第二十三話 北方より到来する怒蝿
前回、創り変える顕現
ゆらりと、再び立ち上がる少女の姿に、アルディは瞠目する。
致命傷だ。腹部に幾つもの風穴が空き、全身の骨はあらぬ方向に曲がっている。一部は皮膚を突き破り外に出ている。
出血死のラインをとうに超えている。彼女は死に体、生きている方がおかしいくらいだ。
再生はしない。不死性も通用しない。それはアルディの意思と力によるもの。死ねといったのだから早く死ね。それは再生力と不死を貫通してダメージを与える。
だが限界を超えて彼女は立ち上がる。子鹿のように足は震え、口から血を吐き出してなお、その目は不屈を訴える。
死の領域を超越しているわけではない。美羽は意思の力で動かせない身体を動かしているだけ。
(・・・・・あと一発、それで今度こそ眠らせてあげよう)
その姿を見たアルディは、勝利を望む生存欲ではなく、慈悲の心で殺すと決めた。
申し訳ないことをした。念入りに殺そうとしたのに、立ち上がらせる気力を残してしまうとは。
次で終わりだ。その頭部を粉砕し、それでも動くのなら心臓を砕き、四肢をへし折って終わらせる。
だが美羽の行動は、アルディから一切の余裕をかき消した。
「ん?」
変化は美羽の右腕。その手の内。
最初は小さく、徐々に大きく、そこに黒い球体が形成される。
螺旋のように渦を巻き、嵐のように爆ぜ起こる。
アルディでさえ見たことのない神代の文字が、黒球を内と外から構成する。
あらゆる負と怨嗟と絶望が合わさってできたそれは、呪いの塊だった。
あるいは地獄か。直視することすら憚られる程の負の塊。
わずか15㎝ほどの大きさの球体。
だが漏れ出した一滴ほどの瘴気。それだけで縄張り内の全てが漆黒に穢されていく。
今まで美羽の顕現を見てきたアルディ。最大の破壊力を発揮するEl Diablo Cojueloや理を破壊する黒脚にも耐え抜いた彼。
その彼をして、あれは駄目だと即座に悟った。
咎人として数々の顕現を目にしてきたアルディだが、あれは群を抜いて危険だ。
これまでとは別次元の力。それを美羽は手にしている。
(窮地に追い込まれ覚悟を決めて、新たな顕現が発現した、と)
美羽が新しい武器を手に入れたところで、どのみちアルディのすることは変わらない。
倒して勝つ。たったそれだけのこと。
無言で構える両者。
黒球は膨張と収縮を際限なく繰り返し、生まれたばかりの赤子ですら吐き気を催すほどの胎動を繰り返す。
アルディはその黒球に目を奪われながら、風と共に流れてきた美羽の声を聞いた。
「次で、終わります」
「ああ。そのようだ」
今日は色々あった。日記にでも書けば10ページは軽く埋まりそうなくらい色々と。
だがこれをもって幕を引こう。
同時にスタートする美羽とアルディ。
だがアルディの方が早い。莫大に膨張した彼の霊格は死に体の美羽を軽く上回る。
美羽もそれは分かっている。だから掌にある黒球を、彼が来るであろうタイミングに合わせて放つ。
そのタイミングは直感が教えてくれた。
「ッ!!!」
アルディの疾走に合わせ、鼻先に繰り出された呪いの顕現。
このまま走れば直撃。そうなれば死は確定。
だが、アルディは止まらなかった。
美羽は掌に形成した黒球をアルディに向かって突き出す。
しかし、腕に何かが絡みつく感触があった。
それは糸。アルディの意思の元に動く金剛糸。
右腕の肩口に絡まった糸がアルディに引っ張られ、その肉体を切り裂く。
結果、黒球を発動していた右腕が、肩から切り落とされた。
「――――」
最後の希望が途絶え、唖然とした顔をする美羽。
腕から大量の血を流し、切り取られた右腕は宙を舞う。
(勝った! 勝った!!!
