第二十九話 葦の国防衛戦⑦
前回、メタいなぁ
「さぁあぁてぇ、どうすっかなぁぁ」
エメを粉砕した後、その血と肉を頭から浴びながら、スライは思考する。
当初の目的は達成した。ならばこのまま帰還するのが得策。
その後はどうするか。いや、考えるまでもなかった。
あの広大な堅洲国を、俺の力で統べてやろう。
この、俺だけの無敵の力で。
これさえあれば七大天使だろうと恐るるに足らず。
設定という普遍的かつ、多くの者が属する絶対の基盤。
それを自由に改変できるのだから、スライの力は推して知るべきこと。
そもそもにおいて、この顕現は到達してはいけない領域に到達してる。
仮にスライも蛍も顕現者も、全てが妄想に過ぎないとして、これは現実と妄想の境を崩しかねない。
数学的な次元ではない。もっと高位の、メタ次元の域。
演者と見物客。現実と虚構。
本来通じ合えない二つの境界を破壊すること。
それは登場人物の全員を虚構に堕落し、見物客を白けさせる最大の禁忌に他ならない。
しかし、かといってスライだけが特別かと言われれば否と言える。
そもそも物語とは虚構と現実が混じるもの。言葉も文化も価値観も、作者から完全にかけ離れた物語など存在しない。
ならばそれに登場する者も、嘘と真実がない交ぜになった奇妙な存在。
現実世界の批判などその最たるもの。主人公にテーマを持たせ、異なるテーマを掲げる相手と対立させ、作者の持論を語らせる事例など数多見られる。
この世界は虚構ではないのか? 神のペンで綴られ、自分たちは選んでいるつもりでも、最初から決まっていたことなのではないか?
ある種普遍的なテーマであり、この広大な葦の国や堅洲国で、そんな認識を持つ者がいたとしても不思議ではない。その自由度がここにはある。
どれだけ破天荒に突き抜けたキャラクターであったとしても、作者の意図を超えることはできない。
なぜならその反抗すら作者の意図であり、結局はキャラクターである限り、その役割を超えることは不可能。
真の意味で与えられた役割を超越した結果がどうなるかは誰にも分からない。
それを自由意志と言えば大層なことだが、しかし具現するのは混沌を極めた無秩序の様相ではないか。
何はともあれ、スライは踏み込んではいけない域に踏み込んだ。
どれだけ強大な力を持とうが、虚構である分際では決して抗えない域にまで。
これに抗える者がいるとするならば、それこそ設定の枠さえ超えた超常の者か。
あるいは・・・・・・
「――ハ?」
驕り高ぶるスライの思考を中断させたのは、白い剣閃だった。
頭部を口から切断し、にやついていた彼の表情を、驚愕一色に染め上げる。
再生は時間が過ぎるよりもなお速く行われる。設定を変更し、そもそも一切の傷を負わない己となって、その現実を異なる論理で潰す。
だが切り裂かれたという事実は変わらない。
(だ、誰だっっ!! 随神か!? いや、どうやって俺を傷つけやがったぁァァッ!?)
