第十六話 決意
二階にあるテレビ。
先ほどまでと違い魔術的な文字と記号が描かれたそれの、画面の中から天都が出てきた。
テレビは媒介。あちらとこちらを視覚的に繋げるもの。
それを利用し、急遽堅洲国へのゲートとして使用したが、無事功を奏したようだ。
出てきた天都の服は所々破れているが、逆に言えば損害はそれまでだ。かすり傷の一つもついていない。
天都は全員に事の顛末を報告する。
「逃げられました」
彼らしい、着飾らない言葉だった。
「そうですか。何はともあれお疲れ様です天都さん。
詳しい情報は後で皆に共有するとして、今はあの咎人をどうするか考えるのが先決ですね」
否笠が全員を仕切る。
ちらりと視線を隅に送る。
美羽は泣き止んでいた。蛍と小声で何かを話し、蛍はそれに頷いている。
落ち着いたようでよかった。ただでさえ強大な咎人と出会い、トラウマを抉られたのだ。下手したら精神が崩壊してもおかしくはなかった。
視線を戻す。天都が手を上げた。
「店長。奴が気になることを言っていました」
「気になること?」
天都の言葉に全員が耳を傾ける。
「言葉をそのまま伝えます。
『君たちが気に入った』『私の蝶は堅洲国中を飛び交って、咎人たちを更なる高みへ連れていくだろう』
『私を止めたければそうするといい。君たちの世界が手遅れになる前に』
などと言っていました」
「ほう、なるほど。来るなら来い、と」
あの咎人がそんなことを言ったのかと思わず苦笑する。
高みへ連れて行く。霞の報告にあったとおり、やはり最近の咎人の異常は彼女であるようだ。
ならば彼女を断たない限り、咎人の強大化は止まらない。
既に100体を優に超える咎人たちの変化が確認された。
このままでは全粛正機関、ひいては高天原に対する大きな脅威となる。
そしてその二大機関の処理能力を超えれば、数多の世界に危機が訪れることは自明のこと。
一刻も早い対処が必要とされる。
だが、危険も大きい。
あの咎人は熾天使。否笠と同格の相手だ。
自らの想いを極めた顕現者。堅洲国の深淵に座す者。
本気の戦闘となれば、否笠でさえ一歩間違えば滅びかねない。
それに、来いと言っておいて何もトラップを仕掛けていないとは思えない。
もしかしたら同格の咎人を数百体呼んで待っているかもしれない。そうなれば誘い込まれた瞬間に否笠たちは終わりだ。
そしてなにより、彼女がどこに存在するかわからない。
堅洲国の第九層にはいるのだろう。そこに居を構えているのだろう。
しかしそれから先は分からない。
基本、咎人の座標は高天原からの情報提供により特定される。粛正機関はその情報を元に咎人を探し当てる。
アラディアが開発したタッチ画面インターフェースでは限界がある。あれは確かに優秀だが、制作したアラディアよりも格が低い者しかその位置を割り出すことができない。
縄張りは核となる顕現者の霊格によって、その規模も強度が決定する。
熾天使の縄張りとなればそれ相応のものだ。同格でなければ発見できない。
さてどうしようかと否笠は思考する。
まず高天原へ連絡を入れることは確定だ。
本来熾天使の粛正担当は彼らの領分だ。
高天原も咎人の異常は既に察知しているだろう。いらぬ世話になるかもしれないが、連絡はしておいた方が良い。
次に自分たちはどうするか。
それを考えた始めたところで、否笠は腕を引かれた。
背後に視線を向ける。
そこには涙の痕が見える美羽と蛍がいた。
「どうしました?もしや具合が悪いのですか?」
「いえ、違います。身体は大丈夫です。それよりも」
否笠の目をまっすぐに見据える美羽。
その目は決意に満ちていた。
「店長。私たちは、どうやったらあの咎人に勝つことができますか?」
「・・・・・・・・」
その問いに、否笠はどう答えるか一瞬迷った。
美羽の真意を尋ねる。
「それは、あなた方がファルファレナと戦うと?」
コクンと、頭を縦に振る美羽。
「嘲笑われて、果てに私たちの大事なものを奪うと言われました。
・・・・・・・そんなこと、許せません」
その目に宿るのは憤怒か覚悟か。
美羽は万感の想いを否笠に伝えた。
困るのは否笠の方だ。
仮に自分たちがファルファレナの粛正に関わるとしても、そのメンバーから美羽と蛍と集は初めから抜いていた。
実力が伴っていない。先ほど二人の前に現われた時だって、ファルファレナは手加減に手加減を重ねていたようなものだ。
最初から彼女が本気だったら、とうに二人はこの世にいない。
だから最初から戦力として数えていなかったが、その本人が自分も関わると申し出るとは。
逃げるように、否笠は美羽の隣に蛍に視線を向ける。
「それは、蛍君も同じですか?」
「はい。そのつもりです」
即答だった。
優柔不断な彼には珍しく、自分の意思をはっきりと伝えていた。
彼もまた覚悟が決まっていた。
いよいよ窮する否笠。しかしここで退くわけにはいかない。
「そう、ですか。自らの手で倒したいと。
正直に言いますが、私は御二方を今回の件に関わらせたくありません。
あれは、お二人には早すぎる。
手が届かない存在だと、直観でも理解出来たでしょう?」
「それは、」
美羽がうつむく。
あの時咎人に激昂して飛び出した美羽だが、彼我の差を推し量る程度の冷静さは残っていた。
あれは人智を超えた化け物だ。極限にまで圧縮されたダイアモンド。人の形に凝縮された異界。
底がまるで見えなかった。
あそこまでどう足掻いても勝てないと実感したのは初めての経験だ。
実力不足、それは言い返すことができない。二人が否笠の意見を変えるには経験も実力も足りない。
けれど意思は揺るがない。内に渦巻くこの激情、ファルファレナを不倶戴天の敵と認めたものだ。
それを見て、否笠は笑みを作る。
「ですが、それは今のお二人の話です。
この前と今日の戦闘で分かったとおり、お二人の成長速度は尋常ではありません。
他の顕現者が一年か半年、早くても三ヶ月かかって格を上げるのに対し、お二人はたった一回の殺し合いでその程度まで自らの霊格を増大させました。
もしもそれが続くのであれば、お二人にもあの咎人に一矢報いるチャンスがあるかもしれません」
美羽の顔が上がる。その目には喜色の光があった。
「それって、つまり」
「お二人の成長に期待して、もしかしたらファルファレナの粛正を手伝ってもらうかもしれませんね」
美羽と蛍が安堵する前に、天都が抗議した。
「店長、俺は反対です。
店長も言った通り、二人に熾天使はまだ早すぎます。
経験も力量もまるで足りない。ただ奴と同格であればいいということではありません」
天都の言葉に便乗する形でアラディアも言う。
「天都と同意見なのは気にくわねぇが、俺も反対です。
店長。あなたのそれは慈愛じゃなくてただの無関心ですよ。
どうでもいいから善人装って死地へ送りこむようなもんじゃないですか?
