第二話 骸の狼
前回、美羽の日常
一瞬。ゲームで言えばロード時間。目の前に空間が現れ、瞬時に色をなす。
降り立つのは血に濡れたように赤い大地。視界を前に向ければ黒と赤が支配する光景が見える。
空は昼と夜が混ざったかのような明暗。空に浮かぶは黒色の太陽。あるいは月か。
雲はない。その変わり上空に浮いているのは壊れた建築物の塊。
ビルか、家屋か、それとも遺跡か。重力が崩壊し、死骸や建造物、あるいは大地そのものが浮かび上がる現象も、ここではなんら珍しい光景ではない。
うす暗い地平線。所々に点在する壊れた建物。
血のように紅い蓮の花が群生している。
遠くから聞こえる叫声。歓喜のような、悲観のような。人のような、獣のような声。
ニャ~オ。
すぐ横で鳴き声が聞こえた。私たちの目の前を猫が通過する。
ただしその姿は現実に存在する愛くるしい姿では無かった。まるで芋虫のようにまるまる太った体躯。脚は六本あり、尾は三つに裂けている。
その顔もしたり顔で、口からは涎があふれ出ている。見る者によっては吐き気を催す造形。
猫はこちらを見て数秒立ち止まり、芋虫のように身体を前後させて消えていった。
改めて実感する。また私たちはここに来た。この地獄のような世界に、殺すために。
「レーダーはこっちを指してるね」
蛍は空中に電子的な画面を表示した。いかにも近未来的な、思考同期型インターフェース。主に周囲の空間把握と、ターゲットの居場所を知るために使われる。詳しい原理は私も分からない。
それに目線を移し対象の位置を確認していた。
私も同じく画面を開き、骸狼の位置を確認する。
「2、3・・・12。これが全部本体かな」
反応があった個体は全部で十二体。一カ所に固まっている個体もいれば、単体で行動している個体もいる。
「そうだね、早く片付けなきゃいけない。どうする?」
「とにかく近くまで寄ってみる。近くに二匹いるからそこに向かおう」
「わかった」
私の意見に蛍は同意し、最も近くの反応に向かう。
近くといっても位置的にここから3㎞は離れている。徒歩で向かうには遠い上に時間がかかる。
なので、
「蛍、飛ばして」
「うん。一瞬酔うかもしれないから気をつけてね」
蛍がうなずくと同時に、視界が切り替わる。
光景は相変わらず地獄のよう。しかし、先ほど私たちが立っていた場所が遠くに見える。
先ほどまでいた場所から、レーダーに反応があった位置に、一瞬で移動したんだ。蛍の力で。
便利なものだ。私も蛍のように融通が利けたらいいのに。
「念のため200mは離れておいたよ」
「うん、ありがと」
気の利く幼なじみに感謝しながら、私は周りを確認する。
大地に咲く赤色の花。空を飛ぶ異形の羊。どこかに歩き続けている黒い人型。
そして、まるで骨と皮しかない狼の姿。
「いた!蛍、あれだよね」
「そうだね、僕達に気づいてないみたい」
念のため姿勢を低くし、敵にこちらの位置を悟らせないようにする。
あの姿、先ほど見た通りの姿。
骨と皮しか無い。その比喩は的を射ていると思う。
頭蓋骨、背骨、骨盤。それらの骨が遠目でも視認できる程浮き上がり、内臓が全て摘出されたのではないかと疑う程腹がへこんでいる。果たしてあれを体重計に乗せて、3㎏あるかどうかすら分からない。
二匹の狼は道ばたに生える花を貪っている。赤色の花から赤い液体がこぼれ落ち、大地を新鮮な血で染める。
植物というよりは動物に近い質感の花を食べ終えると、二匹の狼はどこかへ移動しようとする。
だが、そうはさせない。
「蛍。私が前に出ていつもの言うから」
「わかった。襲ってきたら対処するよ」
私は立ち上がり、骸狼に近づく。
数歩歩いた時点で、狼達が私の存在に気づく。
顔を上げ、唸るように喉を震わせる。
威嚇しているのだろう。不用意に近づいたら襲ってくるはずだ。
なのでギリギリまで近づいてから、私は前口上を述べた。
「咎人・骸狼。私たちは粛正機関の者です。貴方たちは葦原中津国において多数の者を殺傷しました。これ以上中津国に干渉するつもりなら、私たちは貴方を粛正しなければなりません。もしもこれ以上干渉するつもりがないなら、双方の契約をもってあなた方の行動を制限します」
返答は?
