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自灯籠  作者: 葦原爽楽
自灯籠 領域内の数学者
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第八話 Depend on each other

前回、エンケパロスの顕現



美羽の家に向かう道中、やはり蛍は憂鬱(ゆううつ)だった。

原因はもちろん咎人に関すること。

倒すべき敵を倒せず、丁寧に助言まで頂いて、圧倒的優位にも関わらず見逃される。

そして彼の力を推測できて、その絶大な力に敵わないと思ってしまった。

惨敗。その一言に尽きる。


僕の顕現、『想造』は全能の如く何でも可能だが、その性質ゆえ致命的な弱点が存在する。

即ち、自分が負ける・敵わないと想像してしまったら、彼我(ひが)の間にどれだけの実力差があろうと必ず負ける。

そして、あの咎人相手にそう思ってしまった。

情けない。美羽の分まで頑張ろうと意気込んでいた結果がこれだ。


くよくよ悩んでも仕方が無いということは分かっているが、それでも暗い気持ちが振り払えない。

深く溜息をつき、頬を叩いて陰気を払う。

こんな雰囲気で美羽に会っては迷惑だろう。僕の方が心配されかねない。

やがて見えてくる美羽の家。

今日は美羽が好きな甘いお菓子を買ってきた。少しでも喜んでくれれば嬉しいな。


チャイムを鳴らす。数秒後、ドタバタと足音が聞こえてきた。

ガチャッとドアが開く。

そこにはパジャマ姿の美羽がいた。


「こんにちは。元気にしてた? 美羽」

「うん。上がって蛍」


笑顔を浮かべて僕を迎える美羽。

その言葉に甘えてお邪魔する。

ついでに、袋に入っている甘味類を美羽に差し出す。


「はい。これどうぞ」

「これって?」

「美羽の好きなお菓子だよ」

「ほんと!? ありがとう蛍!」


弾ける笑顔と友に美羽は袋を受け取って、それを素早く冷蔵庫の中に入れる。


「シャワー浴びた後に食べるの」


るんるんと楽しそうに話す美羽。

嬉しそうで良かった。その笑顔を見て僕の不安も幾分か和らぐ。


「そういえば、今日の午前中に集先輩が来てくれたんだ」

「集先輩が?」

「うん。お見舞いの品を持ってきてくれて、それにお話もしてくれたから、午前中は暇じゃ無かったよ」


そういえば今日集先輩は店内にいなかった。午後は大学で講義を受けているのだろう。

先輩は店長たちが帰ってきたことを知っているだろうか。後で一言連絡入れようか。


「ねえ、今日の学校はどうだった?」


二人でソファーに座り、机の上に教科書類を広げる。

昨日と同じく授業の復習をするため。

その合間に美羽は僕に話をねだった。


「そうだね。テストが近いから自由学習の時間が二時間くらいあったよ。

奏も喜んで復習してたね」

「いいな~。私も早く学校に行きたい」

「そんなに暇なの?」

「暇!」


頬をぷっくりと膨らませて不満を表す美羽。はは、可愛いなぁ。

その額に手で触れ、体温を測る。

熱は感じない。すっかり元の体温に戻っている。

体調も良好なようだ。無理に振る舞っている様子はない。

本人も動きたがっているし、大丈夫かどうかアラディアさんに見てもらおうか。


「今日遅れたのは何かあったの?」


復習の最中、美羽は疑問を(てい)した。

答えようか一瞬迷ったが、口は簡単に開いた。


「実は、店長たちが帰ってきて」

「え、もう帰ってきてたの?」

「うん。用事は済んだみたい。

それで、その後僕は堅洲国に行った」

「え」


美羽が驚いた顔をする。そりゃそうか。

僕だって美羽が一人で堅洲国に行ったと聞けば同じ反応をする。