半狂乱になるスライの困惑も妥当なものだ。
己の想像を超えた無敵の力を手に入れた矢先に、先ほどと同じく切り裂かれる自分の身体。
すなわち栄耀栄華の座から最底辺へ失墜することと同様の衝撃であり、その莫大な位置エネルギーからの墜落は、熾天使でさえ狂わせる。
そして、己が絶対と仰ぐ顕現が突破されたこと。
『絶対に傷つかない』と設定した。『己の意識外の事象など存在できない』と世界に設定した。
ならばそうなるのが当然。神の命に逆らえる者などおらず、描くそのペン先から逃れられる者もまたいない。
スライが行う所業はまさにそれ。キャラクターは作者に逆らえないという当然の論理が、虚構風情に破れるわけがない。
その疑問は、すぐに氷解することになる。
スライは背後を見る。自分を切断した者の姿を目に収める。
そこにいたのは、無論蛍だ。
だが、直前までの彼とは何かが違う。
咎人に対しての殺意。他者に対しての温和。
蛍を簡易的に分類するのならその二つが当てはまるが、今の蛍はそのいずれにも当てはまらない。
生き物らしい想念をまるで感じなかった。
生き残りたい生存欲、スライを許さないという殺意、外道に対する憤怒、誰も助けられなかった慚愧。
それら一切が廃され、しかしただ命令を実行する機械の在り方ではない。
ただ超然。
水晶の如く透明。あまりにも率直であるがゆえに、スライ程度ではその想念に気づけない。
純潔無垢。輪郭すら存在しない純白の世界に蛍があるような、強烈な違和感にスライは襲われている。
宝石のような翠眼はあまりに透徹としていて、スライの存在を視界に捉えているかすら怪しい程に透き通る。
握る神剣は神々しくも冷ややかに、生物的とも機械的とも思える発光を繰り返し、主の覚醒に歓喜する。
傲岸不遜の概念が凝縮し、人型としてそこにあった。
「て、てめえぇェ!! な、なんだそれハァ!!」
なんで動ける!? 戦える!!?
できねえはずだぞぉ、どうなってやがるっっ!!!」
それに耐えられず、吐き出すようにスライは叫び散らした。
でないと自分が狂ってしまいそうだったから。
事実、喋る内容それ自体は正しい。
顕現を消し去ったはずだ。ただのモブに落したはずだ。
何の能力も特徴もない、一般人以下にまで堕ちたはずだ。
キャラクターとしての役割を奪い、無価値な塵へと変転し、無知無能の輩へと堕としめた。
そのように設定を変更した。ならばそうなるのが定め。
物語のキャラクターが勝手に動き回るわけがない。
お前達はどこまでも客体であり、受動的にしかなれないのだから。
なのに、
それなのに、
なぜこいつは立てる。走れる。顕現を使える。
「問題です。
僕の顕現は、一体どうなったでしょうか?」
「!!?」
至近距離。決して目を離してはいなかったのに、横から炸裂した蹴り。
それは紛れもない蛍のもの。スライの一撃を軽く上回る威力で放たれた。
「ぁあ、がぁぁぁあぁああああああ!!!」
胴体の左半分を消し飛ばされたスライは、その激痛に怯みながらも、速やかに設定を変更し修繕する。
間違いない。こいつは俺に刃向かえる。どころか害することもできる。
だがどうやって? 蛍が自分を害せることなど本来不可能。そんな可能性はないし、設定から消し去った。
どんな能力も、術技も、通じないはず。
自分では答えをはじき出せず、憤怒の目を蛍に向ける。
変容した最低に無価値な勝利は、一定範囲の設定を書き換える顕現。
神のペンにも匹敵する絶対性。
だが、それでもなおその上をいくとするなら、それは。
「正解は、想像の超越。
君がどれだけ素晴らしい設定を思いついても、脳内で僕をどれだけ殺して、貶めようと。
僕は必ずその先をいく。それはもう確定したことだ」
普段の蛍とは思えない、一切の熱をもたない冷淡な言葉。
それにスライは絶句し、そして次に激昂した。
「なぁにぃをぉぉ、わけわかんねぇこと言ってんじゃねぇぞぉぉぉぉぉおおおお!!!!」
スライの周囲。無数の武器が虚空から出現し、その矛先を蛍に向け発射。
誰も躱せない。誰も抗えない。防御も反撃もできない。
貫かれれば即死は確定。不死だろうが再生しようが関係ない。
そういう設定。
だから絶対にそうなるはず。
「っ!!」
スライの確信は、しかし瞬時に絶望へと塗り変わる。
蛍の周囲。無数の武器が虚空から出現し、その矛先をスライに向け発射。
互いの武器が空中でぶつかり合い、金属音と火花を散らす。
衝突は一瞬。スライの武器は全て破片となり、空に舞う破片の隙間から、一振りの剣がスライの元へ飛来する。
避ける暇などなかった。
自分の頬を切り裂き、視認可能な域を超えた速度で剣が通り過ぎる。
熱した鉄を押し当てられたかのような痛みに喘ぎながら、スライは睥睨する蛍を睨み付ける。
