第十三話 背教の歪脚
前回、思い上がった毒鳥
戦況は芳しくない。
美羽の必殺技を耐えきられた後、美羽と蛍は二人でブルーワズを相手取っていた。
超速で攻撃を仕掛てくるブルーワズ。その速さと手数は秒を刻むごとに増していく。
美羽と蛍も必死に追いすがっているが、一人ではどうしても限界を迎える。
一方が攻撃に移れば、もう一人はカバーに入る。
一方が防御をとれば、もう一人は咎人に仕掛ける。
スポーツでいうダブルスのようなもの。二人は互いに息を合わせ、ブルーワズに攻防を繰り返す。
もちろん搦め手も使う。蛍が目眩ましに強烈な光を発生させる。しかし効果はない。
美羽がもう一度穏行の術を発動しても、奴には見えているのか、不可視の攻撃を軽々対処される。
見えないものを視る魔術。恐らく見鬼の術かそれに類するものとみた。
これではもう一度、長い溜めが必要なEl Diablo Cojueloを使うのは無理だ。
希望があるとすれば、ブルーワズの身体が今にも崩れ落ちそうであることか。
腕は今にも千切れそうだ。身体からは動くたびに血がこぼれ落ち、破壊痕が広がっている。
殺す事はできなかったとはいえ大損傷であることは言うまでも無い。美羽が前回与えた損傷を超えている。
問題なのは、それでもブルーワズが止まらないことだ。
精神が肉体を凌駕しているのだろう。確かにその表情には鬼気迫るものがあった。
それに呼応して、その速さも存在強度も段々と増している。
(こうなったらこのまま押し切るしかない! 蛍!)
(わかった!!!)
蛍が一歩前に出る。
ただでさえ無理をしている身体に鞭打ち、限界を少し超える。
両手に持っている双剣でブルーワズの手を切り裂く。
そのまま切断する。ブルーワズの両腕が空に舞った。
「そこだ!」
がら空きになった胴体に美羽が一撃を入れた。
吹き飛ぶ青銅の狂鳥。城壁に当たり、その勢いが止まる。
そのまま地面に崩れ落ちる音がする。
これで終わったか? 二人がそんな希望を抱いた時。
「ギャアアァァァァァァアアアアアアア!!!」
咆哮と共に、消えかけていた眼孔に光が戻る。
あれでまだ倒れないのか。荒い息づかいと共に毒鳥が立つ。いや、それだけではない。
ブルーワズの両腕。蛍が切り取った断面。そこが一瞬泡立ったかと思えば、そこから新たな腕が生えた。
(再生! しかも早い)
さすがに美羽の破壊痕は容易には再生できない。だがそれ以外の箇所は、ビデオを逆再生したかのように治っていく。
異変はそれだけに収まらない。
ブルーワズを中心に、周囲の毒の濃度がさらに高くなっていく。
見るからに危険な黒色の粒子が漂う。
景色が歪む。まるで飴のように空間が溶解する。
ついに臨界点を突破したのか、空間が溶け出すなんて異常事態が起こり始めた。
(まだ毒の濃度が上がるの!?)
さすがに、これ以上はきつい。
ブルーワズが扱う毒は攻撃にも防御にも使える。
毒を身体に纏えば二人の攻撃を潰す。触れた手足が朽ち、武器が錆びる。
その状態でブルーワズが攻撃すれば相手に毒が回る。身体の自由が奪われ、死に至る。
攻防一体とはよく言ったものだ。
「ハァ、ハァ、ハぁ、ここ、は、一体?」
猛毒の中心地。源泉であるブルーワズは、突如として頭を抑えだした。
荒い呼吸を繰り返し、それまでの絶叫とは打って変わって、静かな声で自問自答を繰り返す。
まさか、理性が戻ったのか?
「ああ、あぁ。なるほど。そうか、確かに、そうだ――」
独りごとを呟いて、唐突にその目が鬼のように血走った。
「おのれあの女ぁぁぁぁぁああああああ!!! よくも我にこのような真似をしおってぇ!!!
許さん! 許さん許さん許さんぞぉ!!! 必ずや貴様を切り刻み、引き千切って、塵の一つも残さぬわぁ!!!!!」
絶叫。これまでの獣のような叫びでは無い、意思のある咆哮。
その怒気がこちらまで伝わってくる。大気が地震のように震え、振動が二人の身体を打つ。
そしてその怒気は急遽二人に向かう。
「だが! だが今は貴様らが先だっ!!