問われた狼達は互いに顔を合わせる。数秒の沈黙。ある程度知能がある証だ。
数秒後、うなり声を大きくした狼達は私に向かって駆けだした。
今回も失敗か。いや、そもそもこの契約が成功した試しがない。
犬歯をむき出しに恐るべき速さで迫る二匹。あっという間に私との距離を零にするだろう。
迎撃態勢に構える。二匹の攻撃を躱し、カウンターを決められる一連の流れを脳内で構築する。
走る狼。その内の一匹、突如その全身に剣が突き刺さった。
「!!?」
両目、内臓、喉、脳、心臓。いずれも急所を切り裂かれ、歩みを止める狼。
そのまま絶命したのか、地面に倒れ込む。今のは蛍の援護だろう。
仲間の死を顧みず飛びかかるもう一匹の狼。迫る乱雑な歯の群れを躱し、裏拳の要領で後頭部を殴る。
一瞬手に伝わる感触、温度。
次の瞬間には、狼の頭部が粉々に砕け散った。
壊れた頭部を中心に、まるでガラスに走る罅のように、亀裂が全身に広がる。
骨と皮しかないその身体が、四肢が。
バキン! と、ガラスが割れる音がして
破片と化して、空中で消えていった。
「・・・・・・・」
それを見届けると、蛍がやってきた。
「援護ありがとう。蛍も直接加わっていいよ」
「わかった。そうさせてもらうよ。じゃあ次の場所に移動しよう」
電子的な画面を開き、反応があった近くの場所へ移動する。
その前に、先ほどの狼に触れた感触を思い出す。
ゴツゴツの骨。わずかに体温が宿る薄皮。
触れただけで壊れる生命。
これだけは、未だに日常とは言い難かった。
これが喫茶店・桃花――粛正機関・桃花の裏の仕事。
堅洲国という異界に座し、私たちが住む世界に仇なす存在、通称咎人。
彼らは超常の力を使い、次元の異なる私たちの住む世界、葦原中津国に襲いかかる。
時に人を殺し、時に国を滅ぼし、時に世界を蹂躙する。罪を負った存在。それが咎人。
その咎人を相手取り、殺し、粛正することが、私たち粛正機関の仕事だ。
「ん?」
声は蛍から。画面を見ながら、頭上に疑問符を浮かべている。
「どうしたの?」
「狼たちが一カ所に集まってる」
「集まってる? どこに」
「僕たちが今いる場所だね」
「え?」
私も確認する。計10体にも及ぶ狼たちが、私達の方向へ近づいているのがわかる。
これは、もしや・・・・・・・。
「仲間の死を感づいたんだろうね。全部集まってる」
目の端に黒い影が映る。荒れ果てた山、数カ所に黒い影が盛り上がっている。
見ている。痩せ細り飢えた狼が、私たちを。
「左に三匹、右に二匹、前に四匹、後ろに一匹。囲まれたね」
辺りを見渡した蛍が狼達の数を確認する。
私も確認する。狼達は集団で円を作り、徐々にその範囲を狭めていく。
獲物を追い詰めるように、一歩ずつ、歩を進める。
私たちとの距離は10mまで狭まり、狼にとっていつでも襲いかかることができる距離になる。
「蛍。半分お願い。私は左をやる」
「了解」
私と蛍は、互いに背を預ける。
眼前にいる飢えた狼達。
今にも襲いかからんと、獰猛な牙をかちかち鳴らしている。
殺意が伝わってくる。狼に似ているとはいえ、その形は異形のそれだ。
目は飛び出し、皮膚が骨に張り付く程痩せ細り、内臓が無いのではないかと見間違う程の体躯。
常人が見たら恐怖で失神するだろう。私も正直怖い。
だけどこういうのは恐怖に呑まれた方が負ける。だから一つ深呼吸をして、覚悟を決める。
そして呟く。私の想いを。
「顕現」
空気が震える。これから起こる非常事態に警鐘を鳴らしているかのように。
両腕に黒が集まる。流動的なそれが私の腕に絡みつき、徐々に肌を黒一色に塗りつぶしていく。
やがて現れたのは漆黒の腕。指が鋭利な爪の如く尖り、一切の輝きなく黒を際立たせる。
「暴虐の御手」
ここに、破壊が具現化した。
狼達が震えている。その様は蛇に睨まれた蛙を連想させる。
両腕に纏ったそれは、まるで死神の鎌のように、見る者に畏怖と恐怖を心の底から無理矢理にでも引きずり出させる。
顕現。それは私たちが持つ超常の力。世界に対する絶対権限。
私の抱えている想いが、形を伴い顕現する。
姿勢を落とし腕を構える。狼の一体に狙いを定めて大地を蹴る。
「はあぁっ!!」
音を追い越して、私は正面の狼に手を突き出す。
当たり。骨張った顔を突き破り、内側の臓器をことごとく破壊して、背中を突き破る。
狼は何が起きたのかもわからぬまま、その全身がガラスのように砕け散った。
「!?」
私を認識した狼が牙を向ける。狙いは喉元。その軌道に無駄はなく、一直線に向かってくる。
防御。首の代わりに左腕を狼に噛ませる。
噛まれるが、痛みも何も感じない。
それも当然。石の城に牙を突き立てるようなものだ。
代わりに砕け散る狼の牙。狼狽える狼の顔にアッパーを繰り出す。
バキン!!
