第七話 現実の粉砕
前回、自分の常識を変えてみよう
海中に突き落とされて5日経過。
初日で感覚を掴んだ二人は呼吸をする必要も無く、泳ぐどころか地上と同じように海中を歩くことができるようになった。
4日目には服が濡れることもなくなった。
二人して海を歩いていると、久しぶりにアラディアさんの声が聞こえた。
『順調そうだな。呼吸を飲み込むのが早い。良いことだ』
私たちの様子を見て、アラディアさんは感心しているのか珍しく褒めてくれた。
『つーわけで環境を変える。いい加減海の中は飽きただろ』
アラディアさんの言葉と同時に、海が消え、代わりに青と白が入り交じる景色に変わる。
落ちている。今私たちは空を落ちている。それを認識するのは早かった。
落下速度は加速し続け、だけど地上はいつまでたっても見えてこない。
海と同じく果ては無いようだ。
『繰り返しになるが、お前らは自分の中の法則で生きている。
法則の根幹にあるのは土壌。お前たちが築いてきた常識。自分だけの世界観。
できるものはできるし、できないものはできない。
1%でも不可能だと思っていることはできないんだ。
それは自らの法則に伝達され、本当にそうなってしまう。顕現者だからこそ、な。
逆に言えば、そのできる感覚を掴めば後は簡単だ。
思い込めば、信じ込めば、確信に至るまでに想えば、いずれお前たちに不可能な事など起こりはしない。
できると思ったからこそできる。俺たちはそうだ』
思考は雨。大地はそれを浴びて染まる。
自らが持つ常識とはそういうもの。
もしもそれを自由に組み替えることが出来たらどうなるのだろう。
思考で、意思の力で、想いの力で。
自身の想念が法則の根幹を担う顕現者には、それがどれだけ大事な事か、分かってきた気がする。
『できない?できるに決まってるだろう。そんなこと誰が決めた。
ネットに書き込むその他大勢か?それとも数百年前のお偉い科学者か?
知ったことかと言ってやれば良い。お前はそうだろうが自分はこうだと。
理論も証拠も、何もいらない。ただ直感で感じれば良い。
お前はお前の常識で生きろ。それだけでいい』
それは傲慢なようで、ある意味当たり前の生き方なのかもしれない。
声が遠のく。言いたいことは言い終えたかのように。
『ま、そのまま頑張れ。二日経ったらまた違う訓練方法を教授してやる』
完全に声が途切れ、そして未だ落ちている自分に意識を向ける。
寒い。高度がどれくらいかは分からないけど、雲が下に見えることは確か。
想うことは一つ。このまま羽毛のように空中に降り立つ。
先ほどまで海の中で自由に行動していた私は、その感覚を覚えていた。
あの、自分自身が変わっていくような、世界そのものが変わっていくような感覚。
その感覚を、再び掴む。
ブレーキをかけたように減速する自分の身体。
そうだ。空気を踏みしめろ。
空中でも地上と同じように振る舞う。それを当然だと想う。
私の基準で世界を回せ。
「さて、じゃああと一人咎人を殺しに行きますか~」
陽気な声で霞さんは言う。
休憩はさせてもらった。だいぶ回復できたと思う。
アラディアさんや霞さんはただ無茶を押しつけるだけではない。根底には俺が一刻も早く成長するように緻密な計画が練られている、と信じたい。
次の咎人の所へ向かいながら、俺は霞さんに聞いた。
「次の咎人の情報を教えて貰ってもいいですか?」
「ん~、それなりに有名だけど、あんたにゃまだあまり関わりないか」
有名?長期間堅洲国にいた霞さんと違って、俺は咎人や堅洲国の事情に詳しくはない。
霞さんは酒をあおりながら説明する。
「悪性腫瘍・サラミナ。名前の通り内側、特に臓器に潜伏し発現する、元いた世界で数千万もの死傷者を出した病。
本来ならたんなる病気だったはずだが、桁違いの死者を出した功績。死を恐れた人間の信仰。それをもとに得た魂で座天使に上り詰めたとさ」
「信仰で発生するって、まんま神のそれじゃないですか」
「そ。サラミナに限らず、堅洲国には様々な病魔が存在する。
平行世界から入ってきたものとか、堅洲国の環境から生まれたものとか、あるいは咎人が発生させているものもある。
物理的なものから霊的なもの、魔術的なものから電脳ウイルスまで幅広く蔓延してるんだよ。
幾万幾億幾兆幾京。元の世界で根絶されたものや、未だ治療法が発見されていないものも腐るほどある。