我が糧として、今度こそ朽ちるがいい!!!」
吼えたブルーワズは身体を弓のようにしならせる。突進の体勢だ。
二人は咎人から目は離さない。その一挙一動を見逃さずに凝視する。
しかし、
「!?」
気配を感じたのは背後。ほぼ直感による感知。
最早光速を何千倍突破しているのか。二人の反応速度を遙か上回り、ブルーワズは背後を取った。
ブルーワズは、まず蛍に狙いを定めた。
超劇毒を纏った手で、蛍の身体を貫く。
蛍が悲鳴を上げる暇すら無いまま、手を振るって蛍を城壁に叩きつけられた。
「蛍!!」
考えるより先に手が動く。
間近にいるブルーワズに破壊の手を伸ばす。
だが致命的に遅い。
ブルーワズは余裕で破壊の一撃を避け、美羽の首根っこを掴んで持ち上げた。
「かはっ!」
その手に触れた首から全身に毒が回る。
毒素を破壊するがまるで間に合わない。思考が徐々に停止し、視界がぶれ、呼吸ができなくなっていく。手足に力が入らない。
身体の中が焼けただれるように熱い。そうであるのに身体の芯だけは嫌に寒い。
全身から玉のような汗を流して、しかしそれが体表に出た瞬間に蒸発する。
ジュグジュグと、首が腐ったように溶けていくのがわかる。
身体中の血管が破裂し、口から静かに大量の血を吐き出している。
まずい、これは非常にまずい。早く、離れないと。
手足に力を入れても、目の前の咎人は私を離さない。
それどころか、さらに毒の強度を上げる。確実に殺すために、油断の一切を排除している。
(ここで、死ぬのかな?)
美羽が感じたのは達観。天上から地上を望むような、悟りにも似た俯瞰。
時間の流れが遅く感じる。自らの過去が脳内に浮かぶ。これはあれか、走馬灯か。
なんだろう。段々と何も感じなくなってくる。
暑さも寒さも感じない。
首を掴んでいる咎人の手も、口内に溢れる血の味も、一切感じなくなっていく。
手足の感覚は既にない。嗅覚も、聴覚も、視覚も、全部白くなっていく。
なんだか、気持ちいい。死の危機に、なぜか美羽は多幸感を感じていた。
それも当然。一説には死の瞬間、脳内はドーパミンやβエンドロフィン、セロトニンなどの快楽物質を大量に放出する。
その量は性行為時の100倍から200倍にも匹敵するとか。
しかしその幸福も一瞬のこと。
ブルーワズの毒は脳が放出したそれら快楽物質を即座に分解。
脳髄ごと溶かしながら、体内で荒れ狂う毒は体細胞を軒並み溶解し分解する。
痛い、ということはない。神経系すら毒が汚染し、痛いという情報を脳に送信することはない。
だから何も感じない。感じないまま、速やかに死への道を爆走する。
視界が白に染まっていく。
まるで白い海へ入水し、そのまま深海へ落ちていくような。
このまま、この白に溺れてしまっても・・・・・・・・・・・・。
――ぴちゃ。
何も無い白い空間。しかし音があった。聴覚などとうに失われているのに。
ぴちゃ。ずる。べちゃ。
視覚が戻る。白い空間に、一点の黒が現われる。
かと思ったら黒はあっという間に白を塗り尽くした。
それは、いつもの夢の光景。
あの、終わらない、永遠の闇。
そしてそこに住まう主の姿。
こちらを見ている、赤い目。
絶対の悪、漆黒の王。
――嫌だ。
何がなんだかわからないこの状況で、それでも私は否定した。
嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だ!! 私はあれにだけはなりたくない!!
何をどうしても、貴方だけには捕まりたくない!!!
死など比較にならない絶対的恐怖を前に、美羽は脚が絡まりながらも少女に背を向ける。
意識を元の居場所に戻す。この黒の空間から逃げる。
彼女から逃げる。
その間際に、
「くす」
黒に住まう何かが、美羽を嗤った気がした。
■ ■ ■
覚醒の光は、咎人の胴体を易々と破壊した。
「!!?」
驚愕したのはブルーワズ。何が起きたか分からず呆然とする。
先ほど自らに重傷を負わせた一撃を目の前の女が再度撃たないのは、それを溜めるのに時間がかかるからだということは理解していた。
それ以外の攻撃など、もはや自分に傷をつけられないことも理解していた。
(それなのに、それなのになぜこいつは!)