それが意味することは、咎人との戦闘。

命のやりとりが行われれば、心配するのは当然のことだ。


「五層、力天使(ヴァーチュース)の咎人と戦ってきた。

粛正依頼が出てたから」

「それで、どうなったの?」


忘れかけていた過去を思い出す。情けない自分を。


「・・・・・・ボロ負けだったよ。手も足も出なかった。

顕現はなんとか分かったけど、それも店長の助言があったからだし。

一人じゃ何も出来なかった」

「そう、なんだ」


美羽の声のトーンが低くなる。

心配させてしまったかな。こんな話するんじゃなかった。

会う前に心配をかけまいと思ったのに、つくづく僕は無能だ。

ああ、死にたくなるくらい、自分のことが嫌になる。



すると、何を想ったのか美羽は突然立ち上がり、冷蔵庫へ何かを取りに行く。

手にしたのは先ほど僕が渡したお菓子の入った袋。それと炭酸ジュース。

それを持った美羽は机にお菓子を広げ、二つのコップにジュースを注ぐ。


「コップ取って」


言われるがままに手に取る。

美羽は同じようにコップを取り、乾杯するように僕のコップにぶつけた。


「お疲れ様、蛍。

五層の咎人と戦えるなんて、いつの間にかすっごく強くなってたんだね。驚いた。

お祝いに一緒に食べよ」


ハーベストの袋を破って僕に差し出す美羽。

美羽の意図は分かった。痛い程分かった。

慰めようとしてくれてるんだ。こんな僕を。


「私も蛍もちょくちょく勘違いしてるけど、普通だったら生きて帰ってくるだけとてつもなくすごいんだよ。

相手が国とか星とかばんばん吹き飛ばしてくるような化け物だらけだし。

それをなんとか切り抜けて帰ってきたんだもん。充分蛍は英雄だよ」

「英雄だなんて、そんな」

「落ちこむな、なんて言える立場じゃないのは分かってる。

今蛍が抱えてる感情は蛍のものだし、それを私が外からどうのこうの言えるわけない。

けど、もうちょっと前向きに考えてもいいんじゃない?

店長も言ってたでしょ。九割楽観的、一割悲観的に考えれば少しは生きやすくなるって」


はい、どうぞ。

美羽が僕にハーベストを手渡す。

それを受け取って、しばし逡巡(しゅんじゅん)する。

だけど、そうだな。美羽の言うことはもっともだ。

現実を見て嘆くよりも、むしろそれをポジティブに捉える。

惨敗したけど、今生きているしそれでいい。死ぬこと以外はかすり傷じゃないか。

そういう態度が、僕に欠けていて、そして必要なものなのかもしれない。


お菓子を食べる。

パリッと砕け、塩みと甘みが良い感じに混ざった味がする。美味しい。

美羽のために買ってきたものを食べてしまってあれだが、なぜか悪い気はしなかった。


隣で美羽もお菓子を食べる。

ポテチの袋を開けて、クッキーを並べ、プリンにスプーンを突き刺し、シュークリームにかぶりつく。

とても病人の食欲とは思えない。それとも今まで我慢していた空腹が一気に炸裂したとか?

嬉々として甘味類を食べる美羽を見て、ここでとある疑問が浮かぶ。


「美羽、夕飯は?」

「ん」


美羽が机の上のお菓子類を指す。

思わず吹き出しそうになって、美羽が手を伸ばそうとしたポテチを取り上げる。


「美羽。気持ちは分かるけどさすがにまずいよ。

食料は?」

「冷蔵庫の中見て」


言われた通りに、僕は立ち上がって冷蔵庫の中身を確認する。



見事に、何も無かった。


「・・・・・・・・・」


そういえば、昨日確認したときも何もなかったな。あの時に察しておけばよかった。

思えば、美羽は昼休みもサンドイッチとか軽いものしか食べていない。

え、ということは、毎日夕飯に何を食べてるんだ?


