたいな軟弱野郎に向けんのは微笑みじゃなくて苦笑ってなもんよ!!」
まるで龍の如き巨大なオーラと下品な毒舌によって、タクミに限らず僧官等は蛇に睨まれた蛙のごとく固まる。特に僧官たちにとっては信仰する女神メーアに苦笑されるという言葉はズッシリと効いたらしく、彼らは今にも泣きだしそうな表情をしていた。
「あ、あの……シャイン様」
重苦しい沈黙の中で先程の僧官がバケツを抱えながら恐る恐る声を上げる。シャインはその僧官に気が付くと無言でバケツを奪い取り、まるで叩きつけるようにクロウの顔面めがけて水をぶっかけた!
激しく叩きつけられた水はまるで破裂音のような音を立てる。そしてその水を叩きつけられた対象……クロウはまるで溺れたように口から水を吐き出しながら飛び上がった!
「ぶはっ!! こ、このババア! 殺す気かっ!!」
目が覚めて早々に暴言を吐くクロウに対して、シャインは再び目を吊り上げながら彼の胸倉を掴んで起こし上げた!
「あ゛ぁん!? だれがクソババアだ!?」
あまりの形相にクロウは一瞬面食らうが、それでも反骨精神が上回りさらにシャインに噛みついた!
「クソは言ってねぇよ! ウンコババァ!」
「キェェェェェッ!!」
クロウの頭上にシャインの拳が落ちる。その威力を証明するかのように激しい衝撃音が響き渡り、その場にいた誰もが目を背けた。
クリティカルヒットのような拳骨を食らったクロウはフラフラしながらも何とか意識を保ち、両手で頭頂部を抑えてしゃがみこんだ。
「い、痛ってぇんだよ! 何でもかんでも殴りやがって! オメェにはラブ&ピースの精神とかコンプライアンス問題とかねぇのか!」
未だ口の減らないクロウにシャインは怒りの微笑みを浮かべながら歩み寄ると左手で彼の胸倉を掴み持ち上げる。そして再び右拳を握り締め「はぁーっ」と息を吹きかけた。
「覚えたての言葉使って大人ぶってんじゃねぇわよクソガキ! もう一発くれてやろうかっ!」
「グググ! テメェいつか絶対泣かしてやる!」
シャインの一挙手一投足にクロウは恐怖と屈辱が入り混じったような表情で歯を食いしばる。その光景は猛獣使いと猛獣、もしくは凶悪な姉と反抗期の弟だった。
「ほぉーまだそんな口叩く? はいはい。よーく分かったわ」
シャインはクロウの胸倉を掴んだまま片手でヒョイと持ち上げる。宙ぶらりんになるクロウは無駄なことに抗おうとしているのかジタバタしながら叫んだ。
「なななんだよ! どこ連れて行く気だ!」
狼狽するクロウにシャインはまるで悪魔のように彼に微笑む。
「明日と明後日は休みだからねぇ~? 今日は一晩中可愛がってやるよぉ? ……折檻の時間じゃぁぁぁぁ!」
「テ、テメェ! 公然と児童虐待を口走ってんじゃねぇ! お、おい僧官ども! お、俺を助けろっ!」
「いくら叫んだって誰も来やしないわよ~? 仮に来たとしたら……ソイツも折檻じゃぁッ! ……タクミィッ!!」
まるで透明人間のように気配を消し、その場からこっそりと逃げ出そうとしていたタクミをシャインは見逃すはずがなかった。彼女に名を呼ばれたタクミは絵にかいたような抜き足差し足の体制からビクッと体を震わせ固まっている。
「どこ行くのよ? まぁ行ってもいいよ? 後でどうなってもいいならね? 利口なアンタならこの後どうすればいいか分かるよね? それとも分かんないんなら徹底して教えてあげようか?」
「……ハイ」
タクミは全てを悟ったかのような、もしくは何もかも諦めたかのような無の表情でシャインの後ろに付き従う。
呆然とする僧官たちを尻目にシャインは暴れるクロウを右肩に抱え項垂れるタクミを引き連れながら離れの館へと歩を進めた。
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離れの館とは言いようで、そこは所謂物置に過ぎなかった。元々は動物を囲う小屋だったらしいが、今では古い書物や季節ごとのイベントで使用する飾りやオーナメントが置かれている。他にも来客イベント用に出される簡易的なエアチェア[わずかに浮く椅子]なども片付けられており、シャインはその1つに尊大な態度で腰を下ろしていた。
「んで? どーするわけ?」
シャインはふんぞり返りながら足を組みかえる。人によればセクシーなポーズなのだろうが、童女の彼女がそんな体制になっても子供が粋がっているようにしか見えなかった。