おそらく新たな顕現は単発型。それは一回使うのに一々顕現を発動させなければならない。
一発しか弾を込められない銃のようなものだ。弾を込める間は、当然隙をさらすことになる)
嬉々として、心のどこかで胸を撫で下ろして、今度こそ頭部を粉砕しようと右手に力を込めるアルディ。
しかし、その一瞬前に。
ピタッと、美羽の左手がアルディの胴体に触れた。
右手は囮。アルディと同様に注意を一点に集中させて、その隙に本命を叩き込む。
目を下ろすアルディ。美羽は至近距離でそれを唱えた。
「顕現 不浄なる蝿王」
そして、球体が爆発的に膨張した。
あっという間に黒はアルディを包み込み、一種の封印のように内部からの脱出を防ぐ。
その中は、
「なっ、ぐ、ガアアアアアアアアアアアアアァァァァァァァァァァァァァァァァァァァ!!!!!」
呪いだ。呪いだった。
世界に存在する、全ての呪いを極限まで凝縮すればこうなるのだろうか。
熱い、冷たい、痛い、苦しい、イタイイタイイタイイタイイタイイタイ!!!
この世の苦痛の全てを足しても全く及ばない呪い。発狂死するほどの辛苦と痛痒が襲う。
清らかなもの一切を穢し、着弾地点を地獄と化す爆弾。
魂が朽ちる。命が消し飛ぶ。アルディという存在事態が木っ端微塵に砕かれる。
身体が素粒子よりも細かく分解していく。死が身体を蝕み、徐々に、確実にアルディが消滅する。
これを前に硬度も強度も関係ない。
天井知らずに上昇し続ける熱。絶対温度を超えてなお下回り続ける熱。相反する極温を一手に束ね、現実を破壊しながら世界を呪う。
呪う、呪う、呪い続ける。全ての呪いを収束し放たれた黒の塊は、対象に速やかな死滅を命令する。
終わる。超高温と極低温の中で、アルディの全てが終わっていく。
「く、ぅ、ああああぁあぁぁぁぁ!!!」
自らを構成する全ての要素が滅びを迎えるなか、それでもなおアルディは美羽に手を伸ばす。
暴威を振るう黒球。その暗黒をかき分けて、外にいる美羽へ。
攻撃のためではなかった。その手は美羽の頬を、まるで骨董品に触れるかのように優しく撫でる。
美羽は戸惑いながらも、それを拒絶することはなかった。ただ、アルディの目を見ていた。
もう感じなくなった体温。柔肌の感触。
命が尽きるその前に、今までの全てを思い返し、ただ一言、
「残、念だ」
苦痛による悲鳴ではない、透き通った声。
アルディの全てを破壊し尽くした黒球は、最後0に収縮し、内部にある全てを押し潰した。
時空ごと壊滅したせいで、黒球が炸裂した場所に大きな穴が空いている。
だが、直に塞がるだろう。
縄張りが崩壊を始める。亀裂が走り、地鳴りのような音がする。
主が死んだのだ。一蓮托生の運命である縄張りも滅びる。
「終わ、った」
小さく呟いて、自らと同化した巨大な魂を確かめる。
死力の全てを使い果たして、美羽はその場を立ち去る。
壊れゆく縄張り。空間に亀裂が走り、亀裂の中から赤い世界が見える。
足を引きずりながら亀裂を目指して縄張りを脱出する美羽。
血を撒き散らしたような匂いと色。
赤と黒が支配する世界で、異なる色があった。
それは小さな光で、けれど強く輝いていて。
親友の蛍の姿が、そこにはあった。
「美羽」
その言葉を聞いて、今度こそ力が全て抜け落ちた。
崩れ落ちる私を、蛍が慌てて抱きしめる。
蛍の血の臭い。体温。そして鼓動が聞こえる。
全身に刻まれた傷跡から、激戦を繰り広げたことが容易に想像できる。
それなのに来てくれたの?
口を動かしても言葉に出来ず、なぜか笑ってしまった。
お互い血塗れ。生きているのかどうかすら怪しい体たらく。
けど、また蛍に会えた。
瞼が重く、眠りそうになりながら、親友を抱きしめ返す。
「お疲れ様、蛍」
「うん。帰ろう、桃花に」
二人でなんとか立ち上がり、帰還の魔術を唱える。
溢れる光の向こう側へ足を踏み込む。
そこには皆待っていた。
桃花に戻った二人には、当然ながらアラディアさんによる治療が待っていた。
二人ともボロボロ。本来数ヶ月は病院内で絶対安静を言い渡されるのに、それをほんの数秒で治してしまったアラディアさんはなんなのだろう?
