第二話 臥少女・失少年
前回、事の顛末
「行ってきます」
「行ってらっしゃい」
次の日、朝食を食べ終えた蛍は、実家から出て学校に向かう。
ミーンミーンと、蝉は朝から合唱に明け暮れている。
夏の日差しは暑さを増して、季節が本格的に夏に入ったことを知らせる。
制服の中が暑い。少し歩いただけでこれだ。じんわりと汗が滲む。
夏と聞くと海や夏祭り、花火など華やかで笑顔溢れる情景を連想するが、現実はこれである。
蒸し暑い温度。冷房が無いと到底乗り越えられない夜。
万単位の人が熱中症で倒れ、1000人以上の死者が出ることもある。
理想とは遠く離れた、猛暑と汗の天国。
ああ、冷水を頭から浴びたい衝動に駆られる。
そんなことを考えていると美羽の家に着いた。
昨日も言ったとおり、美羽が今週学校に行くことは無理だ。
もしものことを考え、念のため大事を取って休むべきだと、僕は昨夜美羽に言った。
けど、つい期待してしまう。僕がチャイムを鳴らしたら、いつものように美羽が扉を開けて出てくるのではないか、と。
念のため、LINEで確認しておこう。
『おはよう美羽。調子はどう?』
数秒後、返信が戻ってきた。
『おはよう。だいぶ楽になってきたよ。
今外にいるの?』
僕が返信する前に、美羽の家、二階の窓のカーテンが開く。
青と白の、水玉模様のパジャマを着ている美羽が僕を見つけた。
窓を開け、僕に手を振る。
「カナによろしく言っておいて」
「うん。美羽も大事にね」
やがて窓が閉まり、美羽の姿が見えなくなる。
元気そうで良かったと、僕は一人通学路を歩く。
横に美羽がいないと違和感を覚える。
いつも僕の側で笑ってくれる親友。
今、僕の横には誰もいない。
失って初めてその大切さが分かるというが、まさしくその通りだ。
今週はずっとそれを味わうのだろうか、それは嫌だな。
歩いていると、通学路の先から見覚えのある女子生徒が現われた。
見間違うはずがない、奏だ。
「おっはよー!! 蛍にみ――、あれ?」
「おはよう、奏。えぇと、君に言わないといけないことがあって」
美羽がいないことに気づいた奏に、事の次第を語る。
奏は神妙な顔でそれを聞き、苦虫を噛みつぶしたような表情で頷く。
「そっか、風邪で寝込んじゃったのか。
夏バテでもしたのかな? この時期めちゃくちゃ暑いしね」
咎人と戦って、未知の毒のせいで伏せました、なんて言えるわけがない。
だから風邪で寝込んだことにしておいた。美羽にも後でそう言ったと伝えておこう。
「うん。だから今週は学校に来ることができないんだ」
「そっか、無理なのか」
奏はしょんぼりと肩を落とす。
だけど数秒後には笑顔を取り戻した。
「なら放課後お見舞いに行かなくちゃ!
こういう時って果物持って行くのがベターだよね。
美羽の一刻も早い回復を願って、美味しそうなのえ~らぼっと」
上機嫌に、今後の予定を立てる奏。
相変わらず立ち直りが早い。
「ほら、学校遅れちゃうよ。早く行こ!」
前を走る奏が、手招きで僕を呼ぶ。
僕はそれに応じ、奏の後を追うのであった。
学校、休み時間。
いつも通りに白髪を見つけ、そして抜く。
計6本。朝と合わせて14本。
咎人の毒を喰らった影響か、これまでよりも白髪が増えている。
というよりも、最近白髪が増加傾向にある。気のせいだろうか?
どちらにせよこれ以上増えて欲しくない。
これ以上増えたら、本格的に髪を染めることになりかねない。やり方分かんないな、どうしよう。
そんなことを考えていると、こっそり僕の背後に誰かが忍び寄っていた。
「ほ~た~る~」
後ろから肩をポンポンと叩かれ、声の方向へ顔を向ける。
そこにいたのは奏。僕にこんなにフレンドリーに接してくれるのは美羽か奏くらいだ。
「どうしたの奏?」
「暇!」
ああ、うん。そうだろうね。
大体休み時間の奏は、僕か美羽と話すか、違う友達と話しているかの二択だ。
奏は僕の机の前にしゃがんで僕と目線を合わせる。
「朝に言うの忘れちゃったけど、この前の誕生日ありがとうね。
蛍のくれたマカロンとっっっても美味しかった!
