第二十二話 真我
前回、超越した感覚
「美羽!!」
美羽の家に着地するや否や、僕は思いっきり叫んだ。
この際うるさいとか、そういうのはどうでもいい。
重要なのは美羽の安否確認。それだけだ。
リビングには誰もいない。どころか暗くて、家主がここに不在であることを知らせる。
夜であろうと目が利かないなんてことはない。あらゆる波長を捉える僕の目は、一面が黒であろうと明細に形を捉えるから。
ゆえに美羽がいるのは二階。僕の足が階段に向かった瞬間に。
「蛍? どうしたの?」
階段の上から聞こえた声。
段上から美羽が、首を傾げながらこちらを見ていた。
「美羽、大丈夫!? 感覚鍛える特訓した!? 何も異常はなかった?!!」
僕は急いで走り寄り、美羽の安否を確認する。
霊眼を作用させ、その精神性を見る。
大丈夫だ。一つの傷もなく安定している。
美羽は何が何やら分からない表情で、やはり首を傾げながら僕を見る。
「私? 大丈夫だよ。特訓は今日してないから」
「そうか・・・・・・・よかった・・・・・・・」
それを聞いて、緊張の糸が途切れたように脱力する。
同時に冷静な思考も戻ってきた。
何をやってるんだろう。第三者視点で見れば、僕は彼女の家に押しかけているだけだ。
「時間、遅いね」
「え、う、うん。そうだね」
安心した僕を見て、美羽は唐突に言った。
よくよく考えたら、今僕たちはパジャマ姿だ。
普通なら眠っている時間帯。
何もないなら、それに越したことはない。騒音で迷惑をかけたことを謝って、それから帰ろう。
だけど、美羽はとんでもないことを言い出した。
「ねえ、蛍。今日一緒に寝る?」
・・・・・・・・・・・・・・・・・
は、はい!!??!
意味を理解した瞬間、僕は口から心臓が飛び出しかねない程驚いた。
その驚愕の度合いは、先ほどの白い世界と比べても遜色ない。
「せっかく来てくれたし、私も蛍も寝る準備できてるし。
私起きるの早いから、もし蛍が寝坊したとしても起こせるよ」
「え、あ、でも、その」
「いや?」
「いやじゃ、ない、です」
■ ■ ■
美羽がゴロンとベッドに寝そべる。
それからポフポフと空いたスペースを手で叩き、優しい笑顔で僕を誘う。
「どうぞ、蛍」
「し、失礼、します」
慇懃にそう言ってから、僕は美羽のベッドに仰向けになる。
横にゴロンと転がれば、すぐ近くにある美羽の顔。
それを正面から見つめる僕の顔は赤みがさしていて、しかもそれを隠せない。
結果、恥ずかしがっている僕の姿を美羽に晒すことになる。
「ふふ、可愛い」
紅潮した僕の頬を、美羽が撫でる。
その指先が触れれば、くすぐったい感触が全身に伝わる。
いつもなら「君の方が可愛いよ」とか、そんな台詞でも吐くのだろうけど、今の僕にそんな余裕はなかった。
だって、この状況で冷静でいられる方がおかしい。
美羽の香りが僕を包む。美羽の枕に頭をまかせ、美羽のベッドにもたれかかり、美羽の顔を間近に見る。
せめて抗議するかのように、僕は小さく言う。
「・・・・・・手は出さないよ」
念のため、自分の意思を口に出して確認する意図も含めて、僕はそう言う。
もし美羽にその意図があったとしても、それだけはしないと決めている。
そんな勇気ないし、それにあまりにも早すぎる気がする。
「怖いことあったの?」
寝ぼけ眼になりながら、美羽は先ほどの異変の理由を僕に問う。
「うん。アラディアさんが言ってた上位の感覚を掴むために瞑想してたんだけど、突然白い世界が現れたんだ。
あれは、とても怖かった。
死ぬことよりも、ずっと、怖かった」
たどたどしい口調で、とにかく思いついた単語を口にする。
その先を続けようとしたら、美羽は僕の頭を引き寄せる。
そのまま美羽の胸に当てて、髪を優しく撫で始めた。
「そっか。怖かったんだね。
私も分かるよ。私もあれは嫌だから」
美羽から溢れ出る母愛に目を細めながら、どこか含みのある言葉に疑問符を浮かべる。
私も? あれは?
「ふふ、蛍がいるから、今日は安心して眠れそう」
美羽が心地よさそうに目を閉じて、親愛の言葉を口にする。
どこか引っかかる言葉が続く。
今日は。ならいつもはどうなのか。
「悪夢は、まだ続いてるの?」
それを聞くのは少し憚られたけど、でも疑問を解決したくて言った。
美羽は目を開き、至近距離で僕の目を見る。
「うん。
あの黒い世界で、何かに追われる夢。
蛍が言ったものと一緒で、とっても怖いの」
「・・・・・・」
ならば美羽は、僕が今日垣間見たあれを、いつも見ているということになるのか?