俺の大事なモルモットたちが使い物にならなくなったら困ります」
桃花店内で実力のある二人が反対側に回った。
こうなると否笠は苦しくなる。裏の仕事の方針を最終的に決定するのは否笠だが、それは独断によるものではない。
店員の意見を最優先に鑑みて決断するものだ。全員の賛成を基本にする故に、一人でも反対すればそれは無効になる。
「ふぅ~ん。じゃあ私は店長にさんせ~」
その時、霞が挙手して流れを変えた。
先ほどまでビール瓶片手に話を聞いていたが、どうやら自分も混ざりたくなったらしい。
「霞、どういうつもりだ」
「本人たちがやりたいって言ってんだからさ、それサポートしてあげるのが大人の役割なんじゃねぇの~?
二人も覚悟はできてんだし、も少し二人を信用してあげたら?」
「火山が危険だとわからせるために、わざと火口に落とすつもりか?」
「あ、そう聞こえた?ならごめんね~、そう解釈して構わないよ」
睨む天都の視線を酔っ払った体で軽々躱す霞。
平常時からこんな状態なので、酔っているのかそれとも真剣なのかが分かりづらい。
霞はアラディアに話を振った。
「アラディア~、あんたもどうせ裏でこそこそ考えてんでしょ?
なら今の状況をもっと好意的に解釈したら~?」
「あ?どういうこった」
「いや~、あんたにとって顕現者を熾天使に到達する最短経路を検証できるいい例になるんじゃねぇの、って事だよ。
それとも興味ない?割と面白そうなテーマだと思うけどね~。
どうせ失敗してもまた他の顕現者見つければいいんだし」
打算や謀略を本人たちの前で堂々と話す霞。
その顔に悪びれた表情は一切無かった。
「・・・・・・・・他人に自分のモルモットを使われるなど論外」
誰に言うでもない、独り言のようにアラディアは呟く。
「が、そこは俺が主導すればいい、か。
それもそうだな。ちょうど良い。今度はその研究でもするか。
乗った。店長に賛成だ」
掌を返して、アラディアは否笠側に立つ。
すると今度困るのは天都の方だ。
「・・・・・・・・・」
無言で反対の意思を表明する天都。
説得は難しそうだと感じた否笠は、今度は集に声をかける。
「集君、君の意見は?」
「・・・・・・・・・うぅん」
先ほどから難しい問題を解くかのような顔をしている集。
5秒は悩み、店長に頭を下げた。
「すいません。今すぐには答えを出せそうにないです」
「いえ、それでいいのですよ。焦る必要はありません」
全員の意見を聞いた否笠は二人に向き合う。
「とにもかくにも、今回はお疲れさまでした。
時間も時間です。そろそろ帰った方がいい。
我々も今後のことで話し合うことがあるので残ります。それには貴方達のことも含まれています。
そして、最後に一つ」
店長が人差し指を立てる。これだけは覚えて欲しいと。
「突発的な怒りは時間とともに消えるものです。
しかしそれが怒りを超えた憎悪であれば、どれだけ日が経っても消えることはありません。
明日、あなた方が抱えている感情が消えないのであれば、再び桃花を訪ねてください。
我々もできる限り力になります」
その言葉を聞いて、私たちは桃花を出た。
帰り道、私も蛍も無言だった。
話すことはあった。けど話す気はなかった。
そのまま別れ、私は自宅に帰宅した。
灯りをつける。周囲を見渡す。無人の家。
誰もいない。当然だ。家族がいないのだから。
そのままシャワーを浴びて、何も食べずにベッドに横たわる。
突発的な怒りは時間とともに消える。店長はそう言っていた。
その通りだ。頭を冷やせば怒りは収まる。沈静化する。自然と消火する。
ならば、今私の中で渦巻いている感情は怒りではないだろう。
この煮えたぎったマグマのような、底から湧き出てくるどす黒い感情は。
『クスクス』
魂の内側で、何かが嗤う。
私の決定を滑稽に思ったのか、暗闇で少女が嗤っている。
けれど後悔はない。
もうこれ以上奪われたくない。
カナと蛍がいる当たり前の日常を、今度こそ守り切ってみせる。
少し過去に飛びます。
次回 集先輩と友人のドライブ