「近くにコンビニあるからそこで買ってるの」

「あぁ、そう。けど朝はわざわざ買いに行くことになるんじゃない?」

「朝? 食べてないよ」

「・・・・・・・・・」


思わず天を仰ぎ見る。

美羽の食生活を心配する。大丈夫かな、ほんとうに。

この際僕が夕飯を作ってあげようかな。



■ ■ ■



堅洲国・第五層。

無限に赤い世界。その世界にひっそりと存在する縄張り。

その内側に、咎人・エンケパロスがいた。


その手は迷いなく高速で動き、一切が黒い世界に数式を書き続ける。

その数式は恐ろしく複雑。1から9の数字、A~Zのアルファベット以外に、彼独自の数学用語を交えた、彼にしか解読できないであろう数式だ。

いかな数学者とて、この数式の意味を理解することは不可能に近い。

それをエンケパロスはこれまでの経験、他者から奪った知識、異次元の演算能力で数式を解いていく。

むき出しの巨大な脳は、思考の全てをそれに費やしていた。


ふと、エンケパロスは手を止めると、先ほど出会った粛正者を思い出す。


自らに挑んできたあの少年のこと。

黒い髪にちらほら白髪の目立つ、想像具現化の顕現を持つ彼。蛍。

自らの顕現で難なく圧倒した。蛍は彼の脅威になり得なかった。


だが、エンケパロスは自らを殺しにきた粛正者を逃がした。

それは致命的なことだ。蛍がこちらの顕現を見破り、その対策を備えて再び殺しにくるかもしれない。いや、充分にあり得る。

もしくは蛍よりも高位の粛正者が来るかもしれない。

エンケパロスよりも格上の顕現者が訪れれば、いかなエンケパロスとて逃げられはしない。


しかし、エンケパロスにはそれで良かった。

それで自らが終わるのならそれでよし。後悔も無く逝ける。

自分は生きすぎたのだ。不老不死を求めて、咎人になったのはもう何千年前のことだろうか。

そろそろ、長く生きたことを理由に死にたかった。

これ以上、無意味に生き続けるのはこりごりだった。



彼、エンケパロスの顕現は『ヌメロス』。

蛍たちの推測通り、数を操る顕現。

加算や減算、乗算や除算など序の口。

存在量をゼロにして、任意の事象を消滅することも。逆に人や惑星や世界の数を操作し、無限に増やすこともできる。

数の領域にある全てを操る力。それがヌメロス。


その想いのきっかけ。それは彼が数学に魅せられたからだ。

数式を理解したときのあの高揚。一切のずれなく整う美しさ。

宇宙の全てを証明可能な神の言語。

あの形容もできない美しさ、数学者なら誰もが共感してくれると思う。


その力を有効的に使おうと、彼はとあるコミュニティに所属した。

混沌の塊のような堅洲国にも組織は存在する。

正確には堅洲国の中にある、ニライカナイという異界の中に。

ヴァルキューレのように葦の国から顕現者を連れてくる者たちのようなコミュニティ。

七大天使のように、神の指令によって様々な活動をする者たちコミュニティ。


そしてエンケパロスの所属したコミュニティの名は『レディエラ』。どこかの世界の言葉で、生痕せいこんという意味だ。

レディエラは堅洲国の道楽コミュニティの中で最大規模の組織。

自らの道を行け。その言葉が唯一のルール。それに反しない全ての行為を許容する。

属する者は様々。芸術家もいたし、料理人もいたし、音楽家もいたし、魔術師もいた。

他にも歌手、研究者、舞踏家、写真家、詩人、小説家、画家など多種多様な活動を行う者たちがそこに集う。

もちろんエンケパロスのように数学を愛好する数学者たちの集まりもあった。


レディエラの数学科。そこに属したエンケパロスは、一度目の絶望を味わった。

そこにいた数学者の、その誰もが天才だった。

自分が数日頭を捻らせた数式を、息を吸うように解き、何度見ても訳の分からない問題に対して、ああだこうだと高次元の話をする。

元の世界でトップレベルの頭脳を誇ったエンケパロスをして、自らは井の中の蛙だったのかと苦笑させるほどに。

