第二十五話 深緑の顕現
前回、変換
堅洲国・第六層。
集とムスビメ、二人の顕現者の戦闘を、否笠は別の場所で見ていた。
彼の寄り道は終わった。なんてことはない、ただのお使いのようなものだ。欲しい物も手に入った。
感覚共有。他者との間に独自のネットワークを形成し、必要な情報をやりとりする魔術。
これによって遠く離れた場所であっても、リアルタイムで会話のやりとりをすることができる。
今回は視覚を共有している。これによって集の現状を見ていた。
本来ならすぐにでも集へ助力するのが正しい選択なのだろうが、否笠は傍観を決め込んだ。
理由? このまま集一人に任せても大丈夫だと考えたからだ。
戦況は睨み合いが続いている。
相手に接近したい集と、このままの距離を保ちなぶり殺したいムスビメの駆け引き。
両者、一瞬でも隙を見せたら寝首を掻かれる緊迫した状況。
(縄張りは咎人が隠れる空間であり、自らの存在が空間に流れ出た世界。
つまり空間全体が咎人と言ってもいい。
その世界では空間も時間も咎人の管理下。下手に空間転移をして近づいたらカウンターを喰らいます。
考えていますね集君)
そして、痺れを切らしたのかムスビメは顕現を発動した。
萌芽。まさしくその名の通り、世界に植物が芽吹き急成長を遂げた。
おそらく縄張りの中なら全てが効果範囲なのだろう。先ほどまでのどかな平原だった光景が、今やジャングルの奥地に様変わりしている。
これでムスビメの望む通り、集に接近させずに追撃を加えることができる。
■ ■ ■
一方、当の本人である集。
突如ジャングルと化した空間。地鳴りを挙げて芽吹く樹木。
巨木は槌の如く大地を打ち、舞い落ちる葉はナイフのように肌を切り裂く。
地面を伝う蔦は罠のように足に絡みつき、集の動きを阻害する。咲いた花からはいかにも危険そうな赤い花粉が飛ぶ。
それら追撃を躱しながら、相手の顕現に思考を巡らせる。
その威力、範囲、規模、能力は如何ほどのものか、おおよそ見当はついた。
次に考えるのは打開策。相手の顕現に対し、今自分が持っている武器でどのように攻略するか、それを考える。
しかし、その思考は強制的に阻害された。
ズキッと、肩に鈍い痛みが走る。
「!!?」
慌てて確認する。そこには衝撃的な光景が。
肩の肉が盛り上がっている。正確には、俺の肩から植物が生えている。
植物は瞬く間に俺から養分を奪って急速に成長し、ハエトリ草のような花を咲かせる。
開花したそれには、口と鋭い牙がついていた。
「キシャアアァァアアアアアアアアアアアア!!!」
絶叫をあげる花。いや絶叫したいのはこっちだよ!
俺を食おうと口を最大限に開く食人花。
させるか!
速やかに肩の肉ごと、寄生されている部分を切り落とす。
地面に落ちた肉を、食人花は引きちぎるように嬉々として食べる。
背筋が凍る。ホラーにも程があるだろ。
切り落とした肩からは燃えるような痛みを感じるが、それもすぐに終わる。
(コンバート)
肩の欠損部分を補うように、肉が元の形を取り戻す。激痛が消える。
俺の顕現は手で触れることで発動できるが、俺自身を対象とする場合触れる必要はない。
ダメージを受けてもすぐに元に戻せる。半ば不死の状態に足を突っ込んでいる。
この力が無かったら、俺の身体は肉片ほども残ってない。
さて、今の食人花はどういうことだ?
ぱっと思いついたのは、特定の範囲内に植物を創造していること。
奴は萌芽と言った(正確には言ったように感じた)。空間を塗りつぶさず、こうやって目に見えて現れているということは、奴の顕現は具現型だろう。
その力は、植物を自在に発芽させ、操ることではないか?
