第十四話 終わっ、た?
前回、背教賛歌
堅洲国・第九層
深淵の奥底で、彼女は椅子に横たわっていた。
周囲は美しい花々で囲まれ、幻想的な蝶々が辺り一面に飛んでいる。
その数幾千、幾万、幾億。色も形も違う蝶々。
いや、よく見ればそれらの半数は蛾。地味な色も派手な色も、様々な羽が世界を彩る。
それらのすぐ側には泉が湧き出てそこに蓮の花が浮かぶ。
楽園。そう形容するにふさわしい光景。
その縄張りの中、微睡みから目覚めた女性は一言呟いた。
「負けた、か。粛正機関にも優秀な人材がいるのだね」
やれやれと、その女性は身体を起こす。
その身なりは楽園には場違いな格好だ。
黒い軍服を纏い、腰には一振りの剣を携え、そしてなにより左胸に突き刺さった槍。
心臓の位置する箇所を貫いている槍の穂先からは、今も大量の血が地面に滴っている。
死んでいてもおかしくない。というか現在進行形で彼女は死んでいる。なのにこうして生きている。
この矛盾をどう説明すればいいのか。それは簡単。
既に生死の概念など超えている。そんな領域に彼女は存在している。
彼女の意識はここから上の層。美羽と蛍、そしてブルーワズが戦っていた四層に向けられていた。
その戦いの一部始終を見ていた。彼女が与えた刻印には、美羽たちが使用していた感覚共有の機能が備わっている。
感覚の全てをブルーワズと共有し、彼女も戦闘を体験していたのだ。
「新たな力に覚醒し、強敵を倒すか。絵に描いたような逆転劇だ。
ありふれている、もしくは定型と化したパターンとも言うね」
どうにせよあの少年と少女がブルーワズを倒したことは事実だ。
彼らの実力と、運と、なによりその想いを、軍服の女性は心から賞賛した。
賞賛し、そして同時に思った。
あの二人は、どのような人生を送ってきたのだろうか。
どのような経緯で粛正機関に属しているのだろうか。
どのようなきっかけであの顕現が発現したのだろうか。
疑問が次々と浮かぶ。元より未知の事はとことん調べないと気が済まない性格だ。
彼女は微笑み蝶蛾の楽園を見渡す。
そして友人に声をかけるように、その人物を呼んだ。
「ガブリエル。いるんだろう? 用事が出来たから姿を現してもらえると助かる」
変化があったのは軍服の女性の目の前。粒子のように細かい光の粒が集まり出すと、人型を形成した。
現われたのは長身の男性。肩までかかる長い亜麻色の髪に、白いスーツ。青いネクタイに、整った美形の顔。
ガブリエルと呼ばれた彼は、軍服の女性の前に立つ。
「何の用だ?」
感情を感じさせない、無機質な声。
よく見れば赤いその目は死んでいるように濁っている。
死者を連想させるような声。それでいながらはっきりとした口調で、彼は軍服の女性の返答を待つ。
「今さっき、私の顕現の被検体が粛正機関に殺された」
「ああ、私も見ていた」
ガブリエルの言葉に女性は気をよくする。
「なら話は早い。あの二人、女性は美羽で、男性は蛍と言ったかな?
その二人について調べて欲しい。君ならすぐに終わるだろうガブリエル。情報収集に長けた君なら」
「それを調べて、お前はどうする気だ」
「いやいや、どうもしないさ。単なる好奇心だよ。
興味が湧いた、食指を動かされたとも言うね」
「・・・・・・そうか」
「それで、やってくれるかな?」
ガブリエルの返答を待つ軍服女性。
答えはすぐに返ってきた。
「いいだろう。今回の件は我々も無関係ではない。
ひょっとしたら、万が一の可能性もある」
承諾すると、ガブリエルの身体が消え始める。
この楽園に現われた時と同様に彼の身体から光の粒子が漏れ出して、その存在が薄くなっていく。
数秒後には完全に消えた。
それを確認した女性はまた元の椅子に座り、ご機嫌に歌を口ずさむ。
これから先、さらに世界が面白くなると信じて、確信して。
「蝶々、蝶々、菜の葉に止まれ。菜の葉に飽いたら桜に止まれ。
桜の花の、栄ゆる御代に、止まれや遊べ。遊べや止まれ」
それは日本人なら誰もが耳にしたことのある童謡。
蝶々が一斉に飛び去り宙を舞う。
まるで竜巻のように、花を散らして楽園を飛び去っていく。
先日彼女がブルーワズに施したように、更なる力を与えんがため、咎人の元へ飛び去っていく蝶々の群れ。
その竜巻の中で彼女は虚空を見つめながら告げる。
「さあ、お楽しみはここからだ」
■ ■ ■
倒した・・・・・・・・。
目の前で砕け散る咎人の姿。
その破片は風に乗り、彼方へと吹き流れていく。
崩壊していた古城がその形を失っていく。
瓦礫の山も頭上の夜天も、縄張りが幻だったかのように薄れて消えていく。
いつの間にか私たちはいつもの赤黒い大地に立っていた。
同時に自分の中に何かが入ってきた。
それは強力な想念。膨大な魂。
気をつけないと自分が押しつぶされてしまいそうな程の熱量。
その全てが自らの魂と融合する。
そして、同時に咎人の記憶と感情も、私の中に入ってきた。
怨嗟、怒り、憎悪、悲嘆、莫大な負の感情が私の中に。
食べ物が喉を過ぎたような感覚と共に、私の霊格が増大したことを感じる。
全身に力がみなぎる。今までの自分とは比べものにならない力が手に入った。
魂喰い。世界に流れる法則であり魔術。
他者を殺すことでその魂を自らのものにする禁忌の術。
私は、咎人を喰らったんだ。
ここでこちらに歩み寄ってくる人影に気づく。もちろん蛍のものだ。
その彼にふりむいて、疲れたけど精一杯の笑顔を向ける。
「蛍、終わったよ」
「・・・・・・・・・美羽?」
だけど、蛍の声には勝利の喜びがない。
妙だ。咎人を倒したのに、蛍は怪訝な表情をしている。
「美羽!」
唐突に叫びながら寄ってくる蛍。その顔は切羽詰まっている。一体どうしたの?
ポタッと、地面に水滴が落ちる音が聞こえた。
視線を下げる。水滴は今も顔を伝って、地面に落ちていく。
顔? そう、顔から。
手で顔を拭う。
べったりと、少し粘着性のある血が、手を真っ赤に染めている。
「あ」
忘れてた。私、さっき毒を喰らって。
直後に酷い倦怠感と、魂が抜けるような虚脱感が襲ってきて、身体中の緊張が全て解けた。
視界が赤く染まり、身体が崩れ落ちながら、私は、
私は・・・・・・・・・。
次回、おまけ