それら病を総称して『シサンの黒騎死病魔群』、なんて素敵な名前で呼ばれてるらしいぜ~」
「すっげぇ厨二ワードですね」
「ま、元ネタは聖書のペイルライダーだろうけどね」
ペイルライダー。黙示録に登場する神に遣わされた騎士。青白い馬に乗った、黄泉を率いる死そのもの。
第四の封印が解かれた時に現われる、人を殺す権能を持つ騎士。
その正体には様々な説がある。最も有力なのは黒死病だろうか。
そう考えると、ペイルライダーをモデルにしたっていうのは真実味をおびてくる。
「シサンってどこかの地名ですか?それとも人名?」
「さあ?私も知んない。けどあれじゃないの~。4が3つ並んでるとか、そういうの」
「444。ああ、確かにあり得そう」
「死が三つ。素敵ね」
「いやいや、不吉でしょう」
「そうかしら。私は好きよ」
「ふぅ~ん・・・・・・・・」
ま、好みは人それぞれだろう。
俺の目は横に。
いつの間にか俺と霞さんの間に入り込んでいた少女に、俺は尋ねる。
「で、君は誰?」
自然すぎて完全に気づかなかった。俺の警戒を容易く抜けて、会話に入り込んでくるなんてそうそう出来るものではない。
いつの間にか霞さんは消えている。どころか空間そのものが変容している。
縄張り。俺はいつの間にか咎人の縄張りに踏み込んでいた。
内部は、肉壁。そう呼ぶにふさわしい。
ただでさえ赤かった世界が、どす黒い赤に染められている。
巨大な内臓。空に人の腸らしきものがいくつもぶら下がっている。
俺の近くには蠢く臓器。心臓?が脈打ち鼓動している。
少女は微笑む。亀裂のような微笑み。口角が歪む。
深淵のような虚ろな瞳。肌は不自然な程に白く変色する。
140㎝ほどの体躯からは、しかし莫大な圧力を感じられた。
ピシッと、彼女の腹に線が走る。
ドボッ!!と、開かれた彼女の腹から臓腑が零れ落ちた。胃、腸、肺、その他諸々。
明らかに少女の内に収まらない大きさ。そして量。滝のようにあふれ出し地面にぶちまける。
赤い、ぶよぶよのそれが広がっていく。
やがて、咎人が現われた。
下半身はない。下半身が自身の臓腑でできている。
まるでギリシャ神話のラミアのようだ。そちらは人の上半身に蛇の下半身だが、これはさらに吐き気を催す。
絡まった腸はコードのよう。数十メートルあるそれは空間と融合し、自らの存在を縄張りと同化させていく。
神像と臓腑の融合。冒涜的にも思える彼女の姿に、思わず目を奪われた。
「誰?誰?誰と聞いた?私に?」
年相応の幼い声。輪唱のように声が重複しているのは聞き間違いではないだろう。
嬉しそうに彼女は答える。
死が、答える。
「私はサラミナ。悪性腫瘍の病を司る者。
座天使に位置する咎人にして、黒騎死を構成する病魔の一体」
よろしくね、粛正者。
咎人・サラミナは一切を見てきたように、怨敵の名を呼んだ。
パン!と、拍手したような音が鳴る。
私たちは空中を自由に歩き海中のように泳いで、雲をトランポリンのように跳ね飛んでいた。
一日が過ぎた時点で、私たちはかなり自由に動き回ることができていた。
が、世界ががらりと変わり、現われたのは現実世界。
街の大通り。
ビル群が伸び、建物が立ち並ぶ。人が行き交い、車が通る。
空は電線が張り巡らされ、足下はアスファルトで覆われている。
私たちが住む街ではない。別の街。
「次だ。お前らこっちに来い」
近くの店。椅子に座っていたアラディアさんが私たちを呼ぶ。
店の中は無人。お客さんどころか、従業員一人もいない。
アラディアさんは目の前にやってきた私たちを見て、
「もうそろそろで次のLESSONに進む。
これからすることは、まあ実践的なことだ。日常生活でも使えるぞ」
そう言って立ち上がるアラディアさん。
私たちの手を掴み、店の壁まで引っ張っていく。
「?あの、アラディアさん。そこから先は壁が――」
疑問の声などお構いなしに、
アラディアさんは私たちの頭を掴んで、壁に叩きつけた。
「!?!」
ドン!!と凄まじい音を立てて、私たちの視界と脳内が思いっきり揺れた。
今さら痛みなんてどうとも思わないが、だけど突然のことに驚愕するなと言う方が無理な話だ。
これが壁ドンか、蛍にもされたことないな。
「何やってんだ。さっさとすり抜けろよ」
アホな考えをしていた私たちの頭を、さらにグイグイ壁に押しつけるアラディアさん。
すり抜けろ?すり抜けろって、壁を?