ありえざる事。想定された設定を超える現象が起きるのはなにゆえか。
それは先に説明した通り、蛍の顕現によるものだ。
変容した蛍の顕現は、しかしスライとは違い元の能力を失ってはいなかった。
相変わらず想造による想像具現化は可能。
それに加えて想像の超越。
スライの想像を、精神活動の全てを、意識・無意識問わず超越するというその力。
それは彼だけでなく、草木や石、大気や水などの自然物。動物や人間だけでなく、万象の想像にまで作用する。
スライが何をしようと、何度設定を変更しようと、蛍には何ら関与できずにむなしく消え去るのみ。
新たな蛍の力は、以前までの彼を遥か超える程の大能を発揮している。
では、エメが自分の顕現について語っていた『決して都合の良いパワーアップアイテムではない』という言葉は何だったのか。
変容したスライの顕現が、元の能力を失ったのはなぜなのか。
蛍とスライ、両者の違いはなんなのか。
それは、エメの顕現を知った時の、二人の心の反応による。
スライは初めて彼女の顕現を知って、『それは素晴らしい!』と想った。
元々どんな手を使おうと勝てればそれでよく、その過程にはこだわらない存在。
だからこそ今までエメを狙った。さらなる力を得るために。
そして実際にそうした。
今の顕現を捨ててでも、さらに強力なものを望んだ。
そして蛍はエメからそれを聞かされて、『自分とは無関係』だと想った。
自分の発現したこの顕現は自分だけのもので、それを変えようと思ったことなどない。というか現在進行形で、そんなことを思ってはいない。
自らの唯一を不変のものと定め、その上で咎人に勝つため、無意識にエメに縋った。
エメ本人も気づいていないことだが、エメの顕現は対象の精神性を参照する。
一方は安易で強大な力を、今までの自分を捨て去ってでも欲した。
一方は今の自分を捨てなかった。その上で新たな力を欲した。
だからといって蛍が欲深い人間であるということではない。
今この瞬間を切り抜けられるのなら、その果てに自分の顕現が消滅したって構わないと、彼は本気で思っているのだから。
身も蓋もないことを言ってしまえば、浮気したかどうかという違いでしかなかった。
性格上一途な蛍に、エメの顕現が見事適合し、顕現の能力を追加するという驚天動地を達成したのだ。
だがその事実をスライは認めない。
己以上の存在など許していいわけがない。
過去最大の嫉妬と怨恨の想念と共に、スライは顕現を解き放つ。
「調子に乗ってんじゃぁぁ、ねぇぞクソがぁぁあああああああああ!!!!!!」
迸る設定改変の荒波。
スライを起点に円上に広がって、彼だけの設定が世界に蔓延する。
『この世界には顕現という特別な能力があり、それを扱えるのはスライのみ』
『この物語ではスライが何をしても無条件で許され、どころか周囲の存在は彼を崇め奉り、唯一無二絶対の神と信じない者は誰もいない』
『スライ以外の全てが存在意義を奪われたモブであり、彼が与えなければ名前すらない哀れで下等な無知無能である』
『スライは全知全能、最高最強の存在であり、過去現在未来いかなる者であろうと彼には敵わない』
『スライ以上のものなど存在せず、この世の弱肉強食のピラミッドすら超えた先にスライはある』
他にも他にも他にも、彼が策定し創造する設定は数知れず。
炸裂した顕現は言うまでもなく過去最高の出力で放たれ、先ほどまでの設定操作の域すら上回るメタ次元の暴威が蛍に――
「ごみだね」
剣を一閃することすらなかった。
蛍の口から放たれたたったの一言が、確然たる事実となって、荒れ狂う世界設定を塵芥と化す。
目に見えない何かが微塵に砕ける。それに伴って絵画のように冗談めいて荒れ狂う世界も、ピタリと平静を取り戻す。
その様はまるで、スライが決定した乱雑な設定より遥かに確かな、秩序構造論理設定が支配しているかのような。
「――っ」
それを前に息を呑み、見て分かる程に狼狽するスライ。
思ってしまったのだ。以前の顕現ならいざ知らず、変異し、究極と驕ったこの顕現すら、目の前の化け物は模倣してしまったのではないか。
いいや、これはそんな次元ではない。
誰が見ても、異論の余地が入り込む隙など全くないほどに、己の全てを乗り越えている。
蛍は続ける。
「雑芥の一言で充分だ。創り上げた設定が全て幼稚で、五歳児以下の下らない発想を脚色も加えることなくただ表現しているだけ。
精錬さの欠片もない。
かといって粗暴さが極まっているわけでもない。
それは中道ではなくただの半端。
顕現が優秀である分、かえって主の無能さを際立たせてしまう。
典型的な服に着られるタイプの存在だ。
まさかその顕現に自分が釣り合っていると一瞬でも思ったわけじゃないだろうな?