頭が砕け散り、胴体との断面から血があふれ出る。その体は地に伏せ、ビクンと痙攣をする。
次だ。
右腕をカーテンを開けるように横に払う。
爪は飛びかかってきた二匹を捉え、その身体を綺麗に五等分に裂く。空中に血飛沫が舞う。
残り一匹。しかし近くにいない。視線を動かすと背を向け逃げ出している狼を視認する。
「・・・・」
私はその一匹が逃げた方向に向けて腕をかざし、勢い良く上から振り下ろした。
バリバリバリバリバリバリン!!
衝撃が空気を伝い地を這って破壊痕を残していく。それはあっさりと狼を捉え、その身体を二つにする。
最後にその体が粉々に砕け、狼達は全滅した。
「ふぅ・・・・・・」
一息つき、蛍の方向へ振り向く。
「お疲れ」
見ると蛍はこちらを向いて微笑んでいた。
その背後を見る。狼達は地に倒れ伏せていた。その目に生気はない。まるで魂を抜かれたように、一切の外傷なく死んでいる。
すぐに終わってこちらの様子をうかがっていたのだろうか。本当に蛍の顕現は便利だなぁ。
「僕も今終わったところだよ」
こちらの心境を察したのか、蛍が冗談を言う。
いやいや、蛍なら大抵は一瞬で終わるでしょうに。
「さて、反応はもうないし帰ろうか」
「うん」
画面を見て、これ以上の対象はいないことを確認した蛍が、前方に手をかざす。
『黄泉戸大神、開きたまえ』
すると視界が光に包まれる。
一瞬。目の前に白一色の世界が現れ、瞬時に色をなす。
見えてきたのは白、黒、緑、赤。桃花の二階。目の前に立つスーツ姿の初老の紳士。
「二人とも、お疲れ様です」
店長の否笠さんが私たちを迎える。
■ ■ ■
時計を見る。5時24分。大体20分ほど経過したようだ。
見慣れた光景に安心する。肩の力を抜いて楽にする。もう四六時中身構える必要はない。
「お疲れ二人とも、だいぶ余裕がでてきたね。これなら三層も行けるんじゃないですか?」
ソファーに腰掛けていた集先輩が店長に提案する。
「三層、ですか。三層ってどんなところなんですか?」
店長がコーヒーを持ってきてくれた。折角なのでソファーに座りながら雑談をする。
コーヒーを一口。苦いが、苦さの中に美味しさがある。私が入れるものとは大違いだ。
「そうですね。まずご存じの通り、堅洲国には上層、中層、下層の大きく分けて三つの階層があります」
店長は三本指を立てた。
私達が先ほど行った異界。通称堅洲国。
その堅洲国は、上層、中層、下層の大きく三つの区分が存在する。
「はい。今私たちが担当してる第二層は上層ですよね」
私と蛍が活動している層は第一~第二層。私たちは集先輩たちと比べると経験が浅いので、店長の割り当て通りにその層で咎人と戦っている。
先ほどの狼もその一体。今まで私たちは約五十体の咎人と殺し合ってきた。
店長が先ほどと同じく、空中に電子的な画面を開き、私達に見せる。
その画面には逆三角形の図。その上に堅洲国の名前。
そして三角形に走る、計九つの線。
「ええ。その三つの層は、さらに細かく三つの区分に分けられます」
「ええと、じゃあ全部で第一~第九の、9つの層があるってことですか?」
「その通りです。その認識で間違いありません」
両手の指を使って少し思案する。
つまり、第一層から第三層までが上層。第四層から第六層までが中層。第七層から第九層が下層になっているということか。
「第三層ということは、僕たちが担当している第二層より一段下に降りるんですよね」
蛍が確認した。そう、堅洲国は逆ピラミッドのような構造だ。
だから次の層に進むとは、下に降りていくことを意味する。
「はい。堅洲国は下に降りる程より力のある咎人がいます。
咎人は住んでいる階層ごとに天使の階級で呼ばれます。
一層の咎人であれば天使。
二層の咎人であれば大天使。
三層の咎人であれば権天使。
といったふうに」
天使の位階。それは咎人の危険度を指し示す一種の指標だ。天使よりも大天使の方が、大天使よりも権天使の方がその力は強い。
