第二十一話 大学生 海曜集
前回、大団円
ここから数話、美羽たちの先輩である集の話になります。
6月。
夏の初め。
セミが鳴き始める季節。
梅雨の時期。
祝日が存在しない月。
紫陽花が咲き誇る期間。
じめじめとした空気が蔓延る時。
それが、世間一般で思われている6月の印象だろうか。
無論、俺もそう思う。
朝7時頃、無事起床した俺─海曜集がまず感じたのは、湿気が酷い室内。
今年もこの季節がやってきた。
別段嫌っているわけではないのだが、こうもジメジメしていると、気が滅入るというかなんというか。
寝床から離れる。テーブルの上に置いてあるスマホで、今日のスケジュールを確認する。
今日は朝から大学で講義が入っている。しかし近くのマンションに住んでいるので焦ることはない。
歯を磨き、顔を洗い、寝癖を整えて朝食を食べる。
仕上げにコーヒーを飲みながら、スマホで今日のニュースに目を通す。
といっても目立つニュースなんてどこどこで事件が起きたとか、今日の最高気温はとか、そんなもんだ。
コーヒーを飲み終え、ファイルとルーズリーフの束を鞄に入れて、燦々と日が当たる場所へ扉を開く。
■ ■ ■
「では、今日配った紙は来週も使うので忘れないでください」
講師から講義の終わりを告げられ、教室で数人が立つ。
これで午前中の講義が終わり、時刻は昼近く。
ざわざわと、生徒の声が講義室に響く。
昼飯を食べるべく、荷物をまとめて外へ出ようとしたところで、誰かに肩をポンポンと叩かれた。
視線を後ろに向ける。そこには見知った顔があった。
「よう、集。元気か」
「なんだ、お前もこの講義とってたのか。結城」
俺より若干高い身長。短い金髪をしている、名前を結城という。
この大学内で唯一、高校からの友人だ。
「そりゃあ、今のうちに少しでも多くとってたほうが後々楽だからな。お前もそうだろ?」
「まぁ、否定はしない」
大学では卒業するのに必要な単位数というものがある。
うちの大学では120ちょっと。大学4年間でそれを全部とらないと卒業できないわけだ。
となると、俺や結城みたいに一年の時からとれる講義は可能な限りとって後々楽をしたいと考える者もいる。
「これから昼だろ? 一緒に食おうぜ」
「え、お前のおごりで?」
「なわけねーだろ。てめえの分はてめえで払え」
冗談を交えながら、二人の足先は大学内の購買に。
昼は人で混む。近くに食堂はあるが、毎日満員だ。
適当にサンドイッチを買って、近くにあったベンチに座る。
そのまま会話。結城が口火を切る。
「なぁ、集は暇な時間とかどうしてんだ?」
「俺? 俺はバイトだけど」
「ふぅん、飲食店とかで?」
「飲食店、だな。意外と稼げるし、やりがいもあるんだよ」
事実だ。俺が働いている喫茶店、桃花は金払いがとてもいい。
桃花の仕事は二種類ある。
一つが普通の喫茶店の仕事。そしてもう一つが、”咎人”と呼ばれる者たちの粛正。
俺たちと同じように、世界には顕現という不思議な能力に目覚めた者がいて、それを顕現者という。
顕現をどう使うかは本人次第。一切の悪意なく使われる技術などどこにもないことと同じく、顕現という力も利己的な目的で使われることがある。
顕現に目覚め、その力を悪用する者。それを『咎人』という。具体的には少し違うらしいが。
ではその咎人はどこにいるのか。俺たちと同じく人混みの中に混じっているのか。
その場合もある。だがそれはほんの0.1%。残りの99.9%は俺たちとは違う世界にいる。
それが堅洲国。根の堅洲国。
咎人たちの住処にして、咎人が産まれる世界。
通常の平行世界とは時空も次元も異なる場所にある。一種の超次元空間。
徒歩等の物理的な移動ではたどり着けず、赴くには専用のゲートを用意するしかない。
ちなみに、堅洲国に対して俺たちが通常いる世界を葦原中国という。
店長曰く、それらの名称は高天原っていう、粛正機関のお得意先が命名したらしい。
堅洲国に住まう咎人たちは世界に害をなす。
人を、動物を、形の有るものも無いものも。奪い、蝕み、殺す。
それが堅洲国だけで完結していればいいのだが、問題はその行為が俺たちが住む葦原中国にまで及ぶことだ。
現在、日本の年間行方不明者の数は約八万五千人だっけか? そのうち所在が確認されたのは約八万二千人。
では、残りの三千人は?