価値がない。無意味でしかない。
豚に真珠を与えた結果すら分からない愚か者が君か」
連続で、息継ぎもなく朗々と紡がれる言葉の数々。
それは反論を許さない真実のみを凝り固めた神言。
遙か高みから、無知無能たる存在を嘲笑うことすらせず、主観ではない事実だけを選りすぐったいと高き者の傲岸不遜。
その言葉に血管がぶち切れながら、しかし怒りとは裏腹にスライの芯は冷えに冷え、さながらコキュートスに突き落とされたかのような極寒のただ中にいる。
恐怖で震える歯。萎縮し怯える魂。
処刑台へと自らの脚で進む囚人のように、彼は倒錯し錯乱する。
先ほどの交戦で分かったことだが、スライは自分の顕現の強さに慢心している。
それ以外を鍛えていないわけではないが、顕現の能力にあぐらをかいている感は否めない。
だから総合力では蛍に劣り、顕現ですら突破口を見つけられたこの状況では、もはや彼に勝目はない。
「白髪野郎ぉぉ・・・・・・」
だが、その焦燥も恐怖も、凌駕する程の激怒がスライの総身を駆け巡っている。
「なぁぁぁめてんじゃぁぁぁあああああねぇぇぇぇえええええぞぉぉぉぁぁあああああああああ!!!!!」
絶叫と共に顕現を最大稼働する。
設定上、誰も届かない、誰よりも強い己を作り上げる。
目の前でふんぞり返ってやがるこいつよりも強く、どれだけ手を伸ばそうと届かない究極の存在に。
最強無敵で、絶対強者の位置に己を同置する。
やっと、やっと掴んだんだ、無敵の力を、誰も逆らえない力を。
それを、お前如きに、超越えられてたまるものか!!!
見る者がいたら即倒するほどの鬼気迫る顔で、スライは拳を振りかぶる。
だが、それに対して蛍は微塵も動じない。
冷徹なエメラルドの瞳を細め、吶喊し突撃するスライを視界に捉える。
そして呟く。
『模倣顕現 最低に無価値な勝利』
今再び唱えるのは、かつてのスライの顕現。
安易な力に溺れ、自らの過去すら捨て去ったお前には、この皮肉が妥当だと判断してのこと。
スライの拳が蛍に届く前に、幾万幾億の剣がその周囲に創造される。
それは咎人を隙間なく取り囲み、そして刃の矛先を一斉に突き立てた。
■ ■ ■
それは、悲惨な有り様だった。
藁人形に似た何かが磔にされ、その身に幾千もの刃が突き刺さっている。
磔刑。あるいは斬刑。八つ裂きなんて生温いものではなく、身体の至る箇所が別離し千切れていた。
腕は関節部からぷらぷらと、神経をむき出しに重力に揺れ動く。
上半身と下半身で分離し、その間から零れるのは内臓ではなく刃。その鋼鉄が上半身と下半身を歪に繋いでいた。
はみ出た目玉にも容赦なく刃が突き立てられ、空いた眼孔には打ち込まれた金属の刃が覗く。
上顎と下顎が切り裂かれ、その口内から見えるのは千本の鋼鉄の針。体内にも鋼が押し寄せ、体の内と外から刃が飛び出している。
まさに剣山としか言いようがない姿であり、尊厳の一切を砕かれていた。
さながら丑の刻参りで釘を打ち付けられる藁人形。
それでありながら、まだその咎人・スライは生きていた。
そして、剣山の前に立つ者は蛍。
超然とする威容はそのままに、長刀を肩に、ただその咎人を見ていた。
勝敗は決した。新たな顕現に目覚めたスライは、同じく新たな顕現を手にした蛍に負け、その醜態を晒している。
しばしスライは全身を切り裂かれる痛みに苛まれていたが、やがてその分離されたカタカタと頭部が動き出す。
「ク、カカカ、ヒャハハハハハハハハハ!!!!!」
満足に呼吸することもできないのに、吐き出したのは笑い。
この期に及んで、まだこの咎人は嘲笑うことを止めない。
目の前に立つ蛍に対して、最後の抵抗とばかりにスライは罵倒を繰出した。
「俺ごときを滅ぼした程度でぇぇ、調子に乗ってんじゃねぇぞボンクラがぁァァ!!!