美羽から手を離し、距離を取る。損害を確認し、更に驚愕する。
胸に空いた損害の痕は全く治らないばかりか、その箇所だけ自らの法則が通用できない。
これでは顕現が適用できない。魔術による治癒もできない。
この力は、何だ。
動揺するブルーワズとは反対に、美羽は落ち着いていた。
ついさっき死にかけていたのが冗談のように。
今も毒による損傷は続いている。首はグラグラと今にも腐り落ちそうで、変色した血は悪臭を伴いながら、止めどなく流れている。
だけど、まるで悟りの境地に至ったかのように、心は波風立たず凪のように静かだった。
咎人を蹴り飛ばしたその脚を、漆黒が膝まで覆っていた。
流線型の黒いブーツ。両腕の顕現と同様の力が、その脚に集まっていた。
「顕現・背教の歪脚」
考えることなく、言葉はひとりでに零れた。
私が両腕を顕現する時のように、きっと魂に刻まれている言葉なんだ。
蛍を確認する。蛍は蘇生を完了していて、その光景に驚いていた。
ブルーワズも警戒している。攻めあぐねていると言った方が近い。
私は蛍に思念で意思を伝える。
(蛍、私がやる。離れてて)
(わかった)
蛍の姿が消えるたのを確認すると、美羽はブルーワズに視線を戻す。
履き心地は良い、すんなり馴染む。それでいて重さを全く感じない。
空気を履いているようだ。靴に翼が生えたらこうなるのかな。
爪先で地面を叩く。
トーンと、水面に響くピアノのような音が響くと。
ブルーワズの反応速度すら超えて、その目前に美羽が現われた。
「!?!」
ブルーワズはすかさず手を振りかざすが、美羽の速度が上回った。
上から振り下ろされる毒手を、美羽が蹴り上げる。
吹き飛ぶ青銅の右腕。ブルーワズはその威力よりも速さに驚いた。
瞬間的な速度だけでいえば、自分を超えている。
旋回して、美羽は次の一撃を用意する。
それを見て、やれるものならやってみろとブルーワズは自らの想いを高める。
さらに濃縮する毒。攻防一体の毒。攻めに入れば絶大な攻撃をもたらすと同時に、守りに入れば容易に触れられない鎧となる。
マグマに脚を突っ込むのと同義だ。
自らの顕現に信頼を置いたその判断は、すぐに間違いだったと思い知ることになる。
「ッなにぃ!!!」
美羽の回し蹴りが腹部に直撃する。腹部の破壊が更に進んだ。
自らを覆う毒の鎧は、まるで障子のように容易く破られ、青銅の皮膚を貫通し肉に牙を突き立てる。
慌てて飛び退き毒を操作する。致死の毒を運ぶ風は竜巻の如く美羽に襲いかかる。
それに対して、美羽は横に脚を薙いだだけだった。
たったそれだけで、竜巻はかき消え毒が粉々に破壊される。
その光景を見ていた蛍は驚愕と賞賛を同時に感じていた。
(すごいな。美羽の顕現、あれは恐らく法則、理を破壊してるんだ。
顕現者なら誰だって持っている自分だけの理。そして想いから産まれる顕現。その両方を無効化し、破壊する。あれに触れたらどんな攻撃も防御も張り子の虎になるわけか。
顕現者に対して防御不可能の攻撃手段を得たんだ。
それにしても、まさか美羽が派生形とは)
「舐めるなぁ!!!」
怒号を爆発させたブルーワズは掌に黒い粒子を溜め込む。
ジュグジュグに腐っている脳内の危険信号の全てが警鐘を鳴らす。
あれに触れたら駄目だ。身体も魂も、毒されて朽ち果てる。
やがて完成する漆黒の弾丸。三メートル強の毒弾は、放たれた瞬間世界をいっそう毒した。
世界を腐敗し、溶解し、分解し、穢していく。
遠く離れた蛍のところまでその波動が伝わる。
もちろんそれは放たれた美羽も同様。
迫り来る死の毒弾。
触れれば即死は確定。
だけど、不思議と怖くは無かった。
一閃。サンッと巨大な毒の弾に縦に光が走る。
武装した脚で引き裂いた。
それだけで、毒の弾はその法則を失い、その存在が解体される。
ブルーワズの必殺を、いとも容易く、破壊した。
「ッ!!!」
その光景に、ブルーワズは動きを止めた。
全力の一撃だった。自分の総力を挙げて放った必殺だった。
それを、たった一瞬で。
ブルーワズに動きがあった。
攻防一体の毒を破られ、掌から血が滴るほどに握りしめ、青銅の鳥は上空に飛び上がった。
そのまま身を翻し、遙か彼方に飛行する。
逃げる気だ。自らの不利を察したか。
しかし二人も逃がす気はない。
「蛍! 足場!」
「わかった!」
短い単語だったが、美羽の意図を察した蛍は、上空に足場を想像する。
美羽はその足場を駆け、飛び乗り咎人を追いかける。
美羽が別の足場に飛び乗る際に、顕現の特性故にその足場が砕ける。
傍目には、幾多の足場が一斉に壊れるように見えるはずだ。
ブルーワズも負けじと加速する。最後の執念を燃やす。
行く手を塞ぐ蛍の想像による妨害。壁が、武器の群れがブルーワズの行く手を阻む。
それを破壊し、突破して、自らの生を拾う。
生きる、生きるのだ。生きていればチャンスなどいくらでも訪れる。
生きて、まだ先を目指すのだ。ケルビムを超え、セラフィムさえも超え、全てを超えたところへ!
こんなところで、我が終わっていいはずがない!!!
故に死ぬわけにはいかぬのだ。死ねば終わりなのだから。まだ生きていたいのだから。
「それは」
無我夢中になって空を飛び続けたブルーワズの耳に、流水のように入ってきた美羽の言葉。
「貴方に殺された方も、そう思ったでしょうね」
気づけば眼前に、滑り込むように立ち塞がる美羽がいた。
蹴り上げる一撃。ただでさえ破壊が進んでいる胴体に、とどめの一撃が放たれる。
毒の鎧と青銅の皮膚を容易く破り、胴体を貫通し、その魂を完全に粉砕した。
「グ、ガアアアァァァァァアアアアアア!!!」
最後の絶叫は空に散り、その身体の一片までも、壊れて消える。
バキンと、生命が終わる音がした。
次回、あれ?