詳しい数値はわからないが、三千人の内の数割は咎人に殺されたものだ。これを少ないと思うか、多いと思うかは人によって分かれると思う。
ではそれが地球規模で行われていたら? さらに言えば宇宙規模で行われていたら? もっと言えば無限に広がる平行世界規模で行われていたら?
咎人たちは距離も時空も、可能性世界の枠組みを超えて襲いかかる。
そんな咎人を討伐する、粛正する、殺す。
それが桃花の裏の仕事。
便宜上咎人と呼ばれているが、その姿は人型とは限らない。
獣の姿もあり、機械の姿もあり、有機物の姿もあり、無機物の姿もある。
あくまで総称してそう呼ぶだけの話。
金払いがいいのは、そんな裏の仕事、咎人の粛正に従事しているからだ。
危険と隣り合わせ。それも命を落としかねない危険な仕事。
その仕事を見事達成すれば、あり得ない程の金額が支払われる。
いやもうまじでその金額がすげぇのよ。
もちろん咎人の位階によって支払われる金額は低くも高くもなるんだが、最底辺の天使でさえ人が一ヶ月余裕で暮らせる程の金額が支払われる。
それをほぼ毎日。七人でローテーションで回していく。
するとどうなる?
余裕で金が余る。
怪しまれそうだから銀行に預けることもできない。ほとんど店内に隠しているのだとか。
当然、俺たち従業員に支払われる給料も半端ではない。
俺を例にすれば、この先一生余裕で生きて行ける程度の金額の、その三十倍以上の金が懐にある。
使い道は無いわけではないが、どうしても余る。
いや俺だって色々やってるんだよ? ファミマとかセブンイレブンとかの募金箱には思い切って一万円入れてみたり、神社の賽銭箱に千円札いっぱい入れたり。
だけど余る。どうしても余る。
こうなったらもうビルの最上階から札束を撒き散らすしかないのでは? と割と本気で考えていたりもする。
バイト先の事を聞いて、結城が興味を持ったようだ。
「へぇ、時間あれば俺も働こうかな」
「時間あればって、今なんかしてんのか?」
「そりゃお前、車検だよ車検」
「車検? あぁ、そっか。近くにあったよな」
大学の近く、ここから車で5分で行ける教習所を思い出す。
そうか車か。今まで考えたこともなかったな。
結城はサンドイッチを頬張りながら、鞄から紙を取り出した。
「ほれ、これが今月の予定表」
紙を受け取る。ざっと確認したが、大体が午後。遅いときには夜中の7時まで予約が入っている。
「おいおい、これって講義終わった後に入れてんのか。ずいぶんハードなスケジュールだな」
「仕方ないだろ。大学生活も慣れてきて余裕ができたし、何より親が車検取れってうるさいんだよ。
そんで夏までに間に合うように予定組んだの」
「夏? ・・・・・・・そうか! 結城もついに自分の車で彼女と海にでかけ――」
「違ぇよ。夏休みは受講者がいっぱいいるんだよ。それと俺に彼女なんていねぇよ」
最後の言葉には”余計なことは言うな”というニュアンスが含まれているようにも聞こえた。
色恋沙汰じゃないのか。なんだつまらん。
そう思いながら、サンドイッチの残りを口に放り込む。
しかし、車かぁ。
想像する。車を持つ自分。道路を走りながら潮風を全身に浴びる青い海。あるいは舞い散る紅葉を車内で堪能する山道。
車、車か。なんか良さそうだな。