てめぇらが殺さないといけない咎人の中にはなぁぁあ、俺なんて比べものにもならねぇ狂った奴らがぁあぁ!!
いっぱいぃぃ、いっっっっぱいいやがるんだからなぁぁぁァァッッッ!!!」
それはこの場では何の関連もない戯言だったが、それでも事実は含まれていた。
彼も堅洲国で生き延びてきた咎人。桁が違う者、絶対に敵わないと思った者、次元が違う域にある者たちを見続けてきた。
新たな力を獲得した蛍と、それらを比べ、それでもまだ後者に分があるとスライは確信している。
なんて哀れ。なんて無情。
お前はさらなる怪物共の手によって死ぬのだと、蛍の運命を愚弄する。
「なあああああ!? どんな気分だぁああ!??
俺のせいで全員殺されてぇエエエ、お前だぁぁあれも守れなくてぇェェ!!
なあなあなあなあ、聞かせてくれよ! 俺に奪われて今どんな気分だぁあああ!!??」
スライの性根は変わらない。
この一瞬。残り少ない余命。その全てを使って蛍に傷跡を残し、さらに傷跡を抉り広げようとしている。
災害のように世界を襲い、死するその時まで呪いを撒き散らす。
それこそが咎人の在り方だと、彼は信じて疑わない。
「比べものにもならない狂った奴ら、か」
だが、蛍はそれに答えない。
むしろ、それよりも前の言葉を聞いて、それに対して言葉を発した。
「だから、君はエメさんの顕現を求めたのか」
解析の言葉を前に、スライの高笑いがピタリと止まる。
その真意を測ろうとして、その意味を過去と照らし合わせ鑑みて、空白の時間が生じる。
蛍が口にするそれは解体の刃。
知らない、分からない、理解できない。そういった未知で守られたスライの内面を無理矢理に暴きたて、その真実を掴んで白日の下にさらし、徹底的に弾劾し踏み躙る。
冷徹で冷酷な言葉の剣が全知の瞳を伴って、さらにスライをばらす。
「自分ではどう足掻いても勝てないから。負けてしまうから。
だから都合良く、自分を強くしてくれる存在を見つけて、それに縋ったのか」
過去を思い返す。
堅洲国に生を受け、殺し合いの日々を否でも強制される日々。
勝利だけが全てであって、それ以外が軽んじられる世界。
そんな日常を心から疎ましく思い、そのために努力するなど馬鹿馬鹿しいと思ったあの時。
その願い通りに顕現を手に入れた。なんて素晴らしい力だと自惚れて、これこそ自分の唯一無二だと天上天下に宣言した。
そして、絶対に敵わないと思った化け物たちがいた。
堅洲国は勝利が全て。負ければ喰われ、生き様や生前の栄光など塵となる。
こんな化け物に勝てと? でなければ自分の一生など無意味だと?