だとしたら、それはなんて恐ろしい体験だろう。
僕は、もう絶対に、あそこには行きたくない。
たった1回だけであの衝撃。僕が今まで負った傷も痛みも、比べものにならない程の恐怖。
それを毎日・・・・・・。
「いつも、美羽は何時に起きるの?」
「2時か、3時くらい」
「・・・・・・眠れてる?」
「微妙かもしれない」
美羽は僕から目を外して、布団を顔まで運んで鼻まで隠す。
その目には、先ほどにはない暗雲が立ちこめている。
美羽が見るという悪夢。それは顕現が発現したあの冬の日から見るらしい。
でも、美羽からその話をされたことはあまりない。
今まで四、五回あるかないか。最近眠れないんだ、くらいの軽さで。
自らの不注意を恨む。サインは一年も前から表示されていたのに、それに今の今まで気づかなかったなんて。
悪夢なら僕もたびたび見るよな、なんて考えていた過去の自分を殴りたい。
もしくは、僕に心配をかけないために、美羽はその話題を避けていたのかもしれない。
美羽は今、今日は安心して眠れそうと言った。
僕なんかが隣にいて、果たして悪夢を見ても大丈夫なのかどうかは分からない。
でも、それは一時的なものだ。今日はたまたま僕が夜中に押し入っただけで、明日から美羽はまた一人で眠りにつくことになる。
家族もいないこの暗闇で、ずっと一人で。
そして、あの魂が凍える恐怖と向き合う。
それはなんて恐ろしいことなんだろう。
美羽は困ってる。なら彼氏である僕に出来ることはなんだ。
でも、一つ以外は思いつかなくて、それだって滅茶苦茶なもので。
・・・・・・うん。よし、決めた。
決心した僕は、美羽と目を合わせる。
「美羽。これから毎日美羽と一緒に寝てもいいかな」
「ふえっ!!?」
僕の申し出に、美羽は目を丸くして驚く。
「そ、そそそそそそそそそれは、一体どういう理由で」
一転して慌てふためく美羽に対して、僕は努めて真面目に対応する。
「アラディアさんも言ってたよ。
良質な睡眠は、新しい感覚を目覚めさせるのに役立つって。
だから美羽があまり眠れないのなら、それはアラディアさんの課題が上手く進まない原因になる」
「そ、それは、そうだけど・・・・・・」
「それに」
頬に赤味がさし言い淀む美羽に、僕はさらにたたみかける。
「本当は、美羽も感覚を鍛える特訓をして、その黒い世界に触れたんでしょ?」
「!」
呼吸を飲む音が、すぐ近くで聞こえた。
数秒、美羽は沈黙し、
「なんで、分かるの?」
「分かるよ。彼氏なんだから」
かれこれ十数年は一緒にいるんだ。
嘘を言った時とそうでない時の違いは、細かな動作や声の高低、目の動きや顔の弛緩具合から察することはできる。
「僕が隣にいて、それで美羽が安心してくれるなら、僕はそうするよ」
「蛍は・・・・・・それで大丈夫なの?」
「それで美羽が安心して眠れるのなら」
本心だ。嘘偽りのない真実の言葉。
けれど、美羽の瞼は下がるばかり。
再び沈黙が流れると、美羽は目を下げて話し始めた。
「思うの。私、蛍とご両親の時間を奪ってるんじゃないかって。
私が毒で伏せた時も、最近2人で過ごす時間が多くなった時も、その考えが頭から離れない。
蛍は自分の分身を創ったから大丈夫って言ってたけど、でも大丈夫じゃないよ。
優しくて、大事な、家族なんだから。
蛍と一緒にいられる時間はとても嬉しい。けど、家族の時間もちゃんととって欲しい」
その言葉を聞いて、僕はすっかり失念していたことを自覚した。
美羽は家族を亡くしている。
そんな美羽からすれば、家族に囲まれている僕は羨望の対象だ。
羨ましいと、いつか言われたことがある。
本当に大事なものは失った後にしか分からない。
それを理解しているからこそ、美羽は今ある大事なものを守るためなら、限界を超えて戦える。
失ったからこそ、その大事さが身に染みて分かる。
美羽の発言にはそんな意図があるんだ。
こうして、僕と家族のことを慮ってくれるのだから。
「ありがとう、美羽。でも大丈夫だよ。
今の時間なら2人はもう寝てる。
朝もわざわざ起こしにくることもない。これでも早起きはしてるから。
だから夜は、美羽の側にいられる」
家族はもちろん大事だ。僕にはもったいないくらい出来た人たちだから。
けど美羽はそれに劣らず大切な人だ。僕なんて比べものにもならないくらい、大切で大好きな人なんだ。
僕の空いている時間で美羽が安心できるなら、喜んでそうしよう。
でも、美羽の目はさらに疑い深い色を強くした。
「蛍は、本当にそうしたいの?」
その声に対して、「もちろん」と即座に返すことができなかった。
直感で、そうしたら駄目だと分かったから。
美羽の疑念がさらに強まるから。
「非難するわけじゃないけど、蛍は理由の中心にいつも自分がいない。
その代わりに私とか、他の誰かがそれを占有してる」
こうしたいという欲望が薄い。
むしろそれを嫌悪しているようでもある。
だから皆騙される。
優しい人と勘違いしてしまう。
本当は自分を出さないだけ。
こんな言い方はしちゃいけないのだろうけど、良い人の仮面を被っているだけ。
例え嘘偽りが一片たりともなかろうが、それは=誠実にはならない。
そう、美羽は考える。
「蛍は本当に私と一緒にいたい?