少し興味を持ってきた。そうだな、暇な時見つけて俺も乗ってみようかな。
「結城が行ってる教習所ってどんな雰囲気なんだ? 厳しめ?」
「いんや、普通」
「おい、それじゃわかんねぇよ」
「そもそも厳しいも甘いもないんだってよ。
最初の方に性格診断テストみたいなのやって、その結果から『この人は判断力が足りないから色々指摘しましょう』とか『交通マナーがなってないからそれを徹底的に教えましょう』とか、そんな方針が決まるらしいぜ。
つっても結局厳しいか甘いかは教務員次第じゃねぇの?」
へぇ、そうなってるのか。ただ教えるだけじゃないんだな。
一人で感心していると、結城は立ち上がった。
「付き合わせて悪かったな。早速今から教習所行かなきゃなんねぇから」
「おう、またな」
手を振って立ち去る結城を見送る。
さて、どうするか。
桃花の仕事は2時から。まだ時間はあるが、たまには早めに入るのも悪くないか。
サンドイッチの包みをゴミ箱に捨て、俺は大学を後にした。
■ ■ ■
「こんにちは」
従業員用の扉を開き、喫茶店・桃花に入る。
厨房には一人、いや、四人。
まず店長の否笠さん。落ち着いた風貌。愛用のサングラスをかけ、鍋の中をかき混ぜている。
そして、厨房を忙しく動き回り、肉と野菜を包丁で切ったり、皿に料理を盛り付けている三体の等身大人形。
桃花店員の一人、アラディアさんお手製の自動魔術的お手伝い人形。その名もソラ、エキ、コ。
店が客で忙しい時に、自動で俺たちを手伝ってくれる便利な人形だ。
どれも俺より少し小さいくらいの体格で、一心不乱に作業をしていた。
三体を識別するのは簡単だ。
金属のような光沢を持ち、いかにも俺固体でできてるぜ、って感じのコ。
スライムのように身体が透き通って、いかにも俺液体でできてるぜ、って感じのエキ。
白い霧が密集して人の形をとっているような、いかにも俺気体でできてるぜ、って感じのソラ。(なんでこの子だけ名前がソラなんだろう。キじゃ駄目だったのかな?)
最初は目を点にした光景だが、慣れというのは恐ろしいもので、いつしか疑問にすら感じなくなった。
「おや、早いですね。こんにちは集くん」
「はい、たまには早く来て手伝おうと思ったんですけど・・・・・・人手は足りてるみたいですね」
「いえいえまさか。会計を手伝ってくれると助かります」
「会計ですね、わかりました」
人形達の横を通りながら、奥のロッカー室へ。
荷物を置き、着替え、再び厨房に戻る。
そのまま俺にとっていつもの場所、レジに移動して待機。
俺は注文を取ったり料理を持って行ったり、レジで会計したりすることが得意、というか好きだ。
人と関わっているからだろうか。詳しいことは自分でもわからない。
だけどどうだろう。無愛想に対応されるのと笑顔で対応されるの。
俺は後者の方がされて気分が良い。
基本お客さんとは一期一会の関係だし、もしかしたらまた来てくれるかもしれない。
どうせなら良い気持ちで楽しんでもらいたい。
「会計をお願いします」
「はい、700円になります」
お客さんの一人が領収証を差し出す。
それを受け取ってレジに入力。今では慣れた作業だ。
お釣りとレシートを渡して頭を下げる。
「ありがとうございました!」
声は少し大きいくらいで、最初から最後まで笑顔で。
よし、今日もうまくやれそうだ。
次回、魔術