「何がだよ? 決まってんだろ? なぁタクミ?」
シャインの正面で胡坐をかいていたクロウは隣で正座するタクミへ顔を振ると、彼はどこか遠い目をしていた。
「よく考えたら僕……逃げる必要なかったんだよね……何で君に着いて行っちゃったんだろう……?」
自問自答するように茫然としながら呟くタクミを見たクロウは彼とは対照的にどこ吹く風でケラケラ笑った。
「カカカ! 連れねぇこと言うなよ? ダチだろ?」
クロウは何食わぬ顔でそう告げてタクミの肩に手を回す。するとタクミは視線だけをクロウに向けると表情を動かすことなく口を開いた。
「悪友だよね」
「何しょげてんだよ? あ、分かった! 安心しろ。女虐める野郎なんて俺がぶっ飛ばしてやるぜ?」
「え? 何でそんな話になるんだい?」
「? オメェの事だから俺が明日負けんじゃねぇかって心配してんだろ? 大丈夫! ぜってぇ負けねぇよ!」
「うん。全くそんな心配はしてないよね。というかそんな顔でよくそんな大見え切れるよね」
顔はボコボコに腫れあがらせながら胸を張るクロウにタクミは呆れたように溜息をつく。この教会の離れに着きシャインが宣言通りお仕置きと称した折檻を行ったという動かぬ証拠である。
クロウは傷だらけの癖に胡坐をかきながら腕を組むという偉そうな態度のまま胸を張る。そして自信に満ちた声で見えない未来予想図を宣言した。
「とりあえず勝負は明日だ。ビスマルクの野郎は俺がぶっ飛ばす」
まるで決定事項の様に彼はそう告げるがシャインは首を鳴らしながら面倒くさそうに尋ねてやった。
「だから、アタシもタクミもどうやってぶっ飛ばすんだって聞いてんでしょ?」
首を鳴らし終えて頬杖をつくシャインに、クロウは呆れ返し言わんばかりに肩をすくめながら挑発するように笑った。
「カァーッ!? 分かんねぇ奴らだな! んなもん気合だ気合! いいか? 喧嘩ってのは負けを認めなきゃ勝ちなんだよ。俺はどれだけやられても負けは認めねぇ。喧嘩ってのはそういうもんだ」
高説によって拍手喝采を浴びるかのようにクロウは胸を張る。しかし目の前のシャインは真っ当な答えを期待した自分を恥じるかのように溜息をついていた。
「ハァ~……何でそう弱っちい癖に喧嘩っ早いかね? もう少し自分の身の丈にあった正義を振りかざしなよ」
「あぁ? うっせぇな。んじゃなんだ? オメェは本取られて困ってる奴がいたら素通りか?」
シャインが納得しないこと、そして彼女が言う身の丈という言葉にクロウは苛立ちを露にする。そんな口の減らないクロウにシャインはゆっくりと立ち上がると、まるで諭すかのようにクロウに歩み寄る。
「あのねクロウ。アンタが言う善悪の判断は間違ってないと思うよ? そんでもってその悪を見過さないのも立派なもんよ」
珍しく褒めてくれるシャインにクロウは一転して上機嫌に「うん、うん」と頷く。対照的にシャインは真面目な表情から徐々に目を吊り上げていった。
「だからってね……血闘だなんて10年早いんだよバカ!」
シャインはクロウの眼前に立つとノーモーションから右拳を彼の頭に振り下ろした。本日何度目かも分からない打撃音が室内に響き渡ると、例のごとくタクミは顔を顰めクロウは両手で頭頂部を抑え込んだ。
「イッッテェェなぁっ! 何なんだ!? オメェは会話の度に殴らねぇと発作でも起こすのか!」
「このボケナス! 子供の喧嘩だと思って大目に見てりゃバカなことしやがって! アンタ血闘ってどういうもんか分かってんの!?」
血闘法……それは帝国法で定められた唯一の殺人許可法である。
帝国法第98358条
帝国内において12歳以上の2名同士の中で正当性を証明する際に用いる。
立会人は5名以上その中に中立の人物を1名以上有することを条件とする。
戦いの手段、勝敗については双方同意のもとに行う。
双方の同意が認められた場合、衛星端末等で申請することとする。
血闘の過程、結果には何人たりとも介入することを禁ずる。
(帝国法全書より)
このご時世で血闘を行う者などいない。というよりも、この血闘法とは10万以上ある帝国法の中で存在さえ忘れ去られた法律でもある。現にここ数百年で血闘法を使用した帝国民など存在しないのだ。
