第4話『ヒーローはやってきた』
【星間連合帝国 準惑星セルヤマ ティアール地区 街道】
「……あ……………………………………暑い……」
フィーネはいつのまにか自身の顔が汗にまみれていることに気が付いた。
炎天下の中で本を読みながら歩いていた彼女は思いのほか古代文字の翻訳ができることに歓喜し、歩くことをやめて道端に座り込んで本を読んでいたのだ。
そこまではよかったのだが、問題はセルヤマが夏真っ盛りだったことだ。現地の人からすれば暖かくなってきた程度の気温だろうが、雪国生まれのフィーネにとっては灼熱気温に相違なかった。その証拠ともいえる膨大な汗がフィーネの額から滴り、本に一滴垂れ落ちた。
フィーネは慌てて額の汗を拭うが、その拭った腕には額からなのか腕からなのか分からないほどの量の汗が付着していた。
「……やっぱり家の中で読んだ方が効率的かな」
フィーネは今更になって当たり前のことを呟くと、大きなハードカバーを閉じて両手で抱え込み「よっ」と声を出して立ち上がる。
ハードカバーの中に書いてある古代神話は女神メーアの話であり、彼女が三賢者とともに海陽爆発を防いだという伝説を描いていた。孤独な幼少期を過ごしたメーアにとって三賢者は数少ない理解者であり、特に心の賢者シエルは彼女にとってヒーローのような存在だったらしい。それがこの僅かな時間で読み解いた彼女の成果である。
物語の中身はフィーネの年頃の女子ならば時を忘れてしまうほどに憧れるような内容でもあった。それと引き換えに汗だくになってしまったがフィーネはどこか爽快感を感じていた。
「(こんな汗だくになっちゃったのは、私のせいじゃなくてこの本が魅力的すぎるからだよね……って、魅力的すぎだって安い恋愛小説の一説じゃないんだから)」
自身の癖でもある責任転嫁に思わず小さく笑ってしまう。
吹き出した汗のせいで首や肩に髪がまとわりつく。フィーネは帽子を一度取ってウェーブ掛かった髪を束ねると、乾いた風が解放された首筋に降りかかった。その心地よさは今までに味わったことのないような快感だった。
「……ホッ」
風を感じながらフィーネは草木に包まれた道端から簡素に整備された砂利道にでると再び帽子をかぶって家路につく。進行方向からは再び湿った風がそそぎ彼女は思わずそっと目を閉じた。
そんな矢先、全身で感じる風の中にフィーネは妙な気配が入り混じっていることに気が付いた。それは嫌な予感と言ってもいい。彼女は恐る恐るゆっくりと目を開けると進行方向から恐らく同世代であろう少年たちが歩いてくる姿が小さく映った。
「(……見ない顔だな)」
この地に引っ越してきて日が浅い彼女にとってみれば知らない顔があっても不思議なことはない。それでも見た目で近づいていい人間と近づかない方がいい人間は区別できるものだ。そんなフィーネから見て目の前に近づきつつある少年らは明らかに後者だった。
少年らに道を譲ろうとフィーネは右側通行に切り替える。しかし目の前の少年等は彼女の正面にズレて進んでくる。フィーネは再び左側通行に切り替えるが、再び少年らは彼女の正面に躍り出てくる。このいたちごっこが終焉を迎えたのは両者の距離が目前に迫った時だった。
「おぉ。た、確かにセルヤマにはいないタイプだな」
少年等の色めく声が響き渡る。すると代表者と思しき少年がフィーネの前に躍り出た。
「あのさ。俺たちと遊ばない?」
絵にかいたような言葉の羅列にフィーネは少し笑いをこらえる。こういう陳腐なセリフを言うのは三下と相場が決まっているのだ。彼らは自らの価値を自らの言動で下げていることに何故気付かないのかと不思議に思うくらいだった。
「あ、お構いなく」
フィーネはそっけなくそう告げて通り過ぎようとするが、彼らは回り込みながら嘆願するように言い続けた。
「あの、本当ちょっとでいいから……」
「すいません。急いでるんで」
次は少し語気に怒りを込めてそう告げる。彼らも羞恥心があるのだろう。それも加味してか少年らは少したじろぎながら口ごもる。すると、その背後から大きな影が浮かび上がった。
「何しちょる。キサン等は女子との話し方も分からんのか」
大きな影から低い声が唸る。その影の正体を見て、フィーネはさすがに息を呑んだ。エアバイクに乗っていたらしく気付かなかったが、立ち上がった声の主はフィーネはおろか周囲の少年らと比較しても頭一つ抜きんでた長身だったのだ。
今まで見たことがないような衝撃にフィーネは固まっていた。おかげで洞察力の鋭い彼女が見落とすはずがないであろう、少年が乗っていたエアバイクに張られた『児童用』のステッカーに視線が届くこともなくフィーネはただ茫然と少年の顔を見上げていた。
まるで草原の中に突如現れた大木と言わんばかりの青い肌をした少年は、頭一つ以上下回る少年らを押しのけて雄大な動きで前に出ると、血走りギラついた金色の目を光らせながらフィーネの前に躍り出た。
フィーネはあまりに突然の出来事にただ黙って息を呑むことしかできない。恐らく時間としてはほんの僅かだったのだろうが、その大きな少年に見下ろされている瞬間、フィーネはまるで被食者のように縮こまるしかなかった。
海陽の光が逆光になっているせいで少年の顔はいまいち確認できない。