もしそう答えるとして、それは蛍の中で義務だから?
お願い、教えて」
アラディアさんの言葉は蛍の確信を突いている。
いわく、私がいなければ全然駄目。
横に、あるいは心の内に私がいないと、その力を発揮できないし、限界を超えられない。
さきほどまでたじろいでいたとは思えない大胆な発言も、それが理由。
私のためだから、自分はどうなってもいい。
むしろ美羽に奉仕できるのなら万々歳。喜んでこの腕でも脚でも心臓でも捧げよう。
けど、それは蛍にとって幸せなのか?
無論、幸せだと答えるのだろうけど、それを本当に信じることはできない。
今よりももっと、蛍は蛍のために力を振るうべきだと思う。
したいことをして、言いたいことを言って。
私がいつも迷惑をかけているのだから、蛍も私に迷惑の一つや二つくらいかけても全然いいのに。
蛍のことが好きなのだから、彼にもっと幸せになってほしい。
今まで、私は蛍を縛り上げていた。
あの冬の日に、ずっと一緒にいてと、そう蛍に要求してしまった。
彼の優しさに縋らないと、私が壊れてしまいそうだったから。
蛍が自分を殺して、それで今のような良い人になってしまったのは、私のせい。
どれだけ苦しませてしまったのだろう。心の声を押し潰させてしまったのだろう。
どれだけ想像しても、私にはそれが分からない。
だからこそ、
あの時の誓いを嘘にしないためにも。
蛍の本音はどうなのだと、糾さずにはいられない。
問われた蛍は、しばしその顔を硬直させる。
だけど意を決した目は変わらない。
蛍は美羽に顔を寄せて、
そっと、口づけをした。
「僕は美羽と一緒にいたい。
朝も、昼も、夜も、君が寝てる時も」
それじゃ、駄目?
眉を落としながら、蛍はそう答えた。
あの日、蛍が涙を流しながら、自分からキスを求めた。
あの時から、キスは蛍の主体的な行動の象徴になった。
だから今、蛍がそれをする意味は明白で。
「・・・・・・そっか」
美羽はそれを理解し、お返しと言わんばかりに、美羽は蛍に口づけする。
それから、猫が飼い主にじゃれつくように、蛍の胸本へ顔をうずめる。
「問い詰めちゃってごめんね」
「ううん。謝るのは僕の方だよ。
言いたいことはまず最初に言うべきなのに、それをしないんだから」
誤解させてごめんと、蛍は美羽を抱きしめる。
いいや、自分でもそう答えるのに勇気が必要だった。
だから常套句に逃げてしまった。
それを反省して、蛍は目を閉じる。
「お休み、蛍」
「お休み、美羽」
どうかよい夢を。
お互いの幸福を何よりも願って、2人は眠りについた。
■ ■ ■
そこは、一面が黒い世界だった。
黒しかない。黒以外の色が差し込む余地がない。
夢の中。黒い世界。
ああ、また私はここに来た。
視界はぼやけて、だけど、徐々に細部が際だって見えてきた。
阿鼻叫喚と泣き喚く、人のような亡者の姿。
築き上げられる屍山血河。
死臭腐臭を数十億倍にまで濃縮したような悪臭。
飛び交うのは異形の蝿。地を這うのは黒い蛇。
地平線の向こうにまでおぞましい魔獣で満ちている。
天上の見えない上から雪崩れ落ちるは血と腐汁の瀑布。
地面には骨と血と肉と骸。粘着質の闇は泥のように私の足に絡みつき、気を緩めれば底なしの奈落に引きずり込む。
そして、目の前にある者。
無明の闇を一身に背負うのは、私と同じ姿の少女。
血のように赤い眼。闇より黒いその長髪。
呼吸が止まる。
魂が凍りつく。
絶対に慣れないその威圧感は、これまで私が経験した絶望と衝撃の総量を、わずか一瞬の対面だけで超えた。
まるで蛇に睨まれた蛙。目を離したら、その瞬間に殺されてしまう。
逃げ出したくなるのはいつものこと。
でも、今日は違う。
横に蛍がいる。
私が助けてって言えば、助けてくれる人がいる。
今この空間にはいないけど、でも私の近くに、心の中にいてくれる。
だからこそ、恐怖で震えながらも、私はそれに相対することができた。
「それで、救いを得たつもり?」
黒の少女は、嘆息しながら私を睥睨する。
その重圧で魂ごと砕け散りそうになる。