お父さんとお母さんと一緒にパクパク食べちゃったんだから!!」
「はは、そう言ってくれると嬉しいよ」
全身で喜びを表現する奏。
こんなに喜んでもらえるならプレゼントした甲斐があるというものだ。
「美羽にもお礼を言わないとね。あんなに綺麗なブローチ貰ったんだし、今日のお見舞いも豪華なの選ばなきゃ。
多少散財しても仕方ないよね!」
「無理しなくても良いんだよ。物は重要じゃない。
美羽は奏が来てくれるだけで嬉しいと思うよ」
「そう? ならその分全力で感謝しなくちゃ」
やがてチャイムが鳴って、授業担当の先生が入ってくる。
「じゃあ、またあとで」
「うん。また」
奏が机に戻る。次の授業は数学だ。
確か今日は難しい問題が出てくる。予習したとはいえ、理解できていないところもある。
先生に指されたら大変だ。授業の内容に集中しなくては。
放課後。チャイムが鳴り、生徒一同が解散する。
結局、数学の授業では解けない問題で詰まった。
その後先生の話を聞いて理解出来たが、これは放っておいたら忘れる。要復習案件だ。テストにも出そうだし。
授業中や休み時間の合間、時折僕は美羽の席を見ていた。
美羽がいないから、その席の空白が嫌に気になる。
それを考えて、授業中に何度か集中が途切れてしまった。
これじゃあまるで恋しているみたいだ。僕と美羽は幼馴染みだっていうのに。
荷物を整理し立ち上がると、再び奏がやってきた。
「お疲れ。この後美羽の家に行くの?」
「うん。少し買い物した後にね」
「私も部活が終わった後に向かうから。先に美羽の介抱よろしくね」
「わかった。元気になってもらえるよう頑張るよ」
その言葉を聞いて、奏は満足したようにラケットを持って立ち去る。
僕も学校を去る。きっと美羽は家で退屈にしていると思う。
早く買い物を済ませて美羽の元へ向かおう。
■ ■ ■
一方、美羽はその頃。
蛍の予想通り、ベッドで暇を持て余していた。
「・・・・・・・・・・暇」
ベッドをゴロリと転がって、私は退屈を持て余していた。
暇だ。一日の内でほとんど動いていない。
熱は下がった。けれど、倦怠感は未だ残っている。
何をするにしてもだるい。退屈を紛らわすためにスマホを見ていたが、ものの数分で疲れてしまう。
水を飲みに行くのにも、足下がふらつきおぼつかない有様。
休みというものは、健康な身体でなければこんなに暇なものなのか。
人は無くしてようやくその大切さに気づくと言うが、それが身に染みて分かった気がする。
それに気づけた分、今回床に臥せたことも収穫と言えるだろう。
早く元気になりたいなぁ。
スマホで時間を確認する。
4時。高校では放課後を向かえているだろう。
休み時間。蛍が放課後に立ち寄ると、LINEで伝えてきた。
ありがたい限りだ。その約束を頼りに、暇で仕方ない私は、もう少しの辛抱だと自分に言い聞かせてきた。
人は希望をなくしたら死ぬのだから。
誰かがそれと似たようなことを言っていた気がする。
ええと、確か『夜と霧』の著者のフランクルだったっけ。
哲学の時間。大雑把な説明で有名な我が校の橘先生はこう言っていた。
「当時、フランクルが収容されていたナチスの収容所は酷かった。
絶望だ絶望。お先真っ暗。
だけどそんな時に、人が生きるか死ぬかは希望を持っているかどうかって発見したとさ。
希望を持ってればそうそう死なないし、希望捨てたらすぐに死ぬ。
本当はコペルニクス的転回のことも話したいけど、さすがにそれは試験で出ないだろ。
ま、興味持ったら自分で調べろ」
それを思い出して、思考する。
もしも、フランクルが私と同じ顕現者になったら、それはどんな顕現になるのだろうか。
どんな状況であろうと、自分の人生には意味があると信じて、希望を持つ。とか?
ピンポーン
そんなことを考えていると、玄関のチャイムが鳴った。
がばっ! と、勢いよく身体を起こす。
ふらつきながらも、早足に玄関に向かい、取っ手を握る。
「やあ、美羽。遅れてごめんね」
そこにいたのはやっぱり蛍だった。
手にはビニール袋を持って、肩には通学用の鞄を背負っている。
学校が終わって、自宅に帰らずにそのまま来てくれたようだ。
友人の姿を見て、自然と笑みがこぼれる。
「来てくれてありがとう。上がって」
言われた蛍は、靴を脱いで私の家に入る。
外は暑かったはずだから、何か飲み物を出してあげなくちゃ。
とりあえずリビングで待って貰って、私は冷蔵庫の中のお茶をコップに注ぐ。
「はい。どうぞ」
「ありがとう。調子はだいぶ良くなってるようだね」
コップを手渡された蛍は、すぐに手をつけずに私のおでこに触れる。
昨日と同じく熱を測る。やがて問題なさそうに手を離した。
「学校、どうだった?」
私が聞いたのは学校のこと。カナのことや、授業がどれだけ進んだのか。そんなこと。
「奏は美羽のことをやっぱり心配してた。風邪で寝込んでるって言っておいたよ。
後でお見舞いに来てくれるって」
「え、カナが?」
「うん。お見舞いの品を持ってくるって」
カナが来てくれる。それがただただ嬉しくて、同時に少し申し訳なかった。
やっぱり心配させちゃったのかな。カナに曇った顔はしてほしくない。
「カナは部活が終わった後に来る。
それまで、今日の授業でどれだけ進んだか教えるよ」
「ほんと!? ありがとう蛍!!」
それはありがたい。テストが近くて気になっていたところなんだ。
蛍が机の上に教科書類を広げる。
「調子が悪くなったらすぐに言ってね。
無理して勉強することはないから」
「大丈夫。心配しないで。無茶はしないから」
その言葉を聞いて、蛍は今日の授業の説明をする。
蛍の説明はわかりやすい。前回の授業の内容も踏まえて、50分の内容を10分足らずで説明してくれる。
ノートを見れば納得だ。先生の重要そうな話は逐一メモし、問題は重要度の高い順にA~Cにランク付けしている。
字も綺麗で見やすい。行間を適度に空けているから、私のように文字がぎゅうぎゅう詰めになっていない。
私は蛍の横顔を見る。
優しい笑顔。いつも私に見せる、その表情。
近くに蛍がいる。
そのありがたさを噛みしめながら、私は蛍の説明に耳を傾けていた。
次回、アクシデント