その陰に埋もれた少年はややあってようやく口を開いた。
「よよ良い天気……ですねぇ」
「は?」
唐突な会話にフィーネは思わず疑問符を浮かべる。しかし目の前の少年はたどたどしく続けた。
「い、いやぁ。あ、あふ、あとぅ、暑い、ですよねぇ? そ、その、どうです? こ、このたとお茶でも?」
吃音と噛み噛みの言葉にフィーネはますます呆然とする。どうやらこれはこの少年なりのナンパのようなものなのかもしれない。海陽が少し傾き逆光が薄れたおかげで、少年の顔が露になる。そこには明らかに狼狽した同世代の男の子の顔があった。
「す、すぎゅそこに、よよ良いぷん囲気のお店が……」
「ですから。行きません」
明らかにオドオドした少年を見て一気に強気になったフィーネは再び語気を強める。そして少年を横切って足早に去ろうとすると三度他の少年らが彼女の前に立ちはだかった。
「そ、そんなこと言わないでさ。うちのリーダーと遊んであげてよ?」
「30……15……いやもう5分でいいから!」
どこか必死な形相で嘆願する姿を見ると、恐らくこの三下少年らは無理矢理この長身の少年に連れてこられただけなのようだった。恐らくフィーネが知らないところで、男子児童同士の上下関係や服従関係が存在するのかもしれない。
「っごご御本がががしゅ、趣味なんで、すかな?」
へこたれることなく歩み寄ってくる長身の少年は息を荒げながらフィーネに歩み寄ると彼女の持つ本に手を伸ばす。フィーネは本を抱えながら後ずさりしようとするが、背後に立っていた三下少年たちによって退路は断たれていた。
「みみみ見せてくださいよ? いいいいいい一緒しょしょにに! よよ読みまっそゆ?」
何とか本を守ろうとフィーネは力を込めるが、その体格差から当然のように少年との間には大きな力の差があった。
両手で抱えるように本を守っていたフィーネに対し、少年は片手でハードカバーを掴み、あっさりと本を奪い去った瞬間だった――。
「げふっ!!」
長身の少年は横から飛んできた何かに突き飛ばされ、フィーネの本を持ったまま地面に横転した。
「あっ! え、えぇとリ、リーダー!」
三下少年らが一応の忠誠心を見せるかのように駆け寄る。フィーネはというと目の前にいた少年が急に吹っ飛ぶという不可解な現象を目の当たりにして腰が抜けていた。
フィーネは混乱する頭を整理しようと試みる中、聞きなれない声が耳に届いた。
「テメェ……女にまで手ェ出すクズ野郎だったとはな」
フィーネは声の方に振り返る。そこには輝く海陽を背にした深紅の瞳を持つ少年が立っていた。
誰もが呆然とする中、現れた赤瞳の少年の背後には長身痩躯の少年と同様に青い肌をした肥満気味の少年が息を切らしながら走ってくるのが見える。
「到着早々279回目の嘘をついたな! 何が全員日々平穏だっ!」
深紅の瞳の少年に追いついた肥満気味少年は、ゼェゼェ息を荒げながらそう叫ぶ。しかし深紅の瞳の少年は不敵な微笑みを返し、威風堂々とした……まるでヒーローのように立っているだけだった。
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ビスマルク・オコナーという少年にはB.I.S値において体力値はAランクという高数値を出した事実があった。
それに加えて体格にも恵まれた彼は運動……そして喧嘩であれば同級生はおろか高等部の学生さえも圧倒する実力を持っていた。
その反面、ビスマルクはその身体能力と比例するかのように知能はDランクという知的障害の1つ手前の数値を出していたのも事実である。それは知力に優れたカルキノス星人では稀有な存在とも言えただろう。
ただビスマルクは決して勉学に対して無関心だった訳ではない。言葉の意味が理解できなければ、持ち前の体力を用いて実際に見たり聞いたり試すという彼なりのやり方で多くのことを理解してきたのだ。そして今彼が理解しようとして行動しているのが“支配”である。
ビスマルクは持ち前の腕っぷしの強さで周囲の同級生を制圧して支配下に置くことで、支配を経験し理解することができたのだ。
そして今日、彼は“不可解”という言葉の意味を理解した。
この隣地区の町に越してきたという文学美少女を探しにやって来て、その少女を見つけたまではよかった。しかし、意を決して彼女を遊びに誘った瞬間、頬に強烈な一撃を食らったのだ。
「この地区も取りに来たって訳か?」
尻餅を付くビスマルクが見上げた少年はどこか威厳のあるオーラを放っていた。
その深紅の瞳から放たれる意志の強さにビスマルクは少したじろぎそうになったが、子分たちの手前もありいつもの威勢で跳ね返した。
「ほーう? オラをビスマルク・オコナーって分かって喧嘩売るんかい」
ビスマルクは出来うる威圧感を最大限に発揮してゆっくりと立ち上がるが、少年は全く意に介さないように不敵に笑っていた。
「オメェがくたばる準備が出来たら売ってやるよ」
「クックック! 面白いのう!」
2人の間に火花が飛び散る。元々ビスマルクはこの地区に興味などなかったが、このような状況になれば話は別だ。何よりもこの現状を子分たちは息を呑んで見守っている。子分たちの手前という小さな理由で彼はこの地区を自らの傘下に入れることを決定した。