「誰かが側にいれば。誰かが隣にいてくれれば。
自分は無限に強くなれる。けどそれは依存した強さ。
その大事なものとやらがなくなれば、すぐに崩れ落ちる儚いもの。
砂で出来た足場にわざわざ立って、必死に崩れ落ちないように踊る様は滑稽ですらある」
つらつらと、流れるような呪言は、私の現状への呆れ。
大事なものを失って、それでもう失いたくないと思って、だから今まで死に物狂いで頑張って。
それを下らないと呆れている。嘆いている。
失って辛いのなら、最初から持たなければいいのに。
蝶蛾の咎人にも、同じことを言われた気がする。
「・・・・・・それでも」
それは返答ではない、独り言のように小さな声。
だけど、その時初めて私は、目の前の少女とまともに向き合えたかもしれない。
「私達は、何かに縋って、依って、生きていくしかない」
だって、そうだろう。私達は何もかもに依存しながら生きている。
友人にも、家族にも、仕事先の人にも。
朝、昼、晩と食べるものだって、農家や畜産家、そしてそれを運ぶ人の一連の努力があってこそ。
酸素が吸えなければ死んでしまうし、必要な栄養素を他から得なければ生きていけない。
なんなら世界の法則がちゃんと機能しているから、人は存在していられる。
あなたのように、なにもかも一人で出来るわけじゃない。
今、私が蛍に依っているように、
そうでないと立てないくらい、私達は脆弱なのだから。
返答がない。それを感じて、今度は私が質問する。
言葉を紡ぐまでにどれだけかかったか。一分も、一時間も経った気がする。
「あなたは、私の真我なの?」
私は、ずっと聞きたかったことを、ついに口にできた。
自分と言っても種類がある。
高次の自己。それは魔術用語でハイアーセルフとか、聖守護天使とか呼ばれるもの。
それは私の本質であり、根底にある真の原因。
アラディアさんから教えてもらった。
今の自分は、真の自己ではない。
現実に即している肉体。それが学んだり体得したり、様々な体験を通して自我というものが確立されていく。
だけどそれは本当の自分ではない。
欲と煩悩に塗れ、固定化された思考や価値観に苛まれている。
自分の一番深いところにある、本当の自分。
自分の中に、本当の自分が内在してる。私たちはそれに気づかないだけで、全ての存在にそれは共通している。
だから、私が見ているのは、いわゆる真我と呼ばれるものなのだろう。
体得できる感覚の最上位。神なる我。
意識の最奥。精神でも魂でもない、同時に数多ある体でも、構成要素でもない。
それらすべてを超越し、いかなる制限をも卓越した自分。
ならばこの神威も納得できる。同時に、その似姿にも。
「違う」
だけど、それは私の推察を一刀両断に切り捨てた。
「それは私達にとって通過点に過ぎない」
深淵に佇む少女は、血のような、暗く濁った目を私に向ける。
双眸に渦巻いているのは底知れない憤怒、悲哀、憎悪、羨望。
その感情の起因原因が分からないまま、この身が砕け散りそうな程の感情の奔流を浴びることになる。
私が一体何をした? あなたは私のなんだ? 私は一体何者なんだ?
湧き上がる疑念。だけど少女はそれに答える気はないようだ。
悪の王である彼女は、押し潰されそうな重圧を放ちながらも、忌々しげに私を、正確に言うなれば私の後ろを見る。
「鬼ごっこはまだ続いてる。
ゆめゆめそれを忘れないでね」
さっさと行けとばかりに目を細める。
その瞬間、私の体は砲弾のように吹き飛ぶ。
一瞬で点となる黒い世界。
それと共に覚醒を迎える私の意識。
完全に覚めるその前に、私は思う。
いつか、あなたとまともに話し合える日は来るのだろうか、と。
最近、多くの方に私の作品を見ていただき、大変嬉しい思いでいっぱいです。
まだまだ文章力が拙かったり、表現方法も酷かったり、今回みたいに変な終わり方で一話が終わることが多いですが、皆様が見てくれるという事実を心の拠り所としてこれからも投稿を続けたいと思います。
ちなみに、『千紫万紅の夏休み』はあと少しで終了します。
次回、ヴィマーナ