頭を押しつける圧力が増していく。このままだと手と壁に押しつぶされ脳漿をぶちまけかねない。
ミシミシと軋る頭。アラディアさんの言った通り、すり抜けることをひたすら想う。
やがて私の身体は透化し、白い壁の中にズブズブと入っていく。
蛍も同じ。人の頭部と身体が白い壁の中に吸い込まれていくその様子は、まるで食べられているようだと不気味に感じた。
やがて胴体が埋まり、腰が埋まり、足が埋まってそのまま外へ押し出された。
後ろを見る。そこには確かに白い壁がある。
「何呆けてやがる。今度は戻ってこい」
中から、まるで遮蔽物などないように真っ直ぐ聞こえてくる声。
これもアラディアさんの常識。自分の声は遮蔽物に遮られはしないと、さも当然のように想っているからそうなっている。
私たちは先ほどの感覚と想像力を使って、再び白い壁に手をつける。
今度は衝突なんて起きず、壁の中に吸い込まれていく私の身体。
さっきは4秒かけた壁抜けを、今度は2秒で成し遂げることができた。
それもこれも全て荒野で飲み食いせず過ごし、海中や空中で地上と同じように動けるよう特訓したから。
再び店内に入ると、今度はアラディアさんが座っている机の上に何か置いてある。
籠、その上に幾つも卵が入ってる。
アラディアさんが私たちを手招きして、籠の中の卵を渡す。
「それ、立てろ」
「卵を?ええと、コロンブスみたいに卵の底を潰して立てればいいんですか?」
「なわけねぇだろ。一切傷つけずにだ。この程度もう楽だろ」
言われた通りに卵を机に置く。
そのまま置けば横にゴロンと転がるはず。
私が垂直に卵を置く。
卵はゴロンと横に転がる――ことはなくピタリと固まったかのようにそのままの姿勢を保つ。
私はその上に次々と卵を積み上げる。二つ、三つ四つ五つ・・・・・。籠の中の卵がなくなる頃には、卵は私たちの身長を超える程そびえ立っていた。
「今回のトレーニングは、」
その作業を見ていたアラディアさんが唐突に話始める。
「自分の中のルール。それを自覚し、変化させるという意味合いが強い。
治癒速度は更に増す。環境の変化にもすぐに対応する。顕現者のプラシーボ効果をフルに発揮させ、自分や周囲を改変させる。
強い意志は周囲に影響を及ぼすことは、顕現者を見ていたらよく分かるだろ?
現実と異なる法則が粒子のように積み重なっている顕現者は、本来物理法則に囚われずに動けるものだ。
お前らが堅洲国に産まれていれば、数ヶ月でそれは自然と自覚する」
説明しているのか、それとも単なる独り言なのか。
アラディアさんは天高く積み上がった卵を一つ手に取る。
「言っておくが、LESSON1とLESSON2は本来必要ないものだ。
適当に霊格を蓄えれば自然と出来ることでもある。時間はかかるがな。
どれほどの痛みもかみ殺せる精神力は自然に身につく。環境の変化に即座に対応することは堅洲国に少しの間放り込めば自然とできるようになる。
今回無意味に等しいにもかかわらずそのトレーニングを行ったのは、店長と天都がしつこく安全第一と言ってきたからだ。
確かにこれからのLESSONに必要っちゃ必要だが、俺だったらお前らにもっと魂喰いさせる」
安全。そのためにこれまでたくさん死んできたのか。・・・・・・安全って一体何だろう?
「”自分ができると思うからこそできる”最低限これだけは忘れるなよ」
コンコン、と卵を割ると、中から出てきたのは白身と卵黄――ではなく皿に載ったオムライス。
明らかに卵の中に収まらない大きさ。既に調理されているし、なにより米はどこから出てきたのか。
まるで手品。だがアラディアさんは魔術すら使用していない。
アラディアさんが言った通り、自分の意思で現実を粉砕したのだろう。
次いで二つ目の卵を割ると、やはり出てきたのはオムライス。きちんとスプーンまでついている。
アラディアさんはそれを私たちに渡す。
「食え」
「あ、いただきます」
「ありがとうございます」
私たちはそれを受け取り、椅子に座って食べ始めた。
次回、LESSON3




