第二十二話 暁の輝き
前回、まるで予定調和
同じ時、同じ層、同じ粛正機関を相手にしている二人の咎人。
驚愕の声は二人とも、まったく同じタイミングで発せられた。
「「なに!?」」
餓車にとって、その驚愕は当然のことだった。
今まさに自らの手で砕いた存在。輪廻の外側に叩き落とした蛍。
彼の顕現は絶無のそれ。触れれば有機物無機物、生者も死者も関係無しに滅ぼす必滅の力。
こと殺傷力に関しては破壊の顕現すら超える。これを食らったものは誰であろうと、強制的に輪廻から外される顕現。
格上ならともかく、同格までなら強制的に無に帰す拳。
それなのに、そうであるはずなのに!
無から刀身が現われる。それは空間を切り裂き、その隙間から人影が躍り出る。
その姿は、間違いなくさっき拳を叩き込んだ蛍だった。
「馬鹿な、貴様、なぜ」
動揺を隠しきれず、蛍にその理由を問う餓車。
だが蛍は答えない。もしくは答える余裕がないのか、手に持つ長刀を見つめている。
「ありえん!」
激昂した餓車は、再び仁王像の構えから拳を放つ。
蛍はそれを躱すことなく、必滅の一撃がその身体に叩き込まれる。
直撃。本来ならぐちゃぐちゃの死体が出来上がるはずだが、餓車の顕現により輪廻から外され、残骸の遺留すら残さない。
確実に入った。確実に通じた。
それを証拠に蛍の身体は消え失せた。輪廻から外れたのだ。
だが、
光が生じる。閃光が走る。
長剣が世界を切り裂く。
完全な無から復活し、再び大地に足をつける蛍。
「・・・・・・・・・」
一度までなら偶然。だが二度目は必然だ。
こんな現象は、これまでで初めてのこと。
未知の生物を見るかのように、餓車は動きを止めた。
「何だ、それは、その剣は」
この不可解な現象。間違いなく蛍が持っている長刀によるものだ。
長刀の柄。そこから蔦のように白い根が彼の右腕に絡みついている。
遠目から見れば、人体の一部が植物に浸蝕されている人間の姿がある。
腕と剣が一体となり、蛍はその右手で剣を構える。
「顕現 神の傲慢」
誰にも聞いたでもない。自分が名付けたわけでもない。
ただ、その名前を既に知っていた。
蛍が手にした新たな顕現。
いや、想造から派生したものか。
新たな形をとって産まれた僕の想念。その力は――
「砕け散れぇッ!!!」
ありえぬと、我が拳に砕けぬものはないと、僕を否定し拳を振るう餓車。
発生する暴風すら切り裂いて、輪廻破壊の拳が打ち込まれる
だが、それはもはや必殺になり得ない。
「おおぉぉぉぉぁぁぁぁああああ!!!」
拳に合わせて全霊を込めた剣を振るう。拳閃と剣閃は衝突し、大地に巨大な亀裂を刻む。
「ぬぅっ!」
「ぐぅっ、はあぁっ!」
激突の衝撃で痺れる手を無理矢理動かし、二発目を放つ。
対する餓車も即座に左手のアッパー。
再度ぶつかり合う拳と剣。
余波で大気が切り裂かれ、雷にも似た轟音が生じる。
「なぜだ?なぜ消えない!?俺の顕現を受けてなぜ・・・・・・」
輪廻から強制解放する絶無の理。有機物だろうが無機物だろうが適応されるそれを二発続けて食らって、しかしヘレル・ベン・サハルは折れない。砕けない。
なぜならそれは、
「始まりの創造、中間の維持、終わりの破壊。
これは創造行為を一瞬で終わらせる剣」
切った対象の、たどった歴史や記憶、経験や精神、果てには肉体や魂まで。
それを破壊、あるいは上書きし、新たな創造を開始する。差し込む。
新たな創造原理。その象徴。
「つまり、切断したものを再創造する顕現です」
強制的に輪廻から外されようが関係ない。
自らを創り直し、再び元に戻す。
具現型として派生した神の傲慢は、根っこの想いはそのままに、大元とは気色が違った。
それを証拠に、
「今僕が斬った手は、顕現が使えなくなっているはずです」
「!!?」
驚愕し自らの手に視線を落とす餓車。
彼からすればかすり傷程度の小さな切り傷がある。
その手を握り、近くにあった岩を殴りつける。
馬鹿げた膂力で粉砕され、宙に破片を散らす岩。
しかし消失しない。顕現が発動しない。
そこで確かに、餓車は自らの顕現が潰されたことを理解した。
そしてそれは、蛍の新たな顕現が同格にも通じるということで、蛍の想造の弱点を見事補えることを意味する。
低くうなり声を上げ、こちらを睨み付ける餓車。
その目には不可解さが八割、憐憫が二割混じっている。
「貴様は、それで良いのか?