自分とは熱意も、計算速度も、発想も、全てが別次元の領域にあった。

絶望と嫉妬が同時に襲いかかってきた。だがそれをバネにしてエンケパロスは異世界の数式を学習し、知識として吸収し、自らのものとしてきた。

この程度の挫折で屈するほど、彼は弱くなかった。


そんな彼に、二度目の絶望が襲いかかる。

彼には一人友がいた。レディエラの若き天才と、堅洲国中に言わしめた男が。

紳士のような出で立ちでシルクハットを被り、自らをロマンを追い求める者と自称する。

突飛な発想はいつものこと。奴の脳内には原始の混沌が広がっているのではないかと、間近で彼を見たエンケパロスは第一印象としてそう思った。

常識など存在しない。自らの道を行くという言葉に、あれほど真摯(しんし)に望んでいた者は他にいない。

古い自分の価値観と言葉を破壊し、新たな地平を望むその姿勢はさながら脱皮する求道者。


間違いなく天才だった。数多の新概念を樹立し、その技量は堅洲国どころか、高天原にまで貢献するほどに。

いつの時代にも万能と呼ばれる者はいるもので、自分の知る限りそれがあいつだった。


気まぐれに創造した兵器で、億単位の住人を殺戮しようとも。

新たな魂を、ボタン一つで生み出す装置を作ろうとも。

祭りと称した幻獣のパレードを、堅洲国の1~9層まで続けたようとも。

超大型かつ浮遊する、78種類の永久機関を作ろうとも。

無限の速度で地を走り空を飛んで、海を通り抜け異次元を駆ける列車を製造しようとも。

新種の薬を製薬し、医者に『不治の病』とさじを投げられた病人を救おうとも。

たった一人の少年のために、空を何百色の色で染め上げようとも。

たった一人の少女のために、単身(たんしん)高天原に攻め込もうとも。


奴はいつも不敵に笑い、今を生きるこれこそ芸術だと、自分の真理を嘘にしなかった。

それを遠目に眺め、時に無理矢理協力させられ、呆れと疲労が耐えない日々だった。

だが楽しかった。

めちゃくちゃな、まるで春嵐(はるあらし)のような情熱に巻き込まれる爽快さ。今でも鮮明に覚えている。


・・・

・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・・。

そして、奴の消息は途絶えた。

突然だった。何も言わずに、行方をくらませた。

今までもそんなことはあった。誰にも何も言わずに旅に出て、その内知らん顔で帰って来る。

だが今回ばかりはそうではなかった。何ヶ月待っても、何年待っても奴は帰ってこない。

今も生きているのか、それとも死んだのか。全ては謎のまま。

それと同時に、エンケパロスもなぜかコミュニティにいる気がなくなった。


熱意が消滅した。なんのために自分はここにいるのか、その理由が皆目見当たらない。

胸に穴が空いたような、そんな気分だった。

葦の国の住人を襲い始めたのも、それが始まりだったような気がする。

一歩でも奴に近づくためであろうか? そうだとしたら馬鹿馬鹿しいにも程がある。

このような有象無象の知識を吸い取ってどうなると言うんだ。自暴自棄も甚だしい。


もういい。以前のような熱意も徐々に失われていく。

これ以上空虚で彩られた人生など、生きていても見苦しいだけ。

そして、今回粛正者(死神)がやって来た。


もうすぐ自分は死ぬ。しかしただでは死なぬ。

かつて先人たちが自分に数学の美しさを教えてくれたように、あの友人が夢を見せてくれたように、自分も彼に教えて死ぬのだ。

あの少年はまだ堅洲国の事を知らない。これからの咎人の強大さを、真の意味で分かっていない。

戦法はなかなかだったが、それでも粗が目立つ。そして彼の顕現の正体を暴くのも容易だった。

あれではいずれ殺される。だが、我が最後の教えが少しでも役にたつのなら・・・・・・。

訪れる自らの終わりを待ちながら、エンケパロスは数式を書き続けた。



次回、酒神の帰還

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