冗談ではなかった。他人から見てどれだけ塵屑に等しいものであろうと、自分は生きている。
それを無意味になどしたくなかった。
「だから君は格下を、狩りと呼んで殺すことを楽しんでいたのか」
完全に究明されたスライの真実を理解し、蛍は思う。それはとてもありふれた構図だった。
腹立たしく気にくわないことがあるから、自分より弱い者を見つけて、それに攻撃することで自らの優位を示す。
そうして自分が強い。自分の方が優れていると自惚れる。
蛍の反応を確かめるかのような動作だって、注目されたいから。自分を見て欲しいからゆえのもの。
クラスで大声張り上げている奴いたな。あれと同じ心理なのだろう。
古今東西、様々な見方があるだろうが、それはまさしく負け犬の在り方だった。
ならば先ほどの咆哮は、負け犬の遠吠えに他ならない。
耳に入れる必要などなかった。
よって、完全に止めを刺す。
「ひどくつまらない。特段取り上げる価値もない。
なんで君ごときのために僕が何か想わないといけないんだ? 何か感じなければいけないんだ?
君にそんな価値があると、どんなおめでたい頭があったらその結論に至れる。
僕にはまったく理解できない」
侮辱や憤怒は声には宿っていない。本当に、心の底から、どうでもいい。
なんて無価値。なんて無意味。こいつ、なんで生きているんだ? 生きてこられたんだ?
「・・・・・・」
それを受けたスライの反応は、それまでの高笑いとは打って変わって沈黙。
自らの自覚していない弱みを白日に晒され、それを容赦なく弾劾され愚弄され無価値と断じられ、存在価値の一切を否定される。
これに匹敵する屈辱は、きっとどこを探しても存在しない。
恥辱の極みを叩きつけられたスライに、無造作に長刀が突きつけられる。
即座に書き換えられていくその存在。
死へと一直線に落ちていく咎人に、蛍は最後の言葉を。
「君の魂なんて喰らう価値もない。
さっさと今まで喰った魂を解放してくれ」
魂を輪廻へ帰す詠唱を唱え、スライが喰らいに喰らった魂を解き放つ。
剣の山を打ち付けられた藁人形は、徐々にその存在を稀釈していく。
やがてゼロになり、空へ昇り見えない輪廻の輪に帰る。
スライという一つに束ねられた魂が、もつれ、一つ一つの魂へ分離する。
その中には、ある女性の姿もあった。
それを見届け、蛍は踵を帰す。
辺りを見渡せば、汚水と廃棄物にまぎれて、エメだった肉片がばらまかれている。
結局、自分は咎人の言う通り彼女を守れなかった。
それを悔やむ。結局立っているのは自分だけ。
生きようと彼女に言ったのに、それができずに一人のうのうと生き残った。
それを呪いのせいだと言う気は断じてない。
足りなかったものは自分の力。
スライの思惑に気づかず、エメとの接近を許してしまった自分の愚鈍さにある。
過去を変えられるのなら・・・・・ついそんなことを想ってしまう程には、慚愧に震えていた。
スライは新たな顕現を手に入れた蛍に『完全』を見出したが、それはただスライの目が曇っているだけ。
むしろ今の蛍は全くの未熟。
この程度の唯我独尊では、傲岸不遜の極致に、究極の傲慢には至れない。
そんな、本人にとっては意味の分からない天啓にも似た思考が彼の総身を走り抜ける。
この後、高天原によってこの世界は改変される。
咎人によって災禍がもたらされた事実、そして粛正者が殺された事実。
その両方を消し去り、つつがなくその世界が運行されるように、適切な形に修繕される。
エメさんのことも、彼女が属していた粛正機関の痕跡も、全てが抹消される。
だからこそ願う。
輪廻を巡り得て、今度こそ彼女の望んだ未来が手に入ることを。
今の僕に立ち止まっている暇はない。
こうしている今も、別の世界では咎人が跳梁している。
送り込まれた戦艦・ヴィマーナがどうなっているのかも気がかりだ。
それになにより、美羽が無事なのかどうか。
考えるだけで胸が締め付けられ、不安の念が思考を覆う。
悔いている暇があるなら行動しろ。
蛍は平行世界を渡り、美羽の元へ向かった。
次回、閑話