そして、治療と同時に二人に渡されたのは、
「・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・あの、これ、なんですか?」
杯。金で作られているのではないかと見間違う程、その容器は光輝いている。
光を反射し、至る所に宝石が散りばめられている。絶対に高い。見ただけで分かる。
そして問題は杯の中身。
虹色で、流動性があり、見る角度によって色が変わる不思議な液体が入っている。
それを二人は飲み物とは呼ばなかった。
どちらかといえば水銀に近いそれを、飲み物とは思いたくなかった。
「今日は順番からして俺がお前らに何か作る番でな。まあ、食べ物ではないことは気にするな。
それは液体にも固体にも変化するから飲み物兼食べ物みたいなもんだ」
自信満々に説明を始めるアラディアさん。
「東西南北、不老不死を求める神話や伝説なんてもんは腐るほどある。
水銀しかり、果実しかり、アムリタしかり、共通するのはどれも体内に入れるものだな」
それを聞いて、段々目の前の液体がどのようなものか想像できた。してしまった。
回復したばかりの二人の容態が悪くなる。
「俺がそれら伝説を切り取り、無駄なく合成し、貼り付け、煮沸し、抽出し、作り上げた、
いわば賢者の石を少しアレンジしたものだ。器は熾天使クラスの血で奇跡を宿す聖杯。
もちろん俺オリジナルだ。霊格が高くなればなるほど、その痕跡は奇跡や力を宿すからな」
したり顔で話すアラディアさん。しかし目はこちらをジーっと見ている。
遠くでは集先輩が申し訳なさそうにして、霞さんが必死で笑いをこらえている。
ああ、つまり、これは、その。
いつも通り、アラディアさんの実験に付き合わされると。
「全てお前ら二人のためを思って、丹精込めて作ったんだよ。
ほら、遠慮することはねぇぞ。ぐいっと飲め」
僕たちにかかるアラディアさんの圧力。
一切の逃げと否定を許さない眼力。
目をそらすように、改めて杯の中の液体を見る。
赤にも青にも金にも白にも色を変える不思議な物体。
オパールのような輝き。杯に負けず劣らず輝いている。
逡巡し、けど僕たちはそれを一気に飲み込んだ。
「――っ!」
舌に広がる、何ともいえない感触と味。
口内で固体と液体の中間のような感触に変わって、凝固と溶解を繰り返す。
まるで生き物を口に入れたようだ。食べた事がないけど、生きてるタコを丸ごと口に入れたらこうなるのかな?
味がまたなんともまあ。甘いとか辛いとか、既存の表現の斜め上を爆走している味がする。
口の中に新世界が広がっていると思う。比喩ではなくまじで。
そんな不思議物体が喉を通過する。トロリと、マグマのように静かに移動する液体。
喉を垂れるように、胃に到着する。
喉元過ぎれば熱さを忘れるという諺があるが、アラディアさんの前でそれは通用しないらしい。
胃に潜り込んだ”アラディアさん製賢者の石”は、胃液と混ざり合い激しくタップダンスを踊る。
やがて胃の中にあった液体が全身に広がっていくのを感じた。
内側から爆ぜそうになる。膨大なエネルギーが血と共に体中を駆け巡り、それに合わせて全身の機能が著しく働き始めた。
え?なんか身体が発光しはじめた。手から色んな光が出て綺麗・・・・・。
そんなこと言ってる場合じゃない!この現象の説明をしてくれるようアラディアさんに目で合図する。
僕たちの変化をニヤニヤしながら見ているアラディアさんの口が動く。
「錬金術っていうのは卑金属を金に変える方法って言われてるが、そんなもん副産物に過ぎん。
その真髄は自らの変性だ。自分をより完全な存在に到達させるのが錬金術の目的であり、賢者の石っていうのはその方法を指す。必ずしも物質である必要はないってことだ。
それこそが黄金錬成。不完全なものを完全なものに変える魔術。神に近づく術群の一つだよ」
つまり、今のこの状態は。
「お前らの霊格をさらに高めてる最中だ。
霊格の膨張で神性も増加するが、これはその手助け。
ほら、何もしなくても三次元から上昇していくだろ?」
「え、ちょっ、アラディアさんどうすれば!」
「そのまま昇華しちまえ」
「ええ!?」
慌てふためく二人を見て笑みをこぼす駄目な大人アラディア。
別の思考を使って、二人の現状を冷静に分析する。
(二人とも霊格の総量は増えた。もう主天使に収まってないな。
そんで蛍も新たな顕現が派生した。同格ともまともに戦えるようになったからまあいい。
美羽も二つ。なんか派生型のバーゲンセールみたいになってるな最近)
武器が増えるのはいいことだが、状況に応じて使い分けることができなければ木偶の剣だ。
2人がそれを使いこなせるようにトレーニングを追加しようと、アラディアは心に決めたのだった。
次回、アラディアちゃん襲来!
・・・・・つまりおまけです