先ほど無に還った時に、そのまま消えることもできたはずだ。
それを救いだと言う者もいる。俺がその筆頭だ。
貴様がこれから生きて、そして死んで、また繰り返す苦界を、それでも選ぶのか?」
「確かに、そうですね。
この世は無限に続く牢獄かもしれない。
永遠に苦痛や病が襲いかかって、大切な人との別れが何度も続く。嫌になるのも当然です」
生老病死、愛別離苦。
そこから解き放たれたいと願うことは当たり前だ。
だって辛いから、苦しいから。その不幸が重ければ重いほど、救いを求める気持ちも凝縮する。
「僕は貴方の言う救いを否定できません。
もし僕が貴方の立場なら、もう一度こんなことをできるかどうかはわかりませんから」
真実を知っている者と知らない者の差は、予想以上に開いている。
それだけで世界への認識は変わるだろうし、自らのあり方を変える可能性もある。
彼が輪廻を認識し、そこからの脱却を望んだように。
「けれど」
僕が思い浮かべたのは何よりも大切な親友。
自分なんか比較対象にもならない、最愛の彼女。
彼女に笑っていてほしい。幸せになってほしい。
そのために、
「僕は生きます。今度こそ、今度こそ誓いを果たす。
それまでは消えません。絶対に」
この時僕の魂は、過去最高の域で燃焼していた。
これが僕の真実だと、僕を構成する細胞の全てがそれを肯定できる。
「・・・・・・理解ができん」
僕の返答に、餓車は少しの沈黙の後にそう答えた。
当然だ。僕の決意も、彼から見れば輪廻の内側で起きる一事象に過ぎない。
牢獄の中で繋がれているのに、飯を与えられて嬉しがっているような奴隷のようなものか。
それに、主天使に至るまで自分の想念を高めた餓車だ。
今さら自分の想念を疑うなんて、できるわけがない。
「だが、決意は伝わった」
てっきり僕の決意表明で終わると思ったら、餓車は頷いて言葉を返した。
驚愕も憐憫もない、元々の重く低い声。
「それがお前の光であるなら、俺もまた否定はしない。
それこそが輪廻を超える光であるかもしれないな」
言って、餓車は自らの両腕に力を込める。
星を容易く握り潰す力の渦が双掌に集まり、やがて爆発したかのように爆ぜる。
血が噴き出る。手首から先を失った餓車の行為に、僕は一拍置いて納得した。
その断面から突き破るように、新たに手が生まれる。血塗れの赤子を思わせる手が開閉を繰り返し、やがて力強く握りしめる。
「確かに貴様は俺の手を書き換えたのだろう。
だがそれは新しく生まれた、いわば別のものには適応されないはずだ」
「・・・・そのようですね」
再び餓車の周囲の空気が死滅した。
双掌がある空間だけ消え失せたように色がなくなる。
絶無の顕現を発動できる。
神の傲慢を発動して早々に対処法が発見された。
仁王像の構えを取る餓車。
再び顕現を発動させたからといって、蛍にそれが効かないのは理解したはず。
それでもこの一撃に託すのは、蛍の想いを真っ向から上回るため。
創り変える?それで俺の顕現を攻略した?
ああ、なるほど。もっともだ。驚愕した、そのような方法で輪廻に再び戻ってくるとは思わなかった。
だがそれがどうしたという。
今度はさらに深く、そして完全に、お前を打ち砕く。
今よりも強く、主天使の域すら超える輝きを放てば、創り変える顕現ごと蛍を粉砕することも可能。
餓車の狙いはそれ。所詮蛍の顕現も通用するのは同格まで。
下層に匹敵する程の想念を真っ向から受けて、消滅しないはずがない。
自らの顕現に絶対の信仰をのせる餓車。
魂の奥底から湧き上がる想いはマグマのようで、その気に当てられただけで能天使程度なら肉体ごと消し飛びかねない。
「最後だ」
「はい」
死を宣告する餓車に、蛍は短い返事で返した。
それと同時に両者は走る。
前に。ただ前に。
時間を超越した彼らの疾走は、端から見れば一瞬であり永遠でもあった。
一歩で互いの射程内に入る。
眼下の蛍へ振り下ろされる餓車の剛拳。
空間ごと切り裂いて、煌めく蛍の神剣。
勝敗を決めるのは二人の想念。
拳が蛍に直撃し、剣が鬼を切り裂いた。
絶無の顕現と創り変える顕現。
全く同タイミングで発動する二つの顕現。
その勝者は、
「・・・・・・・・・誓いを果たすまで消えない、と言ったな」
「はい」
剣戟の末に、先に口を開いたのは餓車。
その言葉はどうしようない愚か者に対するもので、同時にかすかな光を見つけたものでもあった。
「なら貫いて見せろ。
お前の、生き様を」
「分かりました」
蛍の承諾に、餓車の身体が綻んだ。
全身が光の粒子となって、その形が失われていく。
ヘレル・ベン・サハルによって新しく創り変えられた餓車は、発生と同時に終わりをもたらされた。
あらゆるものは必ず滅びるように、いずれ訪れるであろうそれを今発現させる。
やがて粒子の一欠片が風に乗ってどこかに消える。
始まる縄張りの崩壊。そして蛍と同化する餓車の魂。
全感覚がさらに鋭く研ぎ澄まされ、魂が膨張する。
それを確認して、崩れゆく縄張りを最後に一瞥し、蛍はそこから脱出した。
次回、蝿王君臨