第十話 再戦の前の仄
前回、霞さん
「では、咎人の状況についてお話ししましょう」
一息ついた後、店長が私と蛍に用件を話す。
もちろん咎人のことだ。
先日、蛍が撃ち漏らした咎人・エンケパロス。
その粛正を、これから私たちが担当する。
「エンケパロスはあれから縄張りを動いていません。葦の国に来訪した痕跡もなし。
そして蛍君、どうやらご指名のようですね」
「え?」
突然のご指名に素で驚く蛍。一体何が指名なんだろう?
「咎人の縄張りの前に、こんなメッセージが残されていました。
『粛正機関へ、かの少年との再戦を望む。果たしたまえ』と」
「僕と、再戦?」
「彼はそのようですね」
「・・・・・・望む所です。今度はきっと、奴の喉元に迫って見せます」
蛍の目が鋭くなる。
咎人からのメッセージを挑発と受け取ったのか、手をギュッと握りしめている。
「勇ましいですね。頼もしい限りです。では、用意ができたらゲートへどうぞ」
店長が堅洲国へと通じる壁を指す。
「二人とも~、死なない程度に頑張れ~」
ソファーでは霞さんがビールをグビグビ飲みながら手を振る。
私たちの戦いを肴にしながら飲む気だ。
「はい。生きて戻ってきます」
意気込んで、私たちは壁をくぐる。
一瞬の空白の後に、視界は赤黒い大地に変わった。
血をぶちまけたような大気。地平線の先まで赤で染まっている。
近くには誰もいない。そしてすぐそこに咎人の縄張りがあった。
その手前の地面には丁寧な文字で、先ほど店長が口にした言葉が記されている。
それを見て、蛍は迷いなく縄張りの中へ歩いて行く。
「あっ」
私は咄嗟にその腕を掴んだ。
蛍は不思議そうな顔をして振り返った。
「どうしたの?」
「ううん、蛍。これだけは言っておきたくて」
先ほど、アラディアさんに言われた言葉を思い出す。
私たちは二人で一人前だって。
「一人でなんでも解決しようと思わないで。私がいるから。
私が蛍の分も背負うから。一緒に乗り越えよう」
蛍は私の言葉を聞いて唖然とし、やがて微笑みを浮かべる。
「そうだね。ごめん、その通りだ」
微笑んだ蛍は落ち着きを取り戻す。焦って、殺気立っていた様子はなくなった。
蛍は私と歩幅を同じくして、私たちは縄張りの前に立つ。
「「顕現」」
唱えるは覚醒の引き金。
変化は静かに、しかし確かに起こる。
私の腕は黒く変化し、破壊の概念そのものと化す。
その手で、目の前の空間を引き裂いた。
赤黒い世界が黒緑の世界に変わる。
まるで黒板。その世界の中に、魚のように白い数式が遊泳している。
そして、中央にいる咎人。
巨大な脳。それを覆うボロ布。むき出しの目。腕のような細い肉塊。
数を操る顕現者、エンケパロス。
「ようこそ、そして再びだな少年。そして少女」
「エンケパロス・・・・・・」
大仰に手を広げた咎人は、私たちを歓迎する。
その仕草に敵意は感じられない。これから殺し合うというのに。
「復習はしてきたようじゃな。よいぞ。わざわざ逃がした甲斐がある」
「なぜそんなことを・・・・」
「理由? 安心せい。後に知ることになる」
そこで言葉を切り、縄張り内に漂う数式の群れが彼に集う。
数式は彼の周りを渦巻き、やがて溶けて地面に落ちる。
白が黒い床に染み渡る。エンケパロスの周囲だけ白い墨汁を垂らしたようだ。
「顕現 ヌメロス」
唱えられた言葉。しかし何か目立った変化はない。
しかし確かに変わっている。目に見えない領域で何らかの力が働いている。
「今度は一歩も動かぬ、なんて事はせぬよ。
そんな悠長な事をしていたら儂が死にかねん。
さあ、最後の授業を始めようか」
■ ■ ■
「お、始まりましたね~」
間の抜けたような声が二階に響く。霞のものだ。
桃花二階には否笠、天都、アラディア、霞、集。堅洲国にいる二人を除いた全店員が集結している。
理由は二つ。美羽たちを見守るため。そして霞の報告を共有しておくため。
霞が堅洲国に長期間赴いていたのは、彼女が斥候の役目を担っていたからだ。
堅洲国における異常。危険な咎人の存在を確認し、その情報を粛正機関や高天原へ持ち帰るため。
今まさに、その情報を全員で共有しようとしていた。
「熾天使共は平常運転で、他の階層の咎人も依然変わりなし。百王共も特にこれといった変化はありません。
・・・・・・と、言いたいところなんですが少し異変がありましてですね」
「蝶、ですか?」
「あれ、知ってたんすか~? なぁんだ、じゃあわざわざ言うほどのことでも無いっすね」
「いえいえ、蝶の紋章が刻まれた咎人を確認した程度です。それ以外は全く分かっていません」
説明を中断しかけた霞は、ビール缶を傾けながらグビグビと飲み干す。
不思議な事に、空になったはずのビール缶には既に満杯の酒で満たされていた。
桃花に帰ってきてから八杯目。底なしの胃袋にどんどん吸い込まれていく。
「ぷはぁー! そんでですね~、独自に調査したところ、どうもある熾天使が関与しているそうなんですよ」
「熾天使? なんで奥底の連中が」
真っ先に反応したのは集。そんなやばい連中が関わってくるとは思ってもいなかったのだろう。
熾天使。堅洲国第九層、深淵に座す者たち。
極限まで自らの霊格を膨張させた、正真正銘の化け物。神域に足をかけた超常の存在。
その実力にばらつきはあるが、粛清機関ですら戦闘を避ける相手だ。
「私が知るかい。またいつも通り悪巧みしてるんじゃないの?」
ビールに飽きたのか、虚空からワインのボトルを取り出す霞。
コルクを取って、勢いよく胃に流し込む。十秒くらい経って、それを飲み干した。
「蝶の刻印を押された者はその存在規模が一気に拡大します。
上のステージに上がってるとか、存在の領域が上がってるとか、そんな感じですね~。
アラディアが言ってた通り強化とはまた違う現象。どちらかとそれは付属的な効果な気がします」
「上昇、ということですか」
「あ、その呼び方いいっすね! 私もそう呼びましょ~。
そんでその蝶はどっかから咎人の元へ飛翔してきます。それに触れたら契約したと見なされ、謎の脱皮現象の後にとんでもない力が手に入ります。
その大元をたどってくと、さっき言ったある熾天使に行き着きました」
霞が両手で蝶を形作る。羽をはためかせ、ひらひらと蝶が飛んでいく。
「その熾天使の名前は、ファルファレナって言うらしいですよ」
次こそ・・・・次こそ戦闘シーンを・・・・・・
次回、再戦