天使の位階は咎人に限らず、私たちにも適用できる。
さっきの狼――骸狼なら二層だから、大天使の階級にある。
それにしても、あのグロテスクな犬が天使か・・・・・・。とてもそうは思えないな。
「天使、ですか。前も思いましたけど、咎人が天使ってなんだか変ですね」
私の思ったことを蛍が代弁した。時々この幼なじみは私の思考をのぞき見ることができるのではないかと思う。
蛍の質問に店長は頷く。
「確かにその通りですね。私もなぜ天使の階級が使われているのか、その詳細はわかりません。
とにかく、第三層にいる咎人の位階は権天使。あなた方が相手してきた大天使よりも一つ格が上の存在です。
ですが恐れる必要は欠片もありません。いかに強大な力を持っていても、しょせん非顕現者。私たちのように顕現を発現した顕現者を相手にしては、天地がひっくり返っても彼らに勝ち目はありませんから。
今までと同じ感じで振る舞えば大丈夫ですよ」
「はぁ、そうですか」
相槌を打ってコーヒーを飲む。まあ、大丈夫ならいいのだが。
それにしても顕現、顕現か。
自分の右腕に目を向け、先ほどの現象を思い出す。
顕現。それは自らの魂の現れ。存在理由の展開。想念の塊。
誰しもが持つ想い。それが何らかの形をもって降臨する。世界への絶対的な権限として。
自分の持つ想念が開花した結果得られる、自分だけの力。
破滅を望めば破滅の力を。救済を求めれば救済の力を。
私の腕がそうであるように、蛍の想像がそうであるように。
それを武器に咎人達と戦うのが、喫茶店・桃花の裏の仕事。粛正機関としての役割。
桃花の店員は例外なく顕現に目覚めている。
逆説的に言えば、顕現を発現できないと裏の仕事は担当できない。
そして、顕現者並びに堅洲国に関する情報は門外不出であり、決して他人にこの事を教えてはいけない。
飲み終わったコーヒーカップを手に、店長が立ち上がる。
「三層の件、考えておいてください。とにかく今日はお疲れ様でした。時間も時間ですし、そろそろお帰りになったほうがいいですよ」
時間を確認する。時刻は6時に近づいている。確かにそろそろ帰らないと。
一階に戻り荷物を整理する。早足そのままに、従業員用の出入り扉から外に出る。
「「お疲れ様でした」」
「お疲れ様、また来週」
店長が手を振る。頭を下げ、帰路につく。
私の家の前まで歩き、蛍と別れる。
「じゃあ、また明日」
「うん、じゃあね」
■ ■ ■
3時間後、私は夜食をとりお風呂に入り、宿題を終わらせベッドの中に。
LINEで蛍やカナと会話を終え、部屋の明かりを消して眠る準備をし、ベッドの中で今日一日を振り返る。
(今日も色々あったな)
学校でカナと笑い、放課後桃花で働いて、ピザが美味しそうで、その後は痩せ細った狼を粛正したり。
・・・・・・・。
粛正、か。
考えればなんとも傲慢なことだ。私なんかが誰を裁けるというのだろうか。
どんな美辞麗句を並べたところで、私がやっていることはただ命を奪っているだけ。
虫を殺して、獣を殺して、人を殺して、殺戮を繰り返しているだけだ。
(・・・・・・・そういえば)
今日店長は堅洲国三層について話していた。
権天使。今まで担当した咎人よりも力を持つ者。
店長は心配ないと言っていたが、それでも不安は尽きない。
裏の仕事はローテーションで回っている。
私と蛍は週に二回、それ以外の日は店長たちが担当している。
今週の裏の仕事は今日で終わりだ。
来週、果たして自分達はどうなるのか。
考えても仕方ない。今は寝ることに専念するため布団を被った。
しかし寝付けない。不安から逃げたいのに、今度は違う不安が襲う。
今日もあの夢を見るのだろうか。
夢。暗闇の中を得体の知らない何かからひたすら逃げ続けるあの夢。
正直ゾッとする。毎日同じ夢を見るなんて異常だ。
ああ、眠らずに済むのならそうしたいのに。
それでも私の意識はだんだんと沈んで、沈んで・・・・・・・。
次回、白咲蛍の日常