まさかこんなカビの生えたような法律を持ち出すことなどクロウに出来るはずもない。そうなれば今回の件を引き起こしたのはたった1人である。シャインはそう確信しながらタクミの方に振り返った。
「アンタはどういうつもりで血闘させようと思ったわけ?」
話を振られたタクミはバツが悪そうに、そして彼自身も何故このようなことをしてしまったのか分からないといった表情で首を傾げた。
「いや、その……あの時はシャインさんが来ることに怯え切ってて……」
「何で怯えんのよ?」
「え? 自覚無いんですか?」
「あぁ?」
「あ、いやとにかく急いでて……ダンジョウをあの場所からさっさと連れ帰らなきゃって思って、こういえば引くかと……」
タクミはまるでついた嘘が本当になって焦るように戸惑うような怯えたような表情を浮かべていた。
ちなみにダンジョウとはクロウの本名である。この名前は僧官連中さえも知らないシャインとタクミにだけ教えられていた事実である。事の重大さをタクミも理解しているのか、タクミがクロウを本名で呼ぶのはこの3人だけの時に限った時で、それ以外では二人称で呼ぶように心がけているようだった。
話は戻り、シャインは呆れたように、そして信用しているタクミの浅はかさを嘆くかのように頭を掻きむしった。
「あのね。このバカが嗾けられて引くわけないでしょ? バカなんだから。ったく、ヒカルさんはいつも冷静よ? 少しは母親を見習いなさい」
その言葉にタクミは唇を研がらせる。彼なりに言いたいことがあるだろうが、図星の面もあるため何も言えないのだろう。そんなこととは知らずにクロウは先程とは違った雰囲気でシャインに突っかかった。
「おい。タクミは良かれと思ってやってんだ。ケチ付けんじゃねぇ。それと親と比較すんのも気に入らねぇ。タクミはタクミなんだからヒカルのおばちゃんとは違って当たり前だろうが。あともうひとつ……さっきから俺の事ずっとバカって言ってんだろ!」
「その通りだよバカ! 黙ってろバカ!」
「バカバカ言うんじゃなぇ! 大体もう済んだことをウジウジ言ってんじゃねぇよ! 男らしくねぇぞ!」
「アタシは女だよ! っていうか何で弱っちいアンタが代表して喧嘩すんのよ!」
「この地区の連中が俺を慕ってくれてるからだろうが! 何よりも俺は自由と平穏っていう俺自身の野望のために戦うんだよ!」
クロウは純真な深紅の瞳で立ち上がる。彼は自分が利口ではないことは分かっている。だが、どのみち時が来ればビスマルクとの対決は避けられないと分かっていた。
陸続きのこのセルヤマ星で、ビスマルクは多くの地区をすでに手中に収めている。もしもこのティアール地区に来たら誰かが何とかしなければならないのだ。今回の件に限った話ではなく、もしもの時は誰もが何故かクロウを頼ってくる。恐らく彼の真っすぐな信念と正義感が何かを期待させてしまうのだろう。
ビスマルクを止める役がクロウに務まるかどうかは分からない。しかし周りから頼られ自由と平穏を守るという信念を持つクロウは逃げることなどできないのだ。クロウはツカツカとシャインに歩み寄ると胸を張りながら偉そうに胸を張った。
「とにかくだ! 明日は負けるわけにはいかねぇ! シャイン! オメェは俺の為に何かその、こう、必殺技みてぇなもんを教えろ!」
「一朝一夕で覚えられるわけないでしょ! というかそれが教わる態度か!」
「やってみなきゃわかんねぇだろ! オラ! 頼むからよ! 教えやがってください!」
「んな敬語ねぇんだよバカ!」
額をすり合わせて唸り声を上げる2人を見ていたタクミはゆっくり立ち上がる。そしてどこか腹を括ったかのように2人の肩を叩いた。
「シャインさん。僕からも頼むよ。ダンジョウに何か教えてあげてほしい」
思いがけない親友の援護にクロウは目を燦燦と輝かせた。
「おぉ! いいぞタクミ! もっと言ってやれ!」
「相手は長身で腕っぷしも強い。こう言っちゃなんだけど、子供には子供の世界があるんだ。何より僕は個人的にダンジョウが負ける姿は見たくないよ」
「よく言ったタクミ! さすが俺のダチだ!」
「もうこうなったらとことん君に付き合うよ」
勝手に友情を育むバカな弟2人を見てシャインは困り果てたようにその場に座り込んだ。
惑星でもない準惑星で子供同士の喧嘩の指導を行う。それがかつて反皇族思想を持つテロリストを壊滅させ、数万の部下を率いていたシャインの現実だった。