今も地面から大量の食人花が咲いている。
こうなったらもう展開型と大して変わらないな。
ちなみに、さっきから俺は具現型とか展開型とか専門用語を使っているが、これは顕現の種類別の読み方だと思ってくれればいい。
目に見える武器や物質の形をとる具現型。
目に見えない事象や概念を発生させる無形型。
周囲の世界を支配する展開型。
この三つが顕現の主な種類。もちろんこの三つに大別できない顕現もあるが、顕現は九割方この三つに当てはまるので例外を覚える必要はあまり無い。
桃花店内なら、具現型は美羽ちゃんやアラディアさん。
無形型は蛍君、店長、天都さん、俺。
展開型は、霞さんって人がいるんだが、あの人は今出張中だ。
さて、そんなわけでムスビメの顕現は具現型だ。
植物が空間中を覆い尽くしている現状を見れば展開型とも思えるが、展開型なら空間そのものが変化する。
空気の一片までもが奴の法則に染まり、俺を塗りつぶそうとする圧力が発生する。
しかしムスビメが顕現を発動させてからその圧力は感じられない。ゆえに消去法で具現型に決定。
(さて、顕現もあらかたわかったし、さっさとこの現状から脱しないとな)
手を地面に当てる。硬く湿っているような大地に触れ、それに向けて顕現を使う。
「コンバート 不毛」
直後、緑あふれる大地が一本の草木も生えない不毛な大地に変わる。
地面中の水分が一気に枯渇して、大地に罅が走る。
草木が枯れて灰となる。
やがて辺り一面に灰の霧が漂った。
これで目の前に広がる植物は完全に消え失せた。
魔術で風を発生させ、霧を吹き飛ばす。
視界の端に映るムスビメ。互いの間には何も障害物は無い。
今がチャンスだ。
駆ける。音も、雷も、光も、何もかも追い抜いて迫る。
しかし、ムスビメもただ待っているだけではない。
空間が歪む。歪曲したその狭間から、樹木が生える。蔦が生える。花が生える。
どうやら植物を発生させるのに土壌なんて必要ないようだ。
不自然に生えた木々が爆発的な速度で俺に襲いかかる。
だがひるまない。迫る樹木を、躱して、燃やして、殴って、対処する。
あと少し。コンマ1秒以下の世界。感覚の全てが刃のように研ぎ澄まされる。
間近まで迫った俺の視界の全てを、一片の光なく樹木が覆った。
恐らく最後の抵抗。これを切り抜ければ奴がいる。
壁のような樹。それに拳を叩きつける。
押しつぶされそうな衝撃。今にも爆ぜそうな腕。
悲鳴を呑み込み、命令を下す。
「コンバート 虚無」
触れている樹木の存在を、無に。
直後、威圧感を放っていた巨木が、霧散したかのように消えうせる。
最後の壁を突破した。
消えていく樹木の隙間から、幾重もの枝を伸ばしたムスビメが姿を現した。
特攻。直前の攻撃は目隠しだったようだ。
関係あるか!
ムスビメが鉄骨のような蔓を放つ。
薄皮一枚分、超速で放たれた蔓の鞭を横に躱す。
がら空きの本体、そこに手を伸ばす。
触れる。ガサガサした、まるで落ち葉のような感触。
確かに生きている、命。
(・・・・・・・・・コンバート、消滅)
■ ■ ■
両者の動きが止まる。
不気味なまでに音が無い。まるでいつもの堅洲国のように。
しかしその静寂も一瞬。
さあぁっと、砂が風に吹かれるように、粒子のようにムスビメの身体が崩れていく。消えていく。
そして消える。後に立つのは俺だけ。
その存在が完全に視界から消えると同時に、何かが俺の中に入ってくる感覚がする。
それは俺の霊格と結びつき、融合し、一つになる。
俺は自分の存在がさらに膨張したことを確認した。
これが魂喰い。他者の魂を喰らって自らのものとする術。
自分が強くなれる、最も手っ取り早く、最も効率的な方法。
桃花のメンバーも全員これを利用している。いや、利用せざるを得ない。
そもそも魂喰いは堅洲国の法則の一部であり、この法則から逃れることはできない。
その上、魂喰いを繰り返し自らの存在を膨張している咎人に対抗するためには、自らも魂喰いをして存在規模を拡大するしかない。
ザッと、背後から足音が聞こえる。
振り返ると、店長が立っていた。
「お疲れ様です」
「お疲れさまです店長。どうでした? 今回は」
一連の戦いを見ていたであろう店長に評価を聞く。
結局最後まで手助けしてくれなかったことに対する、不満はない。
店長はいつものアルカイックスマイルを浮かべる。
「上出来でしたよ。途中少しヒヤヒヤしましたが、魔術を使った戦術、相手の虚をつく姿勢、周囲への警戒、そして最低限の余力を残していたこと。総合的に見ても良い水準です。
初めて六層に入界したときとは比べものになりませんよ」
「その話はしないでくださいよ、恥ずかしい」
「ははは、それはすいません」
申し訳なさそうに頭を下げる店長。いや、店長に頭を下げられても俺が困るんだが。
「それより、店長の用事は済んだんですか?」
確か調べたいことがあるとか言ってたけど。
「ええ。ちょうどこれが欲しかったんですよ」
そういって店長は左手に持っている物を俺に見せる。
花。血のように赤い花弁だ。それが数十。
確か、咎人が度々その花を食べているところを見たことがある。
どの階層にも見られる、堅洲国普遍の花だ。
「堅洲国にのみ咲く花。通称紅蓮華。大量の血を栄養として、血のように赤い花を咲かせると言います。
この花には咎人の怨嗟と霊力が込められています。色が赤ければ赤いほど、内側に詰まっている想念も強いと言えますね。
つまりは死者の怨念、その塊です」
確かに、店長が持っているその花を見ていると不吉な感じがする。
花そのものが呪いのようなものだ。咎人の異常な想念とその血を栄養とする紅蓮華が、正常であるはずもないか。
「それをどうして摘んできたんですか?」
「アラディアさんがこれを欲していましてね。おそらく魔術の研究に使うのでしょう。
シミュレーションの件を了承してくれたアラディアさんに、せめてもの感謝として持って行くんです」
こんな不吉なものを研究に使うとは、さすがアラディアさん。あの人そのうち呪い殺されるんじゃないか?
「さあ、帰りましょう」
店長が術を唱える。葦原中国へ帰還するための魔術。
『黄泉戸大神開きたまえ』
何もない空間に光が産まれ瞬く間に俺たちを包む。
その光に飲み込まれる前に、俺は後ろを振り向いた。
主を無くして崩壊していく緑の空間。
核を無くした世界は、じきに堅洲国に取り込まれて元の形に戻るだろう。
最後にその光景を目に焼き付けて。
次回、鳥




